2009/05/05

鹿耳門天后宮

鹿耳門天后宮
 鄭成功の上陸地として有名な鹿耳門。そこに二つの宮があって、それぞれに正統を主張していると旅名人ガイド『台南』で読んだ。正統かどうかはさておき、写真で見る限りすごい建物なので是非行こうと決めていた。
 とはいえ、ここにはタクシーで行くしかない。そして、一度サヨナラしたら、次のタクシーを拾うのは難しい。そこで貸切でまわってもらうことにしたが、自力で筆談で済まそうとして失敗。やはりコミュニケーションは音声あってこそだ。
 結局、ホテルのフロントを経由して交渉してもらう。無事にタクシーは来たが、最初全く頼んでない場所に連れて行かれて焦った。言葉がしゃべれない状況では、ある程度の誤解は覚悟するしかない。出来るのは被害を最小限に食い止めることぐらいだ。
 改めて運ちゃんに地図で場所を示して、「鹿耳門天后宮→聖母廟→花園夜市」と書いたメモも見せたら、今度はちゃんと理解してくれた。地図の目的地はちゃんと赤丸で目印付けておくといいぞ。指先でははっきりしないから。
 で、天后宮と聖母廟では、見学と拝拝が終わったら運ちゃんの携帯に電話する形で、つつがなく済んだ。二時間以上の拘束で700元。日本で貸し切る値段を考えたら破格だ。日本もこれぐらい安ければどんどん使えるんだけど、まぁ運ちゃんの生活が成り立たないよなぁ。

 余談だらけになった。とにかく着いた鹿耳門天后宮。でかいぞ。

※2009.8、2011.3に増補と書き替え
 祭神の写真すら間違えていたのは、甚だ遺憾である。

鹿耳門天后宮
 お廟の側も、カメラに全く収まらない巨大さ。でかけりゃいいもんじゃねーだろ、と言いたくもなるが、大きいことはいいことだ、という説もある。我々だって、この大きさに惹かれてきたわけだし。

鹿耳門天后宮
 ここも前・中・後の三層あって、それぞれ左中右と祀られている神々を一つひとつ拝拝していく。写真は一番後ろの中央である。鹿耳門媽と書かれてあるので、恐らくは鄭成功が将来した像という触れ込みなのだろう。

鹿耳門天后宮
 内部の様子。北斗南斗などの星の神も祀ってあった。新しい廟なので、御利益のある神は何でも取り込んでいくのかも知れない。
 ただし聖母廟では大きく祀られる王爺はいかなったのではないかと思う。玉皇もいなかったような。

鹿耳門天后宮
 ここは観音。

鹿耳門天后宮
 訪問時には勘違いしていたが、これが観音像。上品な顔立ちである。

 後ろの左手奥には、やはり月老神君がいた。

 しかし、拝拝する人は少ない。ぽつりぽつりといるだけで、そのうち片づけが始まっていた。確かに我々が訪れた時間は遅かった(午後5時前後)けれど、それにしても流行ってないなぁと思った。ここは遠いから仕方ないのか……と、この時点では考えたわけだった。

鹿耳門天后宮
 ちなみに、これがここでの拝拝セット(100元)。このお菓子もお供えしてきたぞ。イマイチ拝拝の方法って判らないんだけどね。

 なお『台南―台湾史のルーツを訪ねる (旅名人ブックス) 』では、聖母廟との正統争いはこちらが優勢みたいなことを書いているが、『台南歴史深度旅遊(下)』ではかなり違ったニュアンスとなっている。
 いくつかの本を読みかけていく中で判ったことを書けば、媽祖信仰は古くもあるが新しいもののようだ。古い方は言うまでもなく鄭成功上陸から清代にかけてで、『台湾県志』にも鹿耳門の廟のことが書かれてあるそうな。
 ただしその廟はやがて廃れ、いったん鹿耳門における信仰は廃絶したというのが本当のところのようだ。むろん、鹿耳門天后宮のパンフレットには一言もそんなことは書いてないが。

 現在の信仰は日本統治時代に、ある種の融和策として大規模な祭礼を認めたことが背景にあるらしい。聖母廟はそんな時期に小さな廟を作ったのが始まりだ。
 鹿耳門天后宮はさらに新しく、国民党時代になってから創建された。で、恐らくは国民党の鄭成功英雄化に呼応するように、二つの小さな廟は求心力を高め、巨大な信仰組織に変わっていったのだろう。
 つまり、正統争いなどハナからナンセンスだ。どちらも広い意味でいえば鹿耳門地域なのだから、発掘された遺跡がどちらに近いかなど些末な問題に過ぎない。

 鄭成功軍が鹿耳門にやってきた時、媽祖は船の上に顕現し、鄭軍を守護してやろうと告げたという。そんな伝承を根拠に競う二つの宮に勝敗がつくとすれば、それは具体的な神の力しかなかろう。
 まぁここに限らず、それなりに本を読んでみると、旅名人ブックスの解説の薄っぺらさが気になり出す。日本語で一番だとしても、台湾出版物の中では誇れるような内容ではない、ということだ。観光ガイドとしてはあの程度に抑えないと、読者がついていけないだろうが。

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