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2014/09/28

『台湾鉄道旅行案内』より台南市の地図



 1934年9月刊『台湾鉄道旅行案内』は、台湾総督府鉄道の公式ガイドブック。当時の日本人向け台湾の歴史、そして基隆から順に各地方の案内となっている。
 まぁ特筆するほどの内容ではない。総督府の息がかかっているので、当然『台湾事情』の内容とも重なる。
 ちなみに、単独項が立てられているのは以下。ただし台南駅のみであり、前後の駅それぞれにも項がある。

・孔子廟(楽器について解説あり)
・開山神社(現:延平郡王祠。鄭成功の解説あり)
・五妃廟
・台南神社(もちろん廃絶)
・安平港
・台湾精糖会社(精糖法の解説あり)
・ゼーランヂヤ城趾(現:安平古堡)
・媽祖廟(現:祀典大天后宮)
・関帝廟(現:祀典武廟)
・赤崁楼
・台南公園(中山公園を経て現在はこの名)
・開元寺
・鹹水養殖試験所
・水仙宮
・法華寺
・竹渓寺
・西市場(大菜市
・府署趾(鄭成功の邸宅址。たぶん鄭氏家廟)
・億載金城

 ついでに、飲食店、劇場、土産品店(伴手禮)は以下の通り。台南銀座(現:中正路)のカピタンと林デパート(林百貨)、あとは宮古座ぐらいしかピンとこないが、当時の職業別地図に載ってるような店だろうと思われる。要するに日本人向け。

飲食店:鶯遷閣、小梅園、一筆、鶯、魚源、台湾楼、滋養軒、ホーライ、サロン銀座、カピタン、天国、明星、招仙閣、新宝美楼、酔仙閣
劇場:宮古座、大舞台、世界館、戎館
土産品店:国姓爺、金義興、錦昌、金足成、山本、林デパート

2014/05/20

乾隆續修台湾縣志の地図

 deroren生存確認のついで。
 モノクロコピーから作ったものだが、まぁコピー元も白黒の影印だし、こんなものだろう。
 資料用として製作。derorenの著作にはあたらないとだけ宣言しておく。

 台南的大家,好久不見!
 這個地圖,由我加工了。
 你如果需要,自由地請使用。

2012/02/23

公学校用教科書『国語読本』と台南

tomopee
※この記事は1月末に書きかけて放置していたものである。なので、一部の時系列がおかしいのは無視しておくれやす。


 赤子連れ台南旅行は、3月挙行濃厚となっている。三人の体調も回復してきたし、今度こそは実現したい。
 ちなみに、2月中の旅行がなくなった結果、tomopeeは満1歳で台湾入りすることが確定してしまった。毎日「この世の終わり」の勢いで泣きわめくし、手のかかることには何の変わりもないけどね。

 さて、赤子はいずれ学校に行く。ということで教科書だ。言い切ってみたが強引にもほどがあるな。そもそも結びつける必要はあるのだろうか。
 まぁそんな枕はさておき、南天書局から出版されている、日本統治時代の国語教科書を某大図書館で発見した。その話。

 某大図書館では、いつも教育関係の棚を漁るのだが、その理由は「鄭成功の頌」をこの目で見つけたいからだったりする。一応『小西門』の本で確認できるとはいえ、個人的に孫引きは好きじゃないのだ。
 とはいえ、確実に載っている「公学校唱歌」の本は所蔵されていない。何かのついでに載るほどメジャーでもないらしく、某大図書館という範囲では未発見のままだ(記載されていたという事実だけなら見つかった)。
 ……ただ、今回教科書を眺めたことで、一つ分かったことがある。「公学校唱歌」は、まさしく公学校でしか歌われなかったんだろうな、ということだ。

 南天書局刊『日治時期臺灣公學校與國民學校國語讀本』は、一セットを除けば公学校で使われた教科書である。
 そもそも一般人は公学校が何か分からないだろうから補足しておくと、これは台湾総督府が台湾人向けに作った学校で、日本人向けの小学校とは区別されていた。
 日本人のガキと現地のガキでは基礎的な日本語力に差があるという名目もあろうが、周婉窈『図説台湾の歴史』などにも書かれているように、現地人の知的水準が上がらないよう分離したものだろう。
 高度な知識と思考力を持てば持つほど、総督府による差別にも敏感になる。まぁ当ブログは政治を語らないので、これぐらいにしておく。

 さて、四種の教科書のうち、最初のものは日本占領直後に刊行され、他とはかなり毛色が異なる。「太郎わ日本えゆきます」みたいな感じで、当時の日本語表記としておかしいのだ。
 まぁ恐らく、発音を優先して丸暗記させ、台湾人が日本語を操る姿を演出したかったのだろう。もちろん、暗記はどこまでいっても暗記でしかないが。
 他三種は、すべて当時の内地の教科書文法に拠っている。

 台南に関してはこんな内容が書かれていたりする。


 第十六 台南

 「今日は正吉に案内してもらつて、方々を見て歩いたらよからう。台南は古い都だから見る所が相当にある。」と、をぢさんがおつしやつたので、私は、中学校に行つてゐる正吉さんに連れられて、方々を見物することにした。
 正吉さんが、「台南神社・孔子廟(こうしべう)・開山神社・赤嵌楼(せきかんろう)、と廻つて、それから安平(あんぴん)へ行つて来ませう。」といふと、をぢさんは、「まあ、そんなところだね。安平の方は明日にして、先づ台南神社へ参拝するがよい。私も一しよにお参りしよう。」とおつしやつた。
 台南神社は、をぢさんの家から近かつた。神前に拝礼をすまして、をぢさんは、「これから御遺跡所(ごゐせきぢよ)を拝観しよう。ちよつと待つてお出で。社務所に行つてお願ひして来るから。」といつて、社務所にはいつて行かれたが、間もなく若い神主さんと一しよに出て来られた。
 私達は、神主さんの案内で、御遺跡所を拝観した。寝台(しんだい)も、毛布も、まことにおそまつなものであつた。宮様のやうな尊いお方が、かういふものをお用ひになり、こんなむさくるしいへやでおかくれになつたのかと思ふと恐れ多くて、胸がつまるやうな気がした。
 御遺跡所を出ると、をぢさんは、「わしはこゝから帰る。あとは二人で行つてお出で。」とおつしやつて、うちへお帰りになつた。
 二人は、台南神社からすぐ隣の孔子廟に行つた。こゝは孔子をまつつた所で、今でも毎年盛なお祭が行はれてゐるといふことだ。
 それから、鄭(てい)成功をまつつた開山神社に参拝して赤嵌楼に向かつた。
 「これはオランダ人がつくつたもので、もとはプロビンシヤ城といつたのです。それは、今から約三百年前のことで、その頃は、オランダ人がこの台湾を治めてゐました。その後は、鄭成功が治め、それから清(しん)の時代になつたのです。」
「昔は、こゝが首府だつたのですね。」
「さうです。」
「台南は、今、人口が.いくらありますか。」
「約十二万です。」
 二人は、楼上に上つて四方を眺めた。風が強くてひどいほこりが立つので、遠い所は煙つてゐるやうに見えた。私はこヽで絵葉書を買つて、記念スタンプを押してもらつた。
「さあ、これで一通りすみました。今度は台南銀座(ぎんざ)を通つて帰りませう。」
「台南銀座といふのはどこのことですか。」
「台南で一番にぎやかな通です。東京で一番にぎやかな所が銀座だからさういふのです。」
 なるほど、そのあたりは台北の栄町(さかゑちやう)通のやうなにぎやかな所であつた。うちに帰り着いた時は、ちやうどお昼であつた。

 翌日はバスで安平に行つた。台南と安平との間には、バスの通る道に沿うて運河(うんが)がある。途中池のやうなものがたくさんあつたので、正吉さんに聞いてみると、あれが魚塭(ぎよをん)だといつて、色々説明してくれた。
 十分もかゝらないで安平に着いた。磯(いそ)の香がぷんと鼻につく。バスを降りてすぐ赤嵌城址(じやうし)に上つた。こゝは小高い岡で、オランダ人のきづいたゼーランヂヤ城のあとであるといふことだ。正吉さんは、
「昔は安平は一つの島で、台南とははなれてゐたのださうです。今、僕等が通つて来たあたりは海だつたのです。安平の港も、昔は北の淡水(たんすゐ)と並んで、ずゐぶん盛なものだつたさうですが、今はこの通りすつかりさびれてしまひました。」
と話してくれた。沖を眺めると、ジヤンクが一さうさびしさうにかゝつてゐるだけで、遠浅の港には、波の音だけがさわがしく聞えてゐる。昔の繁栄(はんえい)は、どこにも見出すことが出来なかつた。
 こゝを下りてから、製塩会社に行つて見た。こゝには煎熬塩(せんがうえん)を造る工場があつて、雪のやうな塩が、山のやうにもり上げられてあつた。こゝを見てから、又バスに乗つて帰つて来た。



 台南神社、鄭成功関係、町の盛衰、主な産業と、小綺麗にまとめてある。まさしく教科書通りの内容だ(教科書だぜ)。今は跡形もない台南神社を除けば、現在の日本で紹介される台南と、それほど大差はないようにも見える。
 もっとも、大差がないのは当然である。この教科書も現在のガイド類も、所詮は日本の都合でまとめてあるのだから。

 南天書局のシリーズに一つだけ含まれる、公学校ではない小学校用教科書には、台南の項目がない。基本的に同様の項目で構成されていながら、台湾関係部分だけ削除されている(正確に言えば、公学校用に追加した、だろう)。
 その、削除された記述の中には、他でもない鄭成功の話も含まれる。

 母親が日本人だとさんざん利用しておきながら、在住の日本人向け教科書では取り上げもしない。その辺の本音が垣間見えて興味深かった。

2012/01/08

『台湾仏教名刹』を読んだ

新年快樂~~


 某大図書館で、偶然目にとまった「台湾」の文字。ちょっと期待できそうな表紙をめくってみれば、期待以上のすごい内容だ。これを紹介せずにおれようか。
 ということで、タイトルは『台湾仏教名刹』。民国63年(1974)3月15日初版(出版:華宇出版社 印刷:徳和彩色印刷有限公司)で、定価は「新臺幣貳仟捌佰圓」「美金柒拾圓」だ。さぁ読めるかな? ニュー台湾ドル2800元、70アメリカドルだぜ。
 編者は釈道安を主任とする台湾仏教名刹編印委員会。委員会には仏光山の星雲などの名も見える。なお、某大所蔵書は、その星雲による寄贈書である。

 ともかくB4版の巨大な本の表紙をめくると、いきなり毛筆の書が並ぶ。台湾の書籍では、軽めの内容の本でも何人かによる序文(推薦状)が載っているが、これもどうやらその類らしい。あまりに立派で驚かされる。
 ……というか、その体裁はバラバラで、いかにも寄せ集めな感がある。各教団の微妙な関係のもとで成り立っているのだな、と推測せざるを得ない。

 体裁は全編横書きで、恐るべきことにすべて右から左へ書かれている。ただし英文は左右逆。なかなか頭がくらくらする構成だ。
 数ページめくって、ようやく現れた編者の序を読むと、世界五大宗教の一つである仏教を賞讃し、その宣揚に用いる意図とあった。
 対外的アピールを主目的とすることは、本文を含むすべてに英訳が付けられることでも、容易に推察される。序の日付を「佛暦2518年寅月」と、今時誰が使っているのか分からない暦で記すのも、西暦=キリスト教との対抗意識とみることができよう。

 さて、本編は地方ごとに区分されるが、それぞれの地域内での順序は一見よく分からない。台湾北部は台北の松山寺、十普寺・臨済禅寺の順。台湾南部では高雄の仏光山がトップで、あとはバラバラだ。先に掲載されるからといって分量が多いわけですらない。
 ……まぁ実は、松山寺は釈道安が住持なのである。要するに、関係者の寺院が先に載っているのだ。台南に関しては開元寺、法華寺が並び、離れて湛然寺が載るのだが、前二者の住持は編集委員であった。

 まぁしかし、この本の本当のすごさは、そんなところにはない。
 どこの寺院も、最初に寺院の外観写真、そして沿革が記される。文字で説明すればごく当たり前のことだが、ページ割りも写真も凄まじく素人臭い。開元寺も台南法華寺も(ちなみに台北法華寺も載る)、社殿が傾いているぜ。
 そもそも、写真の選定がおかしい。開元寺だけで9ページもあり、新しく建てた三門と大士殿、円光宝塔の写真は沢山載っている。しかし一方で、肝心の本殿(大雄宝殿)もその本尊も全くない。要するに、寺院全般の紹介が意図されていないのだ。

 では何を意図して造られたのか?
 それは恐るべき大きさで掲載される、各寺住持の肖像写真によって推察できる。つまり、現在の各寺院の業績を顕彰するものである。
 開元寺についていえば、鉄筋コンクリートの新築大士殿こそが最大の業績であり、そこにページを費やしている。さらに最後のページは、病院の完成予想図で埋められている。
 その病院は後に完成し、今では入院患者が境内で憩っているわけだが、これは現代仏教による社会貢献なのだ。

 日本でも、宗派内部の出版物では似たようなものを見たことがある。悪く言えば、各寺トップ陣の功績を讃えるお手盛りの出版物である。
 編集のクオリティが著しく低いのも、各寺の意向をそのまま再現したためだろう。極端に小さな紙焼き写真を引き伸ばしたために、住持の顔がぼやけてしまった例すらみられるが、大事なのはピントではなく大きさなのだ。
 しかし、本当にただのお手盛りならば、こんな体裁にする必要はないのだ。余所の寺と並べられて、メリットのある寺院は少ない。実際、パラパラめくりながら「この寺はさっきの寺院よりしょぼいなぁ」とか言えてしまうのだから。
 そこはやはり、台湾仏教が今現在もっているパワーを、世界にアピールしようという目的意識によるのだろう。

 私はそういう世代ではないし(笑)、当時の空気を推測する術もないが、この本が中国の文化大革命の時期に出版されたことは、記憶に留めておきたいところだ。
 釈道安自身のページ(松山寺)では、海外伝道の紹介に多くが費やされている。まぁ蒋介石八十五歳を祝う古画展に3ページも使ってるけどさ。

 各寺の思惑はともかく、多くの金と人が動くこと、それはすなわち仏教の興隆を証明する。
 何というか、日本古代の仏教が、架橋や灌漑などの土木工事によって信仰を広めていったことを思い出させる。さしずめ現代の行基たちってヤツですかい。

 なお、開元寺や法華寺の記述については、別途記事を書くかも知れない。期待しないで待っておくれやす。
 各寺院の業績に関しては、どうこう話すほどの材料もないし、わざわざ時間を割いて検討する気力もないので、コメントしない。つーか、40年近く前の内容を評価しても仕方ないでしょ。

2011/12/24

台南孔子廟の「虎」異聞

最近、東洋音楽学会『南洋・台湾・沖縄音楽紀行』という本を読む機会があった。この本の出版は1968年だが、内容は1945年以前であり、当時の日本領、もしくは日本占領地を巡るものとなっている。
 残念なのは、各章の具体的な執筆者が分からない点。「学会」編のわりに学術的とは言い難く、内容も物見遊山に近いと断っておく。

 台湾については、「台湾と厦門」という章のなかで取り上げられている。1922年の調査旅行で、分量的には台湾はそれほど多くなく、その大半は原住民の音楽を訪ねて歩くもの。各地で歓待されたらしい原住民関係の記述は、無知ながらもわりと好意的である。
 しかし、そんな中にぽっかりと空いた穴のような箇所、それが台南の記事であった。

 「台南孔子廟の古楽器」という項では、台南市役所の職員の案内で孔子廟を訪れている。そして、所蔵されていた楽器を列挙し、朝鮮王朝の李王家のものとおおむね等しいと述べる。ただし「柷」と「敔」の形態に差異があるという。
 うち「柷」は朝鮮が30cm四方、台南は60cm四方と大きさが違うらしい。少なくとも、全く違う音になるのは間違いなさそうだ。

 問題は「敔」である。
 これは虎の背中に櫛の歯が並ぶ楽器で、朝鮮は長さ1mだが台南はその半分しかない。さらに朝鮮のものは背中を高く立てるが、台南は逆に頭が上がっている。櫛の歯の並びも、朝鮮が一列27個、台南は三列9個ずつ。いずれも、台南の方が演奏し辛い形だという。
 この他の楽器も、音律が滅茶苦茶だとか、鳴らないものがあるとか、散々な評価であった。

 朝鮮王朝がともかくも古代楽を実際に伝えていたのに対して、台南では形式的に楽器を揃えるだけだったことが、こうした差異に結びついたと、一行は分析している。実際、その場に展示してあった楽譜は近代のものだったという。
 で、結論は「今からでも研究して復活させたらどうか」という素っ気ないもの。要するに、このままでは無価値という判断が下されている。読者がどう思うかは知らないが、一行の目的からすれば仕方のない話だろう。

 まぁしかし、掘り返してもあまり価値のない話題をなぜ紹介するのかといえば、彼らが散々な評価を下した「敔」が、今も孔子廟に展示されているからだ。本ブログでは、かつて虎爺特集の時に一緒に取り上げている。
 ツアー客でも孔子廟には行く可能性があるはず。出掛けた際にはこの記事を思い出してみては如何かな(よく分からないまとめになってしまった)。

台南孔子廟
 現在の台南孔子廟。楽器が展示されるエリアには「以成書院」と掲げられている。

台南孔子廟
 この写真の虎こそ、散々な評価の「敔」である。背中の櫛の歯が三列な点など、指摘される通り。
 ついでに、左に見切れている木箱みたいなヤツが「柷」だ。世の中には不思議な楽器もあるもんですな。

2011/06/11

最強の小吃辞典『慢食府城 台南小吃的古早味全記録』

tomopee
 予防接種の注射も何のその。tomopeeは、まだ見ぬ台湾を夢見る3ヶ月だ。航空料金が安いうちに(乳児でも無料ではないが)旅行する魂胆だろう?、と陰口をたたかれないように、じっくりプランを練らねばならんなぁ。
※現時点ではっきりしているのは、8月末までの出発はない、ということ。てなことで近況報告終わり。


 王浩一『慢食府城:台南小吃的古早味全記録』(心靈工坊2007.6.26)は、台南の小吃を七つに分類しつつ紹介する内容。例によって通販の方法はこちら
 「節令祭饌篇」では、台南の年中行事で食べる料理を、春節、上元……と取り上げる。そして、関連する食べ物を扱う有名店を紹介している。「伝奇麺食篇」は担仔麺などいわれのある料理を紹介、「経典米食篇」は伝統的な米食…といった感じで、台南の多彩な小吃を知ることができる。
 牛肉湯など漏れもあるが、数量的には最強の部類といえる。

 もちろん堅苦しさは全くない。料理によっては簡単なレシピも分かるし、台湾の料理に興味のある人も楽しめるだろう。
 地図も観光地と小吃店が網羅されており、かなり使える。ただし実際に使用する場合は、コピーをとるのが無難だ。
 そもそもこの本は写真たっぷりな代わりに重いので、街歩きで持ち歩く用途には向かない。旅行前に計画を立てるために利用し、地図のコピーだけ持ち歩くのが妥当だろう。

 このガイドは、私が買った時点で44刷を重ねているので、かなりのベストセラーである(少しずつ刷ってるんだろうけどね)。
 台湾=台北な人には、府城小吃のポテンシャルを知る良い本だと思う。オススメだ。

2011/05/29

『台湾事情』を軽く読んでみた印象


 更新ペースが大幅に落ちている。旅をしていない上にtomopeeの世話が加わった我々は、相次いで風邪をひくというさらなる試練に直面した。現時点でderorenはどうにか復活、hashiもどうにか回復基調だけどね。
 病にもっとも弱そうなtomopeeは元気だ。今すぐにでも台南に連れていけ、という感じだぜ。仕方ないのでお茶の箱と記念写真だぜ。
※リアルな知人関係も見ているので、たまに現状報告をしている。一見さんは読み飛ばしてね。


 さて、先週のとある日のこと。某大で時間をつぶす用ができたので、図書館を漁ってみたら『台湾事情』が三冊所蔵されているのを発見した。
 『台湾事情』とは、台湾総督府が刊行していた報告書で、植民地経営の状況を記したものだ。図書館には昭和8年、11年、13年度の版が所蔵されていた。
 内容は言うまでもなく、経済に関するものが中心である。ウチは台湾の政治や経済を語るブログではないので、その辺は割愛するけれど、第七章「神社及宗教」と附録「主要都市及名所旧蹟」は興味深い内容だったので、ちょっと書いてみる。

 第七章は、一応体裁としては「第一節 神社」と「第二節 宗教」に区分される。国家神道を主張する当時の性格上、このように分けたのだろうが、第一節はページ数も少なく、内容も乏しい。あえて読む価値はない。日本の近代神道は元々薄っぺらいというのは禁句なので言わない(同じ日に折口信夫も読んだからねぇ…)。
 第二節でも、日本からやって来た宗教については、一様に読む価値がない。唯一面白いのは、日本仏教に関する次の一文である(どの年度も同文)。

明治二十二、三年の頃から各本山は経済上の困難から其の方針を一変し、布教費の支出を節減或は中止するに至つた為に、在台布教師は茲に已むなく独立自営の必要を生じ、為に其の伝道も何時しか内地人本位に傾き、且内地人の渡台者漸く増加するに伴ひ其の仏事法要を営むに忙殺せられて、終に全く本島人の布教を閑却するに至つた事は甚だ遺憾に堪へない所である。


 日本の各宗派は植民地で教団拡大を目論み、資金をつぎ込んだ。しかし思うように信者を増やせず、資金投入をやめてしまう。現地に取り残された格好の教団関係者は、とりあえず日本人相手の商売で生計を立てざるを得なくなったという。
 この状況が生じる必然を、同じ報告書の中で読むことができる。他でもない斎教の存在である。

 報告書では日本統治以前からの宗教として、儒教、道教、仏教、斎教の項目がたてられている。現地の信仰熱からすれば道教が少なすぎるが、これは道教を低俗なものとして抑えこもうとする方針に基づく意図的な編集だ。一方で仏教と斎教が分離され、後者の解説がかなりきちんとなされている。しかも、決してネガティブなものではない。
 即物的で迷信的な道教を蔑む立場からすれば、在家にもかかわらず戒律を守る斎教を、日本に存在しないからといって否定的に捉えることは難しいのだろう。
 しかしそれはそのまま、在家じゃないのに戒律を守らない、そんな日本の仏教各宗派に対する批判となる。浄土真宗なんて到底受け入れられるものではあるまい(親鸞個人の論理はともかく)。

※当ブログの斎教関係記事
・西華堂 (一) (二) (三) (四)
擇賢堂
擇賢堂と報恩堂

 在来仏教に関する項目では、台湾仏教が福建や広東と同様に禅宗+浄土教の混合形態であることなどが記される。そして、無学で社会的地位も低かったが、日本や中国に留学するなど変化しているとある。
 台南の開元寺の歴史において、駒澤大学への留学僧が大きな役割を果たしたことは知られている。一方でかつての黄檗寺は、仏教寺院だけど関帝を祀っていたというし、大観音亭や普済殿など、初期「仏教」がおよそ仏教寺院とは言い難い形で伝わっていたことも事実のようだ。日本輸入の宗派は根付かなかったものの、多少はポジティブな影響も与えていたのかなぁ、と読んだ。

※在来仏教
・開元寺 (一) (二) (三) (四) (五) (六) (七) (八) (九) (十) (十一) (十二) (十三)
法華寺(台南市)

・大観音亭 (一) (二) (三)
・普済殿 (一)
・萬福庵 照牆 (一) (二) (三)
・重慶寺(一) (二)
・台湾首廟天壇(黄檗寺関係) (三)
慈蔭亭


 さて、この報告書の面白いのは、日本統治以前の在来宗教について、「神仏又は祖先を祭祀する団体」「巫覡術士」という項目が立てられていることだ。どちらも台湾の信仰を今知る上でも、十分に役立つ内容だった。
 「神仏又は祖先を祭祀する団体」は、台湾の廟によくあるナントカ「会」の成り立ちを記した章。北港朝天宮の媽祖祭では、幾多のそういう団体を目にしていて、何となく想像はついていたけれど、これだけすっきり解説してもらえるとありがたい。
 何らかの理由で(職業とか同郷とか)同じ神を奉じる人たちが、特定の廟に属さない信仰組織を作るのを「神明会」と呼ぶとある。日本でいうところの「講」に近いと思われる。
 謝将軍や笵将軍といった神像を、こうした「会」が共同所有することも、昔からあったらしい。

 「巫覡術士」の項は必読。というか、この辺の項目は明らかに専門家の執筆だ。正直、一般人は読んでも理解できないのではなかろうか。最低でも巫覡を「ふげき」と読める人向けだな(ちなみにderorenは諸事情により読めるゾ)。
 巫覡については法師・符法師・童乩(乩童)・尫姨に分けて解説される。神懸かり関係の者で、法師と符法師はまぁキョンシーのイメージで考えれば良い(全くの一般人向け説明)。ただし符法師は法師より低級という位置づけで、より個人祈祷にシフトした存在とある。日本の民間宗教者の知識があれば、ああなるほどという感じの説明だ。
 童乩(乩童)と尫姨はより神懸かりに軸足をおいた存在。尫姨は女性限定で、死者語りをするそうな。イタコだね。

 術士については地理師・看日師・算命師・相命師・卜卦師に分類される。地理師はいわゆる風水の人。ただしここでの説明によれば、実際の職能はほとんどが墓地の選定であり、迷信を広めて金儲けしていると酷評されている。
 他はまぁ占いだ。日本の観光客も金払って無駄話を聞かされに行くよね。


 ともかく、観光客が読むような本ではない。そもそも台湾未体験者にはイメージし辛いし、一部は専門的過ぎる。さらにいえば、植民地統治に有益かどうかという視点で書かれていることや、当時の人類学的偏見がみえる点からすれば、安易に読んでほしくないというのが本音である。
 植民地というのは「本国のレベルに達しない未開の地」である。そういう差別意識を読み取れないような鈍感な人間には、とりわけ読んでほしくないものだ。

2011/05/18

台南食べ歩き観光客は必読。『24hrs 吃在台南』

。『24hrs 吃在台南』
 三冊の台南ガイド本を紹介するシリーズ、いよいよ最終回だ。tomopeeは右手をバタバタ動かすので、頬にすり傷がついている。相変わらず、本には全く関心がないゾ。でも将来は、これぐらいの本ならスイスイ読めるようになるはずだゾ(ああ親バカだ)。

 Darkbringer『24hrs 吃在台南』(晴天出版社2011.1)は、眠らない街台南の小吃を、それぞれの営業時間で並べたガイドである。もちろん牛肉湯から始まっている(最後の数軒は24時間営業だけど)。
 例によって通販の方法はこちら

 サブタイトルに「台南人的隱藏版美食地圖」とあるように、一般的ガイドブックに載らない店が多いのも特徴。我々が訪問した店は阿堂鹹粥無名豆花、そして振發茶行(リンク先は初回訪問時の記事)しかない。まぁ機会がないだけで知ってる店は、松仔脚など他にも数店あるけどね。
 前回取り上げた黄小黛『散歩阮台南』よりもさらに文字は多め。ただしそれぞれの店や料理について、丁寧に説明されている。時間をかけてでも読む価値はある。

 著者Darkbringer氏は「某外商公司技術經理」と名乗る台南人である。ハンドルネームのまま出版するというのが、いかにも今どきだなぁと思わなくもない。しかし内容を読むと、薄っぺらいブログモドキの文章ではなく、そこそこの教養に裏打ちされたものだ。あまり若くなさそうだ。
 海安路が芸術街になったきっかけは、かつての市長による乱開発だったとか、そういう歴史を軽くおさえておける点は良い。神農街を語るのに先斗町を出してきたりとか、京都に住む者にとってもなかなか興味深い部分がある。
 著者のブログの2011.5.17時点のトップ記事が福島原発だったりするのもね。

 お気楽な小吃の旅だって、台南が背負った歴史を知っていた方が断然楽しい。老店は古さを演出しているのではなく、本当に古いのだ。そういう深みに触れるガイドブックとして、derorenはこの本を推薦する。
 台南人にしか書けないガイドブック、そこに価値があると思う。



※D氏の福島原発記事の絡みで、いろいろ書いた内容もあるのだが破棄。ウチは安っぽく政治を語るブログではなく、台南観光ブログだ。その辺の一線は越えないでおきたい。

2011/05/16

台南出身者によるガイドブック 黄小黛『散歩阮台南』

『散歩阮台南』
 tomopeeはちょっとご機嫌だ。残念ながら、隣の本を読んだからではないけどね。将来は華語を自在に操れるようになってくれ。

 2011年5月に出版されたばかりの黃小黛『散步阮台南』(上旗文化)は文字多めで、観光ガイドとエッセイの中間的な書物だ。従って、前回取り上げた『in hand 台南』よりもハードルは高い。台南ガイドの一冊目なら、『in hand 台南』を薦める。
 著者は台南出身の台北在住で、そこそこ有名なブロガー(ここ)らしい。すっかり変わってしまった生まれ故郷を訪ねながら、新旧が融合する現代の台南を語ろうという感じの内容のようだ(例によって通販の方法はこちら)。

 いささか醒めた言い方になるが、derorenは黄氏の個人的感傷にはあまり関心がない。deroren自身も故郷を離れて長いので、たまの帰省では似たような感覚を抱くけれど、それを口外するのはとても白々しく思える。所詮は逃げ出した者の戯言に過ぎないではないか、と。
 まぁそう言い切ってしまうと、感傷に浸りたくて旅に出る人すべてをバカにするようなものだけどね。
 ただ、題字を振發茶行の厳じいさんに書いてもらったり、どうにもあざとい体裁なのだよ。「古くて新しい街」台南で商売するぞって臭いが強すぎて、素直に推薦できない。ガイドブックは商売なのだから、言っても始まらないことだが…。

 余計な話はさておき、内容は老店を中心とした台南のお店の紹介と、いくつかの寺廟の話。寺廟の選び方は悪くないと思う(開隆宮など)。小吃の店も、一般的ガイドに載る店を避けて選んである(もちろん全く無名の店ではない)。
 お茶の店が奉茶雙全紅茶振發茶行というのは狙いすぎじゃないかと思うけど、これらの店を知らない人は、買って読んでも良いかもしれない。

 日本における読み物風台南ガイドといえば、渡辺満里奈『満里奈の旅ぶくれ―たわわ台湾―』 がある。そういう系統の本だと思えばいい。ただ、日本の旅行者が書くようなエッセイよりは、こちらの方がまだ深みはある。
 満里奈本は、台湾の新たな価値を日本国内で広めて観光客を増やすという、当時の観光局の施策が反映されていただろう(そうでしょ?、ゴーストライターさん)。対してこの本は、台湾人意識の高まりに伴う老街、老店ブームを背景とする。だからある程度の台湾文化史が必要とされる。
 その意味で、この本が伝えようとする空気は、台南未訪問者には理解しにくいかも知れない。「食尚玩家 台南玩味」辺りと一緒に読むといいのではないか…と思ったが、品切れのようだ。残念。


 余談だが、黄氏の感覚で面白かったのは、最近の地名変更(台南公園や湯徳章紀念公園など)も「台南の変化」と捉えていることだ。
 余所者のderorenにとっては、国民党が自分たちの偶像崇拝に合わせて名前を変えた場所が、多少はまともな名前に変わったという印象しかない(湯徳章はニュートラルとは言いがたいけど)。しかし国民党政権世代にとっては、どこもかしこもそれ系の名前で埋め尽くされた街が「幼い日の記憶」であるわけだ。
 考えてみれば当たり前の話だけどね。


※もう一冊紹介するぞ。derorenの親バカぶりにも呆れてくれ。

2011/05/15

台南ガイドブックの定番が新しくなったぞ(上旗文化『in hand 台南』)

上旗文化『in hand 台南』
 当ブログが推薦する台南ガイドブックといえば、上旗文化から出ている『in hand 台南』である。我々は2007年出版のもので旅をしたのだが、2010年12月に新版が刊行された
 はっきり言って、我々は現在進行形で(遂に顔出しとなった)tomopeeの世話におわれている。従って台南に出掛ける予定は立っていないけど、なんだか悔しいので通販で買ったぞ(例によって通販の方法はこちら)。

 なお、内容は何も変わっていないから、旧版をお持ちの人は買わなくて良いぞ(正確には、ホテル関係のページだけ変わったようだ)。
 元々このガイドブックは、台南に至る交通のデータが全く充実していない。従って、高鐵開業、さらに2011年1月の連絡線開業も、全く影響なし(連絡線のれの字もないゾ)。台南にどうやって行くかは、他で当たるが吉だ(高鐵台南駅から連絡線に乗るだけだ)。

 このガイドブックは、主要な寺廟と小吃店を組み合わせながら歩き回る旅行に向いている。いい加減な地図が多い台湾ガイドブックの中では、比較的正確な地図だし、小吃店も有名どころはだいたいおさえられている。
 台南初心者は、書かれた地点を巡るだけで十分楽しめるはず。初心者じゃない人は、当ブログや他ガイド、現地人ブログなどを補助として使っておくれやす。

 日本の旅行者がこの本を買う上でもっとも躊躇する点は、日本語で書かれていないことだろう。しかし心配しなくとも、台湾の漢字はある程度は意味がとれる。
 それに、この本に載ってる名所の多くは当ブログで紹介しているので、照らし合わせれば大丈夫でござるよ(書いてて気恥ずかしいのは気のせいだろうか)。
 そんなわけで、現地書店か博客來の通販で入手して(通販だと約1000円)、台南へ旅に出ようぜ! まだ乳児湿疹が残ってるtomopeeも、そのうち行くぜ!


 なお、台南のガイド本を他に二冊買っている。それらも順次紹介予定。
 恐るべきことに今回買った三冊は、すべて振發茶行が登場しているぞ。あの小さな店に客が殺到したら大変だ(一組ずつしか対応できないのだ)。

2011/05/05

陳蓬源「古都臺南の床しさ」を読む

 最近の近代文学研究では、植民地文学と呼ばれるような分野が注目を集めている。
 従軍作家の小説や随筆なんてのは、研究対象とするに足らないとか、そもそもそんなものに注目すべきではないという考え方もある。とはいえ、何も調べなければ思考停止、そして行き着くところは全肯定か全否定のどちらかでしかない。
 台湾人が日本語で書いた作品も、そういう意味で研究される価値はあろう。『日本統治期台湾文学集成』として公刊されたものを読むと、いろいろ考えさせられる。

 なお台湾に関しては、日本統治時期を安易に肯定しようというムードがあったりする。しかし、derorenは少なくともそういう立場ではない。台湾の寺廟を巡り、民間信仰に触れる以上、植民地時代はどう言い訳しようと暗黒時代なのだ。
 もっとも、暗黒時代を招いた理由が、日本の神仏信仰の強制にすべて帰着するかといえば、そうでもない。
 東アジアの近代は、キリスト教を基盤とする価値観の襲来によって、従来の信仰が「土俗」と蔑まれる時代である。現に日本統治以前から、台湾にはカトリックもプロテスタントも入り込んでいる。当然、そこでは民間信仰を「未開」習俗として排除しようとしただろう。
 また、台湾に滞在した日本人学者の書いたものをポツポツ読んでいると、そこに人類学的偏見がみえる。文化人類学以前の人類学は、西洋のキリスト教的世界をもっとも進歩的なものとみなした上で、「未開」を調査していた。そうした偏見は、台湾の「近代化」が信仰破壊を伴う理論的根拠であったはずだ(台湾総督府が民俗調査に力を入れたことは周知の通り)。それは支配者が誰であっても、1900年前後の台湾が通過せざるを得なかったイニシエーションだろう。
 ただ、日本でなくともやっただろうが、日本がやったのだ。その点を肯定する必要はない。


 さて、枕が長くなってしまった。陳蓬源「古都臺南の床しさ」は、『日本統治期台湾文学集成』16巻に収められた随筆集『雨窓墨滴』の一部である。
 陳蓬源(陳逢源)は台南生まれで、日本統治時代の台湾では台湾文化協会のメンバーとして、議会設置運動などを行った人物である。随筆中でも、台北の大稲埕と台南の景色を比べたりしている(大稲埕は港町文化講座のあった、台湾文化協会の拠点)。
 陳氏は国民党政権下では実業家に転身して、成功をおさめている。台湾文化協会メンバーなんて、国民党にとっては抹殺すべき敵でしかないわけだが、その中で生き抜いたのだから相当にしたたかな人間だったのだろう。

 したたかという点では、「古都臺南の床しさ」が日本人という立場で書かれているあたりも、なかなかである。出版が昭和17年(1942)という戦時下なので、そのように書くしかないのだろうが、日本人の立場をとりつつ、日本人とは異なる視点である。
 この随筆は「古都」とあるように、台南の古さを讃える内容だ。そしてそこでは赤嵌楼を中心に、孔子廟開元寺関帝廟(祀典武廟)天后宮(祀典大天后宮)呉園などが挙げられる。これは現代台湾における評価と一致していて、当時の植民地政府の認識とは明らかに異なっている(台南神社を無視していることからも明らかだ)。
 そもそも「古都」とは、オランダ、鄭氏政権、清代、日本時代という時の流れであることを、陳氏は明確に語っている。それは「台湾」の歴史であり、日本や国民党が教える歴史ではない。
 生まれ故郷を懐かしむ随筆でありつつ、読者にしっかり台湾人意識を植え付ける。只者ではない巧妙な仕掛けである。

赤嵌楼
 文字ばっかりなので讃えられる景色を載せておこう。赤嵌楼は、台湾伝統の赤瓦建築という点でも評価されている。

呉園
 呉園は都会の中心にありながら、文人墨客の楽しむ景色である。いやまぁ、今となっては高層ビルに囲まれてガッカリな景色だけどね。


 まぁそんな深読みはさておき、陳氏の主張する台南の魅力は、大きく二つある。一つは伝統ある景色が現代に伝えられていること。もう一つは、緑が多いことだ。
 台南の緑については、日本統治後の緑化政策にも肯定的である。とりわけ鳳凰木(ホウオウボク)の並木の美しさを讃えており、もっと詩的な名前はないかと調べて馬纓花と名づけている(随筆中には彼の詩が紹介される)。
 日本統治時期を全否定も全肯定もせず、台南が通過した歴史の一部として捉える視点は、もっと評価されてもいいのではなかろうか。

 ともあれ、1940年代にようやくこのレベルに達した台湾人意識は、国民党政権下で再び全否定され、再び陽の目を見るのが1980年代である。
 非常にのどかな随筆を読んでも、苦難の日々を考えざるを得ない。その辺を知って旅をすれば、よりディープな台南を辿れるのではないかと思う。台南観光のブログだから、あえてこのようにしめておこう。

2011/03/30

台南の深みへ(一) 寧靖王を知ろう

 日本の観光客にとって、台南ゆかりの人物といって出てくる名前は、せいぜい鄭成功ぐらいかも知れない。しかし、台湾での事蹟が一年足らずの人物だけで、台南が分かるはずはないのである。
 当ブログで頻繁に登場する歴史上の人物としては、寧靖王、鄭経、陳永華、施琅、蒋元枢あたりが挙げられるが、いずれも日本ではなじみのない名前ばかりだ。これに加えてディープな台南に迫るには、玉皇上帝など道教系の神々、天上聖母や保生大帝などの地方神、王爺、土地公など、日本とは全く異なる信仰の知識も必須である。かくいう私自身も、まださっぱり分かっていない。

 とりあえず、有名だけどよく分からない人物の代表格として、今回は寧靖王を取り上げようと思う。当ブログで、寧靖王に関係する記事は、少なくともこれぐらいはある。

祀典大天后宮(一) 天上聖母の宮概説
祀典大天后宮(二) 寧靖王府の俤(前編)
祀典大天后宮(三) 寧靖王府の俤(後編)
大天后宮梳妝樓と寶來冬瓜茶舖
祀典大天后宮(六) 寧靖王の観音信仰
祀典武廟
台湾首廟天壇(一)(台南市中西区)
北極殿(一) 明の守護神
東嶽殿(一) 概説
五妃廟
普済殿(一) 観音寺の面影
小南天土地公廟(一) 寧靖王ゆかりの土地公廟


 上の写真は大天后宮の後殿。並ぶ位牌の中で、中央は前後に二つ重なった状態なのが分かるだろう(見辛ければ写真をクリックしてね)。重なった手前の低いものが、寧靖王の神位である。

 さて、ひとしきりブログの宣伝をした上で、本題に入ろう。
 寧靖王は台湾にとっての重要人物であるが、明や清にとってはそうでもない。日本の学校で明の滅亡を勉強する際にも、寧靖王の名前はまず出ない。その意味では、エアポケットに入ったような存在である。

 そんな人物を知るために、陳文達『臺灣縣志』を読んでみる。清代の1720年に成立した同書には「明寧靖王傳」が立てられ、かなりきちんとした伝が記されている。台湾文献叢刊本を引用しつつ、解説してみた。
 浙江、福建、広州あたりの地理が頭に入っていないと読みづらい記述であり、間違いがあるかも知れない。原文と照らし合わせて、問題があればご指摘いただければと思う。

明寧靖王傳
 寧靖王、名術桂、字天球、別號一元子。明太祖九世孫。始授輔國將軍。娶公安羅氏女、早逝。

 最初のパートは訳すまでもない。朱術桂(字は天球)という名で、朱元璋(太祖)の九世の孫。まだ明が健在だった頃に、まず輔國將軍となった。最初の妻には先立たれた。

 崇禎壬午寇亂、王避湖中。甲申京師陷、崇禎帝殉社稷。福王嗣立於建業、王入朝、晉鎮國將軍、守浙之寧海縣。乙酉、浙郡邑盡歸本朝、監國封王為長陽王。鄭芝龍據閩、尊唐王為帝、建號隆武。王奉表稱賀、改封寧靖。

 崇禎壬午寇亂とは、1642年に後金(後の清)や李自成らによって起こされた兵乱である。1644年に京師(ここでは北京のこと)が陥落して崇禎帝が殺され、明帝国は滅亡する。その時、寧靖王は湖中(浙江省湖州?)にいたため難を逃れた。
 その後、福王(朱常洵)の子が建業(南京)において皇帝に擁立され(弘光帝)、一般には「南明」と呼ばれる政権が誕生する。朱術桂は南明の晉鎮國將軍に任じられ寧波(ニンポー)の辺りの守護を担当した。
 ただし弘光帝はたった一年で清軍に捕えられて殺されている。敗北や皇帝の死は文面に書かれないので、補足しながら読む必要がある。

 ついで、浙江州を平定した功により、監國の朱以海(魯王)は彼を長陽王に任じた。なお、監國はほぼ皇帝と等しい存在。ただしこの監國も、すぐに浙江を追われる。
 続いて、閩南(福建)を本拠地とする鄭芝龍(鄭成功の父)が、唐王(朱聿鍵)を隆武帝として即位させる。この皇帝が、朱術桂に寧靖王という名を与えた。ついでに言えば、鄭成功に「國姓」を与えたのもこの皇帝である。

 南明は名目上は明の後継だが、実際には何の力もない地方勢力に過ぎない。寧靖王は、一族の中で遠縁だったおかげで、神輿を担がれずに済んだわけだ。
 まぁこの期に及んでも監國と隆武帝が争ったりして、明の皇帝という地位に魅力を感じる王族は少なくなかったようだが、即位すれば清軍の攻撃対象になって殺されてしまうという、負のスパイラルにはまっている。
 そして重要なのは、鄭芝龍が登場すること。後に息子とは袂を分かつ父だが、ともかく福建の地方勢力(というか海賊の頭)の鄭氏と寧靖王が出会ったわけである。

 丙戌五月、大師渡錢塘、王奔避寧海、乘舟南下。歲杪、抵廈門。值粵東故將李承棟奉桂王之子稱帝肇慶、改元永曆、王因入揭陽。庚寅冬、粵事又潰。辛卯春、王旋閩、處金門。及鄭成功取臺灣、王遂東渡。成功事王、禮意有加。成功死、授餐之典廢、乃就竹滬墾田數十甲以資身。

 1646年5月に大軍が銭塘江を渡り、寧靖王は寧波付近から船で南へ逃げる。そして年末には廈門(アモイ)に至った。なおこの間に監國朱以海は鄭成功とともに逃亡、隆武帝は清軍に捕えられて自害している。鄭芝龍が清に寝返ったのもこの年である。
 そこで粵東(広東)で桂王の子(朱由榔)を帝肇慶と称して即位させる。これが永暦帝である。寧靖王は広東の揭陽に拠った。永暦帝は鄭成功を延平(郡)王に任じている。なお、この頃まで鄭成功の配下だったのが、後に鄭氏政権を滅ぼす施琅である。

 しかし1650年に広東も清に奪われ、1651年に寧靖王は閩南の金門島に渡った(永暦帝は雲南からビルマまで逃げたが、1661年に捕えられて殺害)。ここから十年間、鄭成功らの抵抗が続いたわけだが、その辺は割愛されており、やがて台湾攻略に伴って1662年に台南へ遷った。
 鄭成功は寧靖王に仕えたが、彼が亡くなって鄭経が後を継ぐと、王に対して食事を奉ることをやめた。その代わりに竹滬(現在の高雄市路竹区)の田をもらうことになる。これは鄭経が崇敬の念を捨てたのではなく、王が自立を志向したという記述だろう。

 清に攻め込まれて絶対的劣勢にありながら、まとまることもなく身内で争い続けた南明は、結局は1661年に永暦帝が死んで滅亡する。その中で、争いに巻き込まれずに生き延びた寧靖王をどう評価すべきなのかは、私には分からない。
 ただし同じく鄭成功を頼っていた監國朱以海は、1662年に亡くなったが、これは病死である。寧靖王の幸運も、清軍の弱みである水軍を握っていた鄭成功とうまく関係を保てたからなのだろう。

 そうして寧靖王の王宮が、現在の台南中心部に造られた。
 王宮の中心は大天后宮であり、祀典武廟もその一部にあたる。

 戊午、聞靖海將軍侯施琅調集水軍進討、王獨憂之。癸亥六月、克澎湖。王乃大書曰「自壬午流賊陷荊州、攜家南下。甲申、避亂閩海。總為幾莖頭髮、保全遺體、遠潛外國。今四十餘年、六十有六歲、時逢大難、全髮冠裳而死、不負高皇、不負父母。生事畢矣、無愧無怍。」

 伝記は台南在住時のことを何も語らず、いきなり最期の時の物語となる。
 1678年に、施琅が水軍を組織していることを知り、寧靖王は憂えた。そして1683年6月、澎湖諸島が施琅に攻め落とされる。王はこのように記す。
「1642年以降、賊軍は荊州を陥落させたので、家族を連れて南下した。1644年には閩南に向かい、乱を避けた。いつの間にか頭髪も少なくなり、遺された身体を全うして、遠く外国に潜んでいる。今、乱が始まって四十数年、六十六歳になって大難に遭うが、きちんとした身なりで死に、天の神に背かず、父母に背くこともない。私の生涯はこれで終わるが、恥じるところは何もない。」

 次日、校役昇主人柩、王視之、無他言。但曰「未時」。即加翼善冠、服四團龍袍、束玉帶、佩印綬、將寧靖王麟鈕印送歸鄭克塽、拜辭天地祖宗。又書絕命詞曰「艱辛避海外、總為幾根髮。而今事畢矣、祖宗應容納。」 書罷、結帛於樑自經。且曰「我去」、逐絕。眾扶之下、顏色如生。藁葬於鳳山縣長治里竹滬、與元妃羅氏合焉。

 翌日、王宮の者が寧靖王を納める棺を造ってくると、王はそれを見て「未の時だ」とだけ告げた。それから王は正装に着替え、寧靖王の印を鄭克塽(鄭経の子。この当時の鄭氏政権の主)の元へ送り返し、神々を拝んだ。そして死に臨んで詩を詠み、絹を結んで梁で首を吊った。「私は行くぞ」と言って息絶えた。

 王無嗣,以益王裔宗位之子儼鉁為後。時年七歲、安置河南開封府杞縣。

 寧靖王には子どもがいなかったので、儼鉁という一族の者に杞県(河南省)の廟墓を祀らせた。以上で伝記は終わりである。

 澎湖諸島の陥落が死の契機になったというのは、だいたいどの書物も一致するようだ。寧靖王は施琅がどんな武将かを知っている。鄭克塽が台湾を守れるとは思わなかっただろう。そこで、屈辱を受ける前に立派な死を選んだわけである。
 この際に五妃が王とともに死ぬことを選び、五妃廟に祀られた。寧靖王自身は、自分の王宮(後の大天后宮)で辞世の句を遺し、首を吊って果てた。

 ちなみに鄭克塽は降服して許され、天寿を全うしている。ならば寧靖王も……とはいかないだろう。鄭克塽は責任を親や祖父に押しつければ生きる道もあるが、寧靖王は、たとえ当人にその気がなくとも復明の象徴として利用されるのだ(現に三藩の乱に鄭経が加わった際には、寧靖王の存在を誇示していた)。

 いずれにせよ、寧靖王は66年とされる生涯のうち20年以上を台南で過ごした。皇帝を自称しては殺される同族のなかで、平穏な時をおくることもできたのだから、それなりに幸せだったという感懐になるのだろう。

北極殿
 寧靖王の遺蹟は、基本的にはすべて排除されている。五妃廟の他には、この北極殿の扁額(見辛くてすまん)が唯一である。
 それでも台南には、寧靖王の伝承に彩られた廟や史蹟があちこちにある。上の伝記に抜けている台南時代を、いろいろ想像しながら街歩きすれば、台南観光はぐっと深みを増すはずだ。


 なお(一)と題してみたが、(二)があるかは未定。
 しんどい企画なので、そうそう続編を、というわけにはいかないので御座候。

2010/10/10

台湾から日本を知る(ネット通販で買った本)

 博客來で購入した本を、久々に紹介してみる。購入時期は四月なので、五月の旅行までに読んでいるし、既に何度か記事で触れているものもある。
 気になった人は是非買って読むべし。博客來のネット通販の方法はこちらを参照しておくれやす(実は当ブログで一番の人気記事だ)


●陳柔縉『台灣西方文明初體驗』(麥田出版2005.7.11)

 タイトルの通り、台湾に西洋文明がどのように伝わったかをまとめた本。学術書スタイルではなく、「珈琲店」「功克力(チョコレート)」などの項目別にさらっとまとめてあるので、中国語文が苦手な人でもあまり苦労しない。というか、むしろ日本の読者の方が読みやすいかも。
 というのも、実質的にこの本の内容は、台湾の日本統治時代を振り返るものとなっている。その上、当時の資料として載せられているのは、新聞や雑誌の広告が主。広告はほぼすべて日本語で、台湾人の読者向けに解説があるけれど、日本の読者は解説なしに読めるゾ。
 「百貨公司」に営業中の林百貨店が紹介されているなど、旅行者にも役立つ記述はある。まぁしかし、どちらかといえば台湾というよりも過去の日本を振り返る本という感じだ。


●陳柔縉『台灣摩登老廣告』(皇冠文化出版2008.9.15)
 『台灣西方文明初體驗』と同じ著者による本。出版社は違うが、だいたい内容も似たようなもの。「摩登」はモダンと発音すべし。
 今回も資料の大半は広告なわけだが、タイトルにまで広告と入ってしまったのは、前著で評判が良かったからではないかと思われる。ただし前著と同様に、広告ばかりが目立つと台湾っぽさが消えてしまう。
 台湾人にとっては、かつての台湾は日本ぽかったと知ること自体が、新鮮な驚きなのかも知れない。なのでderorenの感じる物足りなさは、あくまで日本の読者というイレギュラーな立場であると断わっておく。
 なお、この本のハイライトはやはり「禿頭薬」だろう。三共「ヨゥモトニック」の広告は、台湾人にも衝撃を与えたに違いない。


●陳柔縉『囍事台灣』(開啟文化出版2009.11.12)
 これも同じ著者だ。台湾はじめて物語シリーズとしては、この三冊ということになる。なお、『宮前町九十番地』も注文済みなので、いずれ紹介するだろう。
 タイトルからは、結婚関係の故事の本にしか思えないが、実際にはパンやタクシーとか海外旅行など、前の二冊と同様の構成である。台北動物園の開祖など、間違って伝えられていることを正す記述が目立つ。
 一部階層のみが享受したものだけではなく、海水浴場や動物園といったものを取り上げている。個々の内容にも台湾人の体験が多く、また一部は国民党政権後まで拾っている。


●鄭道聰『小西門:台南前世今生』(大億吉祥2009.9.1)
 これは既に紹介済。最近の記事で何度も登場しているように、台南街歩きをするなら買って損はない。陳柔縉氏より深みのある内容で、台湾で生きることの難しさを考えさせてくれる点でも推薦する。


 最近の台湾は、昔語りの本がブームとなっている。ネット書店で「那個(その)」と検索すれば、山のように懐旧本が見つかるぐらいだ。
 もちろんそれは、ただ出版のみの現象ではない。「百年老店」ブーム(たとえば振發茶行)、レトロ建築の再生(海安路のこれとか山林事務所とか)、街並み保存(たとえば神農街)など、日本と同様に商業ベースにも乗りながら行われている。今回紹介した四冊は、そういう流れの中にある(主導している)。
 ちなみに、台南には那個年代という名の知れたレストランがあるよ。

 忘れてはならないのは、こうした本は長らく出版出来なかったという点だ。
 近代化が遅れていた大陸から遷った国民党政権は、日本時代をとりあえず全否定することで、どうにかアイデンティティを保とうとした。つまり、すべて「なかったこと」にされた過去を、民主化とともに取り戻す動きなのである。

 正直言えば、陳柔縉氏の本は日本統治時代を美化しすぎである。
 そもそも、西方文明を台湾で「初体験」していた大半は、台湾に移住した日本人であり、ごく限られた台湾人の富裕層が混じっていたに過ぎない(ヨーグルトの購買家庭一覧など、広告もそれを示している)。本当の意味で台湾人の体験を紹介するのであれば、国民党政権時代まで広げなければおかしい(『囍事台灣』は多少改善されている)。
 鄭道聰氏はその点で、バランス感覚に優れている。もっともそれは、自身の半生を振り返るスタイルだから当然といえば当然だ。陳柔縉氏も、ここに挙げたような本だけの人ではないので、その辺は誤解なきよう。

 日本の読者は、陳柔縉氏の本で「日本を知る」ことになるはずだ。昔の広告を見るだけでも笑えると思う。今では許されない誇大広告ばかりだゾ。

神農街
 文字だけで寂しいので神農街の写真を載せておこう。ここはかつて北勢街と呼ばれた港町で、昨今は台南を代表するレトロな街並みとして人気でござる。

2010/04/28

鄭道聰著『小西門:台南前世今生』を読む

 つい最近、通販で購入この本の公式ブログはこちら
 鄭道聰氏は台南市文化協会の理事長として、台南の歴史や文化の保存などに関わっている人のようだ。そしてこの本の印税は、總趕宮の修復費用に宛てられるという。ちょっと高いような気がしたけれど、まぁそれなら一石二鳥で良しというところ。

 本の内容は、小西門を見上げながら生まれ育った少年「阿俊」が、台南の街の移り変わりを語っていくもの。小西門は国民党時代に道路拡幅のため取り壊された(一応、成功大学に移築)。激しく変化する街の象徴をタイトルにしたようである(私の中文読解力には限界があることを断わっておきます)。
 この本の面白さは、日本との関係、外省人との関係、国民党との関係、そういったものを感覚的に知ることができる点にあろう。それはまさしく少年の目を通して、少年の体験として描いているからに他ならない。
 特に外省人絡みのエピソードは、一介の観光客に過ぎない我々には分からない微妙な関係性が読めた。これだけでも買う価値がある。

 もちろん、台南にまつわる古い写真など資料的価値もある。洋食屋「カピタン」の写真は印象に残った。
 そして最後に衝撃の「鄭成功の頌」である。台湾の学校で歌わされた唱歌の存在は、全く知らなかった。歌詞を知りたい人は是非この本を買って欲しいので、あまり細かくは紹介しないが、八番(最後)の歌詞を読むと、鄭成功の遺志を継いだのが台湾総督府だ、という物語がみえてくる。
 台南に関する知識が全くない人が読むには辛いだろうが、一度でも歩いたことのある旅行者にとっては、必ず何かの発見があるはず。是非買おう。


 志業はついに成らざれど 明治の御代の御光に
 君の偉功は現れて 開山神社の月清し
     (『公学校唱歌』より「鄭成功の頌」)

2010/03/30

『福爾摩沙植物記』(ガイドブック紹介 番外)

 前衛出版社・遠足文化と並び、derorenは遠流台湾館の良い顧客である。「歴史深度旅遊」シリーズは台南・台北で計四冊購入、そして植物の本まで買ったわけだ。
 『福爾摩沙植物記』(潘富俊著)は、「101種台灣植物文化圖鑑&27則台灣植物文化議題」とサブタイトルがあるように、台湾(フォルモサ、美麗島)で見かける植物の図鑑である。特徴は伝来時期ごとに区分していることで、最初に元々の自生種を紹介した後、オランダ以前の伝来、オランダ時代、鄭氏時代……と区分されている。

 この本は、上のリンク先でも分かるように表紙から中まで綺麗なイラストが満載である。その辺も良さそうだと思って、やや高いけど買ってみた。そして、買ってびっくりだ。
 購入を検討する人に言っておこう。この綺麗なイラストは岩崎灌園『本草図譜』である。私は花の関係の仕事もしているので、そちらで良くお世話になっている江戸時代最強の写生画集だ。どうやら台北の林業試験所図書館に所蔵があるらしく、著作権も発生しないから便利に使っているようだ。

 岩崎『本草図譜』は、リンク(直接はれない形式なので国立国会図書館の貴重書画像データベースからタイトルで検索しておくれやす)で見れば分かるように、一応は本草学的な分類を踏襲しつつも、ドイツの植物誌などを取り込んでいる。なので、実は日本になかった植物も沢山載っている。ドイツの出版物を写したせいで、得体の知れない植物すらあるから、引用する際には注意が必要である。
 ざっと見た範囲で言えば、鳳梨(パイナップル)の紹介で掲載されたイラストが、どう見てもアダンという例が気になった。「巻68(果部夷果類2)」で該当部分を見つけた(気になった人は上のリンクから辿ろう)ので確認すると、何と「波羅蜜」だとある。その別名に「鳳梨」があって、これがまさかの『台湾府志』から。説明文中には、実の繊維で筆を作り、それを「あだんふて」、つまりアダン筆と呼ぶとある。探したらこんな記事があった。まさしくアダンであって、パイナップルではない。
 要するに岩崎灌園は、ジャックフルーツ(波羅蜜)、パイナップル、アダンを混同している。それは彼が、少なくともアダン以外は全く見たことがなかったせいではないかと想像される(アダンは琉球にあったから、情報は入りそうだ)。

 この場合、問題なのはあくまで岩崎灌園がパイナップルを知らずに載せた点である。しかし、それを知っているはずの潘富俊氏が、「正確には頂部の葉の中に実が着くよ」なんて白々しい説明まで加えているのはいただけない。結局、欲しかったのは綺麗なイラストであって、学術的価値は二の次だったのかも知れない(この書物の位置づけ自体が)。
 まぁそんなわけで、手放しには薦めづらい本ではある。それでもまぁ、好きな人なら楽しめるだろうから、台湾の花好きな人は購入を検討しても悪くはない………って、全く薦めている文章ではないな。

仙丹花(サンタンカ)
 掲載植物から一つ。
 仙丹花は清朝時代の渡来だそうだ。日本ではサンタンカ(山丹花)で、なぜか一字違うようでござるよ。

2010/03/21

日本の台北ガイドブックは、なぜ魅力に乏しいのか?(ガイドブック紹介 その5)

 徹底的に台南びいきの当ブログであるが、次回訪台の際には台北に数泊する予定となっている。
 さぁしかし、台北でどこに行けばいいだろう? 小吃店探訪の方は、まぁそれほど心配していないのだが、見学箇所に困るわけだ。
 で、既に買ってある台北ガイド(以前に一応は紹介したように、「地球の歩き方」「JTBララチッタ」「いい旅・街歩き」「るるぶ台湾」「大人の台湾極楽ガイド」)を熟読してみた。しかし結論は、どうにも魅力に乏しいというものになった。

 なぜだろう?
 仕方がないのでまた博客來網路書店で数冊購入してみた(遂にダイヤモンド会員昇格決定だ)。するとびっくり、台北は面白そうなのである。

談齊好著『台北』(明窗出版社 2008)
 明窗出版社というのは香港の出版社。従ってこれは、香港の旅行者向けの台北ガイドということになる。香港から入国する手続きなどが書いてあって、日本より面倒なのに(今さらだが)驚いた。
 それはともかく、めくって見ると間違いなく日本のどのガイドブックより上である。なぜだろうといろいろ考えてみたが、どうも一番の理由は旅行者の欲望に素直だからではないかと思う。

 内容は、捷運(MRT)の駅ごとに名所や名店を紹介する形。なので迪化街など、駅から遠い地域が載っていなかったりする。永康街は載っているけど。
 日本のガイドと異なる点は、まずショッピングにかなりの力点が置かれている点。百貨店やブランドショップ、書店などに多くのページが割かれる一方、お土産関係の店はほとんど載らない。マッサージも紹介なし。茶藝館はほとんどなく、老舗喫茶店などが多い。大皿料理の店よりも小吃店が多い。ビジネスホテルは基本的に割愛され、その代わりに北投温泉のホテルや陽明山・九份の民宿など、それ自体が観光施設といえる箇所はじっくり紹介されている。
 観光名所のラインナップも大きく異なる。衛兵の交代がどうのなんてのは、全く記載もない。故宮博物院も紹介されない。北投、淡水、陽明山、九份などの郊外は丁寧におさえられている。

 これらから見えてくるのは、ショッピング(ブランド品やタレントグッズなど)、香港にない景観(山と温泉)が両輪なのだろうということ。「台湾だから**しなきゃ」みたいな感覚はないので、烏龍茶よりも紅茶や珈琲の店を紹介する(九份の茶藝館を紹介する写真で、茶藝スペースはいつも日本人でいっぱいだなどと書いてあるのは象徴的だ)。
 もちろん私自身にとって、迪化街や故宮博物院が載っていないガイドは不便である。しかし、どちらも数ページ程度の紹介では何も分からないのも事実で、必要ならそれ専用のガイドを用意すればいいと考えることもできる。
 とりあえず私はこのガイドを読んで、郊外の宿泊施設に関心をもった。何でも手広く扱うガイドブックは何の関心も与えてくれなかったのだから、これはこれでガイドブックとしての価値があるのだ。

 翻って日本のガイドブックを見ると、ツアーで訪れる箇所とツアー客が泊まるホテルを丁寧におさえている。ツアー業者にとっては、「訪問先はガイドに載ってますよ」という質的保証の役割を果たすことだろう。しかし、ガイドブックを本当に必要とするのは、ガチガチのツアー客ではない。
 もっと正直にいえば、日本のガイドブックの作り手は本当に台北に行きたいと思っているのか?、という疑問もある。行きたい人間ならもっと記事に優劣を付けるはずだ。

 昔、某社の京都のガイドブックの編集現場に関わったことがあるが、そこでは全く観光の知識がない社員が、機械的に電話取材を続けていた。出来上がったガイドブックはつまらない上に間違いだらけだった(念のため言うが、最大手に属するガイドブックでの話だ)。
 私の記憶にはそれが残っているので、つまらないガイドブックの裏には、退屈そうな編集の顔を思い描くことになる。台北なら台北の魅力を自分こそが紹介してやろうという、野心と自信が読み取れるガイドブックを、願わくば手にしたいものである。

※同時に買った別の台北ガイドについて、別途記事を書く予定。そちらも併せてお読みくだされ。

2009/12/27

『喝茶、找茶、玩茶』を読む

 最近通販で買った本に『喝茶.找茶.玩茶』(宇河文化出版有限公司)がある。定価300元なので、送料を含めれば1300円ほどになる。
 この本は「台灣八大茶區深度導覽」と副題があって、茶葉の種類や特徴、主な茶葉の生産地紹介などから成り立っている。はっきり言って、茶藝館でくつろぐのが趣味という人向けの書籍ではない。基本的には生産者側の情報だからだ(日本でも農協や行政がらみの出版物はたいがい微妙な出来だ)。
 茶の味や茶器の選び方などを知りたい人は、同じ書店の「茶風系列」シリーズで別の本を買った方が良い。ただし、そういう方面の知識なら、日本語の書籍やWEB情報もけっこうあるので、無理に台湾書籍を買うこともないだろう。

 まぁ正直言えば「買って損した」類の本なのだろうが、そこそこ楽しめているのは、第一章「茶之邂逅」がそれなりに興味深かったからである。
 この章は順に「茶業的種類」「台湾茶重要品種」「台湾評鑑茶」「台湾八大特色茶」となっていて、小売の場の商品名ではなく品種改良された茶葉の種類などが書かれている。要するに日本の米ならば、産地ブランドじゃなくて「つや姫(うまいから来年秋に買ってね!)」「はえぬき」「コシヒカリ」といった品種を、ちゃんと登録名(たとえば「つや姫」は「山形97号」だ)から紹介しているのである。
 金萱茶は「台茶12号」で民国70年(1981)に命名、翠玉は「台茶13号」でこれも民国70年(1981)命名、紅玉は「台茶18号」で民国92年(2003)に愛称がつけられたばかり、などなど。まぁ実はこの程度の知識は、WEBでちょっと探せば見つかる。要するに、自分はそれをやるほどの関心がなかったに過ぎないのだが。
 等級別の市場価格表が載っているのは珍しいのではないか。自分の買う茶は相当に下のランクなのだなぁとか、一番上のランクはそんなに味が違うのかなぁとか、いろいろ興味深い。

 第二章は産地紹介。「八大」茶とは、文山包種茶、凍頂烏龍茶、台湾紅茶、白毫烏龍茶、鉄観音茶、緑茶、高山茶、低海抜半球型包種茶で、それぞれの産地、生産農家の紹介がある。オマケのように生産地区を歩くモデルルートや宿泊施設も載っているが、少なくとも日本の観光客がこれを見て観光できるかは疑問である。
 その中の高山茶の項に、南投県仁愛郷の産地紹介がある。振発茶行で買う「合歓山高山茶」はどうやらここのものらしいので読んでみたら、民国94年(2005)に仁愛郷農会が新たに命名したブランドだと書いてあった。私がこの本を買って、「まぁ良かったかな」と思えた瞬間であった。
 こうなると振発茶行の安い「烏龍種」の素性も知りたくなるが、まぁこれだけでは確かめようもない。次に行く機会があれば聞いてみるのが一番か。
 
 ともあれ、万人に勧められる本ではなく、むしろ日本語の書籍を買うべきだと思う。それでも関心があったら読んでみてはどうか、と消極的に宣伝しておく。
 どうでもいいけど、この本を買ってる日本人がいるのね。それも同じbloggerで。神田の東方や内山には置いてあるのかなぁ?

2009/12/21

台湾の書店でネット通販(博客來網路書店編)

 限られた旅行の時間を書店巡りで費やすのはもったいないなぁ、という所から始まったネット書店の利用。幸い、台湾の書店のネット通販は、大手ならだいたい日本発送可能である。
 もちろん、日本にも台湾書を扱う書店はある。それらの店の利点は、購入に際して日本語が通じること。その代わり品揃えは現地書店に全く及ばない上に、べらぼうに高い。まして某○方書店のように、日本の書店のネット通販で台湾書を買うとなれば、なんのメリットもないと断言して良い(かつての利用者として言っておく)。

 ここでは台湾のネット書店の最大手、博客來網路書店の利用法を紹介する。
 博客來網路書店は、台湾の大企業、統一グループに属する。統一グループには台湾のセブンイレブンが含まれるので、注文したものをセブンイレブンで受け取ることも可能らしい。ただし、あくまで台湾国内の話である。
 この書店が扱う品目は、台湾・大陸・日本などの書籍、DVD、CD、ホテル宿泊券、映画チケット、食品、生活用品、家電など非常に幅広い。ただし、食品や生活用品、家電などは海外発送不可となっている。台湾の書籍、アジア圏の音楽CDやドラマDVDなどが、主な購入対象となろう。
 通販にあたっては、次のような手順を踏む。

1:会員になる……パスポートとクレジットカードが必要
2:通販サイトで商品を選ぶ……日本のネット通販と同様
3:商品の状態確認……台湾書籍か大陸書籍かなどによって、到着日数が大きく変わる
4:購入……海外からはカード払いのみ

 このうち、ややこしいのは1と3である。

※2011.5追記
 博客來サイトがリニューアルされたので、以下のキャプチャー画像とは異なっている可能性があります。
 また書籍とDVDやCDでは、発送経路や送料が異なるかも知れません。購入手続きまでは一緒なので、特に問題はないでしょう。送料が書籍より高くなることもないでしょう(重量的に考えて)。


1:会員になる
 はっきり言って、これが出来れば八割方クリアーしたようなものだ。
 まず、http://www.books.com.tw/を開く(当たり前だ)。
 右上の「加入會員」を押す。すると「博客來網路書店-服務條款」という注意事項のページになるので、そこの「同意」ボタンを押す。すると下の画面になる。


 会員張號(ID)、密嗎(パスワード)、メールアドレスを登録。ごく一般的な手続きである。ちなみにderorenはGmailのアドレスを登録している。
 IDが他人とかぶってなければ、「下一歩」を押す。なお、画面の下の方に書いてあるのは、振り込め詐欺への注意である。



 ここが登録のメイン画面である(データが滅茶苦茶なのは笑って流すように)。
 注意すべき点としては、「非本国籍」を選んでパスポート番号を入れること、居住地で海外を選ぶこと。住所は購入時に改めて指定出来るので、ここでは日本で普通に書くように書けば良い。
 「下一歩」を押せば、あとは分かるだろう。登録メールアドレスに「博客來會員認證信函」というメールが届いたら、そこに記された確認用ページを開いて、登録終了。「會員專區」画面となる。

※追記 氏名と住所は台湾の字体にしないと、伝票上で文字化けする可能性がある。(こちらのオンライン変換サイト)で変換したものを使うべし。


 上の画像はポチッと押すと拡大する。
 画面左の「最新訊息」は書店からの情報。下の「個人功能」の最後の方にある「博客來訊息通知」ですべてを確認できる。なお、登録アドレスにも基本的に同じ内容が届くが、OCS(台湾→日本の輸送会社)の送り状番号はメールに記載されないので注意。
 ついでに説明しておくと、購入品は博客來からOCSへ渡り、日本で税関を通った後に佐川急便に渡る。OCSが税関処理をした翌日に、佐川の兄ちゃんが荷物を届けることになるが、佐川の送り状番号は分からないのが難点といえば難点。

 さて、左「個人功能」で通常確認すべきなのは「查詢訂購記錄」、要するに購入した商品の記録だ。ここを押して、日付指定画面は何も入れずに「查詢」ボタンを押せば半年分のデータが見れる。
 あとは住所氏名などの訂正が「修改個人資料」、その下はパスワード変更だ。

 で、上の画面で一番目立つのが「白金會員」であろう。右の「每月會員等級」で分かるように、購入額に応じてランクが上がるシステムである。で、プラチナ会員はダイヤモンド会員に次ぐ上から二番目のランクだ。
 さらに、右下の「次次月等級預測」では、あと何回、いくら買えばランクが上がるのか書かれている。私の場合は、金額的にはダイヤモンド会員になれるが、あと三回購入手続きをしなければならない。
 ただし、はっきり言ってランクが上がってもメリットはほとんどない。だいたい、一冊ずつ購入手続きをすればあっという間に回数なんて稼げるのだ(別々に処理しても、同一日の注文なら結局はまとめて届く)。

2:商品検索の注意事項
 特にないが、字体の違いに気をつけよう。検索して結果が0だった場合は、入力した文字列に、台湾の字体と異なるものが含まれているのでは、と疑った方が良い。見当がつかなかったら、とりあえず文字列を削って短くしてみるか、検索したい文字列を(オンライン変換サイト)で変換してみよう。
 買いたい物は「放入購物車」ボタンを押せば、とりあえずカートに入る(もちろんこれは購入決定ではないので取り消し可能)。そのボタンの上に「庫存=4」などとあるのが在庫。数字は0でなければ気にする必要なし。「0」でもボタンを押せるヤツは、そのうち買えるが時間がかかる。ボタンを押せないものは品切。

3:在庫確認
 また書籍の場合、「語言」という項目がある。
 「繁體中文」とあれば基本的に台湾の出版社、「簡體中文」は大陸だが、これは単に字体の違いを示すだけではないので注意。
 同じく「庫存=?」と在庫有り表示がされていても、その在庫がどこにあるのかという問題がある。「繁體中文」であれば手元にあるので、購入手続き後2~3日のうちには発送されるが、「簡體中文」は「海外庫存」、つまり大陸からの取り寄せとなる。下手すると二週間以上かかるぞ。
 なので、購入時に「繁體中文」と「簡體中文」を同時注文することはオススメしない。「簡體中文」は、台湾にとっても所詮は外国書籍だということだろう(日本で買うより安いので、急がなければメリットはある)。

 日本の書籍も売っているが、購入不可。日本書の翻訳版はもちろん買える。日本資本の雑誌(Taipei Walkerなど)も買える(ただし安い雑誌は二冊同時購入などの縛りがかかる場合あり)。
 それと、値引き販売の国なので、その辺をうまく活かすべし。雑誌でも、バックナンバーを特売することがある。私は雑誌「食尚玩家」の3冊100元セールを利用した。

4:購入
 画面右上の「購物車」を押すと、「放入購物車」ボタンでカートに入れた一覧が表示される。


 上はクリックで大きくなるぞ。
 この画面で大切なのは「庫存」表示。ここが「無」の場合は、購入手続きをしても在庫有りになるまで待たされる。また「預售」は海外の倉庫にあるので時間がかかる。
 もしもこの状態で購入手続きをすれば、三度に分けて荷物が到着することになる。何度になろうが送料は変わらないので、受け取る手間が気にならなければそのまま手続きしても良い。
 購入をちょっとやめようかなと思ったら「下次再買」を押す。「下次再買清單」に避けておき、たまにチェックして「有」になったら購入することも出来る。

 で、いよいよ購入だ。
 画面右下の「海外」ボタンを押そう。


 まず一番上の選択肢は「信用卡線上刷卡一次付清」、つまりカード払いを選択。ATMは台湾国内でしか選択出来ない。
 上の画像の「OK」マークは、選択すると出てくる。

 次に住所を記入する。ここはきちんと書かないと届かない。が、日本と台湾では住居表示の制度が違うので、そのまま書くわけにはいかないのだ。私は上の画面のように書いている。つまり、こうである(例が不穏当なのは気にするな)。
地址:町名・字など(例:地獄3丁目2-666 ダミアン京都1302)
城市:都道府県名(例:霊能県)
州/省/區:市町村(例:悪霊郡巫覡町)
郵遞區號:(例:666-1313)
國家:JAPAN
 これは決して台湾的には正しくないが、ラベルに表示される際に最も穏当ではないかと思われる順序だと思う。実際、問題なく届いている。

 ここまで書いたら、あとは「下一歩」を押して進めていくべし。金額を確認すると、送料の高さにびっくりするだろうが、これでも日本で買う半値以下なのだ。
 最後にクレジットカードの認証があるけれど、まぁこれはどこの国でも同じなので割愛する。無事に購入手続きが完了すれば、登録アドレスにメールが届く。また「查詢訂購記錄」に記録が残る。
 「查詢訂購記錄」(上で触れた場所)では、本が今どういう状況なのかも確認出来る。「調貨中」などを経て「出貨中」となり、「已出貨」となれば業者に引き渡されたことになる。
 在庫有りの書籍であれば、2~3日で「出貨中」になり、翌日には「已出貨」となるだろう。

5:到着まで
 出貨された書籍はOCSという輸入業者に渡され、航空便で日本へ送られ税関を通過する。その際に10000円を超えていると、税を徴収される。また検査のため開封されることがあるようだ。

※2011.5に注文した書籍は、OCSではなくFedExに依託されていた。いずれにせよ税関を通って運ばれることは同じ。送り状番号はメールに載っている。
 DHLに依託される場合もある。FedExより一日余計にかかる模様。

 税関を通った書籍は佐川急便に手渡される(※輸入業者によって異なる)。なおOCSについては「博客來訊息通知」の「出貨通知」に送り状番号があるので、そちらで状況を確認可能。日本の税関を経て引き渡されたと表示があれば、その翌日には家に届くだろう(都道府県によって違う?)。
 佐川の番号は分からない。また、受け取り時に税を徴収される可能性がある。受取は印鑑ではなく、カタカナのサインである。
 受け取ったら中身を確認しよう。残念ながら、某密林のように丁寧な包装にはなっていないので、たまに表紙に傷がついていることもある。返品が可能かどうかは知らない(個人的には、安く買えるんだからどうでもいい)。

 べらぼうに長い記事となったが、台湾のネット書店から本を買う方法はこれにておしまいおしまい。ちなみに、上の画像でカートに入っているものはダミーであって、購入していない。『台湾宗教論集』はそのうち買うけど。
 新入会員の画面は、当然ながら途中で止めているので、これ以外にも手続きがあるかも知れない。また全般に、この記事の通りにやって失敗しても、一切の責任は負わないので念のため。

2009/08/01

旅名人ブックス「台南」正誤表(非公式)

 『台南―台湾史のルーツを訪ねる』(日経BP 旅名人ブックス)は、台南に出掛ける上でずいぶんお世話になったガイドである。しかし何せ間違いが多いのが玉に瑕。見つけた範囲で訂正しておきたい。
※2010年2月増補。

・目次、帯、P154,158,159など
 「崇文街」→「崇安街」
 ひどいミスである。実はP76の地図だけは合っている。嘉義市には「崇文街」もあるが、おそらくは「重道崇文坊」と混同したのであろう。

・P105
 「一九一九年(大正八年)に完成した」
 一九一九年は蔡草如が生まれた年である。

・P105
 「風調順雨」→「風調雨順」
 直前の説明通りに書けば良さそうなものだが。

・P115
 「赤免馬」→「赤兎馬」
 初歩的なミス。

・P141
 写真のキャプション「法草寺」→「法華寺」

・P156、157
 「赫亦」→「赫奕」
 郭嘉の息子が泣くぞ。

・P161
 「康楽路」→「康楽街」
 間違いかどうかはともかく、現在の地名としては不適当。

・P253-256
 住所表記が全く統一されていない。区を書いたり書かなかったりするだけでなく、今は存在しない「中区」、合併後の「中西区」が混じっているのには呆れる。現地の住所表記は確かに混乱している(たぶん区名は書かなくとも支障がないのだろう)が、日本のガイドブックでそれを踏襲する必要はない。


 なお、これは誤記とは質の違う問題だが、「台南四大扁額」とはどこで呼ばれているものなのか確認できない。台南の「三大名扁」ならば現地ガイドにも載っており、一般的には「一」「了然世界」「爾來了」である。
 ただ「大丈夫」を加える説もあるようで、その場合は他のどれかを外して「三大」である。なんというか、山形市が主張する「東北四大祭り」ではあるまいし、少なくとも「四大」はないだろうと思う。

 もう一つ、鹿耳門の問題についてはこちらの記事に書いた。

2009/06/29

まだガイドを買うのか その4

 あまりに買い過ぎて、来月は博客來網路書店プラチナ会員に昇格らしい。というか、金額的には既に最上級の鑚石(ダイヤモンド)会員の資格を得ているわけである。購入回数が足らないから昇格見送りってのも腑に落ちない。海外から一冊ずつ買う奴はいないぞ。
 ちなみに、上級会員は優恵券(クーポン)が若干もらえる。あとは誕生日に買うと5%off。それだけである。それとは別に、25元のクーポンをいくつかもらった。それだけのために大金を使う必要はない。
 実は、購入回数など簡単にクリア出来る。単にまとめ買いをせず、一冊ずつ別に手続きすれば良いのだ。どうせ同じ日に頼めば一緒に送られて来るし。

 しかし、輸入消費税の支払いはなんとも厄介だ。これと受け取りがサイン(ただしカタカナ)であるせいで、仕事先に送ってもらうわけにいかず、平日は受け取りに難儀している。免税書店はどこかにないのか。あるわけないか。

●劉豊(絵図)曹銘宗(解説)『台灣宗教之美-迎媽祖』(聯經出版公司2009.5.7)
 今回の一押し。簡単にいえば、絵本である。折り本になっていて、広げると媽祖遶境の行列が再現されている。
 媽祖の祭礼は若者をも巻き込みながら、今も台湾に根付いている。そんな主張もあちこちに読み取れる。まぁその主張については保留しておくが。
 なお、裏は裏で別の行列が描かれている。そちらも楽しい。絵本と割り切れる人なら買うべし。

●王健旺『台灣的土地公』(遠足文化2003.3.12)
 「台湾的」というタイトルは、台湾人というアイデンティティを語る政治的意図を含んでいる。国民党時代の書籍である「深度旅遊」シリーズ(遠流台湾館)が日本統治時代を抹消しようとするのに対して、民進党政権下での『台湾人的神明』『台湾的城隍廟』、そしてこの『台湾的土地公』は、国民党の植民地からの独立を意図しているようだ。
 で、なんといっても「土地公」は台湾人の核と位置づけられる信仰らしい。実体は日本の道祖神と何も変わらない、要するに土地の神を祀る信仰であって、本来は別に「台湾」という単位で語るべき対象でもなかろう。しかしそこに福徳正神という統一神格が付与され、整理されていく途上といったところなのだろう。
 考えてみれば日本の道祖神にしろ、「道祖神」という統一神格は、しょうもない一国民俗学の基盤であったに違いない。土地の神への信仰を普遍化すれば、逆に国家という単位を超えてしまうはずだ。少なくとも、台湾と日本の土地神は容易に同一視出来るのである。

●喀飛(撮影:蔡宗昇)『深度旅遊17 台南』(太雅生活館2003.11)
 台南のガイドで入手可能なものは、ほぼこれで揃えたことになる。ただ、これはハズレ。買うなら以前に紹介した他のガイドの方が役に立つ。
 なお、太雅生活館の本を一定額以上買うとパスポートケースがもらえるということで、同じシリーズの『鹿港』も買った。こっちはまだ使える。鹿港にも行きたいなぁ(台南と鹿港を同時にまわる方法はないものか)。

●林進源主編『台灣民間信仰神明大圖鑑』(進源書局1996.12/2007.4五刷)
 編者と出版社が同じというのが怪しいが、とりあえず内容は悪くなさそう(まだ読みはじめ)。拝拝の方法とか基本知識も書いてある。
 列挙される神々を見ていると、本当に誰でも祀るもんだなぁ、と感心する。そりゃまぁ、日本にも有名人の祭神はいっぱいいるけどさ。

●董芳苑『台灣宗教大觀』(前衛出版社2008.8)
 その3で紹介した『台湾人的神明』の姉妹本みたいなもの。こちらは宗教別に解説されているが、台湾独自の信仰について丁寧に解説されてあるので、そういうものに関心のある人は買っておくべし。
 まぁ董芳苑氏は解説の中に「台湾共和国」とか書いちゃうお茶目な人である。今さらだけど、台湾独自の信仰を求める動きは、台湾人というアイデンティティ確立の一環なのであろう。

●陳信聰『幽冥得度―儀式的戲劇觀點 台南市東嶽殿打城法事分析』(唐山出版社2001.7)
 「清華人
類学叢刊五」として刊行されたもの。タイトルの通り、東嶽殿の打城法事についての研究入門書である。なかなか読みづらい(というか、ある程度の予備知識が必要)だが、最近になって少し読めるようになってきた。興味のある人は買おう。

※二冊追加した(2010.1)