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2012/05/04

景福祠から神農街へ

景福祠
 夕食を終え、海安路の駐車スペースに戻る我々。時刻はまだ午後7時半だ。
 大人だけの旅ならば、夜はこれからだぜって感じの時間だが、tomopeeに夜更かしはさせられない。

 どうでもいい話だけど、その昔、我々が住んでいるマンションには、幼い子を深夜まで外に連れ出している家族がいた。ひどい時は、深夜2時過ぎに子どもが暴れていたのだ。
 その一家は、数年前に忽然と消えた。夜逃げである。
 そんなわけで、ああいう育て方だけはすまい、とderorenは堅く心に誓っているゾ。

景福祠
 全く写真と無関係な話題になってしまった。毎度のことながら申し訳ない。
 ここは景福祠。以前に紹介したように、土地公を祀る廟だ。最初の電飾にあるように、清代の五條港の一つ、仏頭港の守護神である。巨大な蚊取線香もどきも健在だ。

景福祠
 内部も前回の訪問時と基本的に変わらないので、委細は省略する。
 なお、左右の上方に監視カメラが見える。台湾の寺廟には、本当に監視カメラが多い。というか、寺廟に限らず、そこかしこに監視カメラが付いている。すべてが動いているかは知らないけど、日本との文化の違いを感じる。

神農街
 仏頭港の跡地を歩いて海安路に出ると、今度は南勢港の路地だ。要するに神農街(北勢街)である。
 ただし、思ったよりも観光客は少ない。まぁ我々が台南を好む理由の一つは、ほどよく観光化されているこんな雰囲気なんだけど。


 こうして一日は終わる。deroren、hashi、tomopeeはホテルまで送ってもらい、そこで台南の友人たちと別れた。
 本当にありがとう、台南の皆さん。謝謝!
 derorenは、皆さんが愛する台南を、今後も日本語で紹介します。今後ともよろしく!!

2012/05/03

修安黒砂糖刨冰(水仙宮市場前)

修安黑砂糖刨冰
 石精臼蚵仔煎を出た我々が向かったのは、徒歩1分もかからない距離の店だ。
 そもそも水仙宮市場前の國華街は、民族路から民権路までのおよそ100mの間に、有名な小吃店が並んでいる。台南に旅したら必ず寄るべきエリアだ。現に我々は、四度の旅で三度も訪れているぜ。

 ともあれ、食事の後に向かうのはデザートと相場が決まっている。ここは修安という、かき氷と豆花が有名な店だ。成功国民小学の課題で作ったホームページ(水仙宮と市場の歴史を調べている)に、よい紹介があったので、詳しくはそちらを御覧くだされ。
 なお地図が見たい人は、当方のgooglemapで確認してくだされ

修安熱豆花
 豆花の店のお約束、天秤が飾られている。今はオブジェに過ぎないが、かつては売り歩いていたと、いろんなガイドブックに書かれている。『食尚玩家』の雑誌でも見た記憶がある。
 ただしこの店の主力メニューは、黒砂糖刨冰(かき氷)という扱いのようだ。台湾の小吃店の呼び名は、屋号+主力メニューの組み合わせが一般的だが、この店は修安黒砂糖刨冰が一番多く、次いで修安刨冰豆花、そして修安豆花の順。

 まぁ、客にとってはどうでもいいんだけど、要するに上記の名前の店はどれも同一店舗だよ、という豆知識である。

修安黒砂糖刨冰
 黒砂糖刨冰は、ここに挙げられたものから5種類を選び、その上にかき氷を乗せるもの。台南でよくある八宝氷の類である。我々は心強い味方が二人ついているので何の問題もなかったが、言葉が通じなくとも、指差しでだいたいどうにかなるだろう。

 なお、上のすべてが選べるとは限らないので念のため。
 我々が訪れたのは、閉店1時間前の午後7時過ぎなので、品切れのものもあった。

修安黑砂糖刨冰
 そんなわけで黒砂糖刨冰。何を選んだのか全く分からないのはご愛敬だ。
 3月の夕食後にかき氷なんて、日本では考えがたい話だが、この日の最高気温も30度近かった。滅茶苦茶冷たい氷に頭がツーンとなりつつ、derorenとhashiは黙々と食べたのである。
 tomopeeはお腹を壊すので、これはお預け。

修安剉冰豆花
 引率の二人は豆花を選んでいた。実は、我々も食べたかったのは内緒だ。まぁ一度の旅ですべてを求めるのは欲張りだし、そこは次回の課題としよう。なんちゃって。

 水仙宮市場は基本的には昼の市場なので、小吃街も夜には閉店する。富盛號など近所の店も含めて、ここで食べたいなら日中を薦める。
 たまたま夜6時半ぐらいにここを通りがかって、まだ営業してる店があったら、そこで食べてもいいんだろうけどね。

 ともかくここもうまかった。謝謝。

2012/05/02

石精臼蚵仔煎(水仙宮市場前)

民権路
 台南市内に戻ったのは午後6時過ぎ。車は武聖夜市の広場前(この日はただの空き地)を通過して、海安路の駐車スペースに停まった。
 例によって、我々は行き先を知らない。が、まぁここに停めるのだから水仙宮市場か、あるいは海安路のオサレな店だろうなぁ、と歩き出した。

 既に市場は閉じているけど、神農街の周辺は相変わらず賑わっている。そんな光景を横目に、一行は民権路に折れて東側へ。
 写真を見返すまで、ここが民権路だと気付かなかったほど狭い道沿いには、いろいろな小吃店が見える。阿美鳳梨酥の支店も見つけた。

石精臼蚵仔煎(水仙宮市場前)
 國華街の角を折れて、市場の端を北上すると、本日のディナーの店が現れた。
 おお、今日はここで食べるのかー、という感じの石精臼蚵仔煎。蚵仔煎に関していえば、台南でも有名な店で、derorenはもちろん知っていた。hashiも記憶していたゾ。

 ちなみに石精臼というのは、赤嵌楼の西側の廣安宮辺りの地名である。そこには今でも小吃街があるけど、人気が出て郊外に移った店も多い。ここや石精臼海産粥、そして阿憨鹹粥が著名である。

石精臼蚵仔煎(水仙宮市場前)
 もちろん蚵仔煎(60元)を食べた。
 レタス系の青菜とモヤシとカキを、卵と地瓜粉の生地で絡めて、甘辛いソースをかける。とてもオーソドックスな味で、うまい。
 ああ、これぐらいの蚵仔煎が日本でも食えりゃなぁ。

石精臼蚵仔煎(水仙宮市場前)
 こちらは香菇飯湯(60元)。蚵仔煎と並ぶ看板メニューらしい。
 香菇(シイタケ)のスープは、あちこちで食べた記憶がある(ここの餡かけとか)。そんなものかな……とスープを一口飲んでびっくり。hashiと二人で大騒ぎだ。

 このスープは、まんまラーメンの味。それもラーメンはラーメンでも、なんちゅーか本中華みたいな感じだ。ものすごく懐かしいぜ。
 台湾で日本のラーメンが恋しい人は、一度食べてみるべし。入ってるのは麺じゃなくてご飯だけど。

tomopee
 台南の友人二人と我々が食べる間、tomopeeは手持ちぶさた。
 この記事を書いている5月2日現在なら、そこそこ試食できたはずだが、旅行の時点ではまだ離乳食の段階だ。
 ……もっとも、実はtomopeeは二日にわたって熱を出して、ようやく今日は落ちついたところ。GWに企画していたら、あえなく中止になっていただろう。人間万事塞翁が馬。


※台湾読者用注記
 「GW(Golden Week)」這是節日接連的一週的通稱。在日本,節日接連到這個時期。
 2012年,4/29(Sun),4/30(29日的補休),5/3,5/4,5/5,5/6(Sun)。
 所以,許多人旅行。極好的一週,因此「黃金週間」。

離乳食
 こちらがtomopeeの夕食。森永のトレイは、洗って何度か再利用した。食器洗い用のスポンジを持っていくと便利だ。

 こうしてこの日もしっかり台南飯を味わうことができた(閉店間際で、我々が最後の客だ)。案内していただいた狐狸氏とCalvin氏に感謝。

2010/01/26

阿松割包(台南市中西区)

阿松割包(台南市中西区)
 以前に紹介した水仙宮仙草茶の隣が阿松割包だ。
 割包といえば、神戸の南京町で「チャイニーズバーガー」なんて名で売られているけれど、あれはちっとも美味しくない。なのでガイドには紹介されている(台南・ダイアリーにもあるよ)けれど、5月の時はパスした店であった。

阿松割包(台南市中西区)
 しかしいろいろ褒められているし、一度は食べてみるべきではということで、hashiが買いに行く。derorenはその間、富盛號の行列に並んでいた。

阿松割包(台南市中西区)
 で、とりあえず無事にテイクアウト。小奇麗な箱入りだ。

阿松割包(台南市中西区)
 が、開けてびっくり。hashiが買ったのは豬舌包(豚のタンの割包)であった。最初なので普通のヤツが良かったのに……と言ったら、早口のおばちゃんに言われるままにうなづいたらこうなったらしい。ビニール袋入りのスープもついていた。
 まぁともかく食べてみようということで、かじってみた。

 結論は、豬舌包はやめようというところ。
 いや、作りたてなら温かくてうまいのかも知れないが、冷えるとタンは少し臭みがあった。買った当人のhashiが、二口ぐらいでやめてしまったので、あとは私が食べた。
 酸っぱいキャベツとタン、そして甘いピーナッツクリームが塗ってある。パンの部分はなかなかうまいし、甘さも問題はない。次は普通のやつにしたいなぁ(次があるかは微妙)。

2010/01/25

水仙宮(台南市中西区)再訪

水仙宮(台南市中西区)
 ある意味では台南名物といっていい水仙宮。市場に埋もれたこの宮を、前回に続いて訪問した。もちろんそれは、昼飯を買うついでである。

水仙宮(台南市中西区)
 まぁしかし、あえて再び載せたのは、前回よりマシな写真が撮れたからである。そもそも前回は中に入ってなかったし。
 内陣はけっこう絵になると思う。なんとも重厚な雰囲気だ。

水仙宮(台南市中西区)
 水仙尊王である。
 火事が起きたらひとたまりもない市場の中心で、水の神は何を思うだろう。「俺は消防士じゃねーゾ」とか眠れぬ日々を過ごしていたりはしないよな。うむ。

2009/12/30

水仙宮青草店(台南市中西区)

水仙宮青草店
 小吃店がひしめく台南市の永楽市場。
 その入口に青々と草が茂るエリアがある。

水仙宮青草店
 ここは「食尚玩家」にも登場したらしい(雑誌に載ってるし)水仙宮青草店だ。上の写真のおばあちゃんが看板娘だ。
 ここは五月にも通りがかって、八月には三度も通過した。で、三度目にようやく青草茶を買った。高鐵車内での食事を、このエリアで調達したわけである(隣の阿松割包でも買った)。

 はっきり言うが、青草茶は美味しい飲み物ではない。
 苦茶は台北で飲んだから、今回は普通の青草茶にしたけれど、基本的には苦茶よりややマイルドな苦味であり、食事にも合わなかったぞ。
 まぁ要するに食事のドリンクじゃなくて、肉体疲労の栄養補給に飲むべきである。安いし、台湾らしい味なのでぜひ。

水仙宮青草茶
 なお、台北の龍山寺周辺でもそうだったように、青草茶の店は草を茂らすもののようだ。
 こちらは永楽市場の中にあった店である。

2009/10/12

玉勅聚宋宮

聚宋宮
 でかいんだかでかくないんだか微妙な廟宇。奥に見えるのも聚宋宮である。

聚宋宮
 奥の建物。ガレージに色を塗ったようなレベルだが、まぁ信仰にそういう形は関係ない……かも知れない。

聚宋宮
 手前の堂に祀られているのは、紀康馬三千歳。つまり、紀氏・康氏・馬氏の千歳である。

聚宋宮
 で、奥も基本的には三千歳なのだが、注目は両脇の二人。
 実は右が廬清爺、左が韓徳爺だそうな。うーむ。

聚宋宮
 門神画。
 初めて「これは印刷じゃないか?」と思った。

玉旨聖済殿

玉旨聖済殿
 池府千歳と文衡聖帝を祀るらしい。それ以上は分からぬ。
 突然現われた廟なので、場所もはっきり覚えていないが、たぶん康楽街の民生路との交差点を過ぎたあたり(西羅殿と風神廟の前を抜ける道が康楽街)。

 なお、『明史』には「嘉靖十五年改御藥房為聖濟殿」なーんてあるけど、まず確実にこの名前とは関係なかろう。

風神廟 内陣を拝見

風神廟
 風神廟は、旅名人ブックス「台南」で写真撮影を注意されたという廟である。まぁその時にいる人次第なんだろうと思うが、前回も少し構えて訪れてしまった。そもそもが前回は集会中で入れなかったけどね。
 今回はちゃんと中を見ることが出来た。特に撮影も注意はされていない。

 もちろん観光客が、信仰の対象である場所を単なる景色として撮影することの是非は、常に問われねばならない。一応我々はそれなりに敬意をはらっているつもりだけど、注意された時にそれを押しのけるほどの正当性は持ち合わせていない。
 でまぁ、せめて撮った写真を無駄にしないよう、出来るだけは調べて載せようと思う。

風神廟
 内陣の様子。

風神廟
 風神爺(風伯)。この写真ではちょうど隠れているが、左手に小さな壺(薬師如来のヤツみたいな)を持っている。
 壺の中には各種の風が収められており、自由に風を操れるらしい。

風神廟の雷公
 雷公(五雷元帥)。悪いヤツらを懲らしめるぜ。

風神廟の電母
 電母。手のひらに鏡をもっている。
 『台南歴史深度旅遊』の説明によれば、雷公はあまり視力が良くないため、優れた行いをしていた女性に誤って雷を落としてしまった。で、申し訳なく思った雷公は玉皇上帝に頼んでその女性を「電母」にしてもらい、自分の妻としたそうな。
 で、この電母は目の悪い雷公のために、閃光によって善悪の区別をつけさせているという。要するに稲光の由来になっているわけで、手にしている鏡もそのためのものだ。

 雷公と電母は呪文の類でもよくある組み合わせだが、その由来はかなりバリエーションがあるようだ。電母がどんな孝行を重ねたかという話もあるらしいぞ。

西羅殿 再訪(二)

西羅殿
 西羅殿でも右手におられたベロ出しの御方。
 ここの謝将軍(だよね?)は選挙演説スタイルではない。なんか違う。

西羅殿
 反対側には背が低くて口が広がった御方がいる。
 間違いなく范将軍だと思うが、やはり違和感。
※別の写真で確認したが、范将軍と書かれてある。

 もっとも、七爺と八爺の造形はあまりに画一化されていて、ちょっとどうなのかなぁと思う部分がある。その点、ここのはオリジナリティがあって良いとも言える。

西羅殿
 非常に見にくいが、二つの扁額に注目(ポチッと押して拡大して見てくれ)。
 「恩祐全台」「保安天下」の二つは、清代に遡る古いものである。

西羅殿
西羅殿
 門神画。これはまさに典型的なもの。
 歴史がない分、どうしても類型的になってしまうのだろう。

2009/10/11

西羅殿 再訪(一)

西羅殿
 前回は外観のみで失礼した西羅殿。ただ、この廟宇の詳細はその時の記事に書いたので、概略はそちらに譲る。

西羅殿
西羅殿
 本殿前の空間にかなり大きな屋根が付けられているので、本殿そのものを正面から見ることは出来ない。
 まぁここでの祭礼は相当に大規模のようだし、雨避けが必要なのだろう。

西羅殿
 初めて足を踏み入れた内陣。
 広沢尊王の姿は、この写真からは普通の像に見える。

西羅殿
 近づいて見ると、明らかにこれは子どもの顔である。10歳で昇天したらしいが、非常に特徴的な表情だ。目を閉じているのはともかく、見開いた顔はちょっとリアル過ぎ。

2009/10/08

神農街ふたたび

神農街
 景福祠は長楽市場のただ中にある。
 そこを水仙宮に向かわず、海安路の方に歩けば、神農街が見えてくる。

神農街
 同じ旧五條港でも、ここはすっかり垢抜けている。
 バイクのおばちゃんの奥で抱き合っている二人は、オサレな神農街で撮影中だ。黒いドレスの女性の写真は他にも撮ったけど、さすがに載せるのは辞めておく。
 それはいいけど、男の衣装はどうにかならんのかねぇ。

神農街
 金華府はまだ修繕中(2009.8.13)。ここは二度目なので、足早に次の目的地へと向かった。五條港制覇の旅、次はいよいよ西羅殿である。

景福祠

景福祠
 普済街と民族路の交差点。
 その先には何やら廟があるらしい、そんな景色だ。

景福祠
 薄暗い市場と化した普済街は、ここでは杉行街と呼ばれる。福建から運ばれた杉材は、ここの港から各地へ運ばれたという。そんな歴史ある通りに、非常にこじんまりとした廟宇がある。
 景福祠は五條港の一つ、仏頭港付近に住む人々が祀った土地公廟である。土地公廟は崇安街の頂土地公廟総禄境廟(下土地廟)を参っているけれど、ここは台南で唯一の三級古蹟指定である。もちろん、古蹟指定に大した意味はないが。
 清の乾隆15年(1750)創建で、19世紀の石碑などで歴史的にたどれる辺りが、指定の理由なのかな、と思われる。

景福祠
 一週間はもちそうな巨大線香が目にとまる。もちろん主祭神は福徳正神(土地公)。 

景福祠
 内部はとにかく狭い。福徳正神の他に、観世音と火徳聖君を祀る。「萬物資生」の扁額は嘉慶年間のもの。この時期(19世紀初頭)に祠は火災で焼失、再建時に掲げられたものらしい。
 かつては蔡姓の苦力たち(「前埔蔡」と「大崙蔡」)が争い、死傷者を出したという港町の名残りはほとんど見られないが、水仙宮とともに市場に埋もれる現在も、まぁそんなに悪くはないような気がする。