最近、東洋音楽学会『南洋・台湾・沖縄音楽紀行』という本を読む機会があった。この本の出版は1968年だが、内容は1945年以前であり、当時の日本領、もしくは日本占領地を巡るものとなっている。
残念なのは、各章の具体的な執筆者が分からない点。「学会」編のわりに学術的とは言い難く、内容も物見遊山に近いと断っておく。
台湾については、「台湾と厦門」という章のなかで取り上げられている。1922年の調査旅行で、分量的には台湾はそれほど多くなく、その大半は原住民の音楽を訪ねて歩くもの。各地で歓待されたらしい原住民関係の記述は、無知ながらもわりと好意的である。
しかし、そんな中にぽっかりと空いた穴のような箇所、それが台南の記事であった。
「台南孔子廟の古楽器」という項では、台南市役所の職員の案内で孔子廟を訪れている。そして、所蔵されていた楽器を列挙し、朝鮮王朝の李王家のものとおおむね等しいと述べる。ただし「柷」と「敔」の形態に差異があるという。
うち「柷」は朝鮮が30cm四方、台南は60cm四方と大きさが違うらしい。少なくとも、全く違う音になるのは間違いなさそうだ。
問題は「敔」である。
これは虎の背中に櫛の歯が並ぶ楽器で、朝鮮は長さ1mだが台南はその半分しかない。さらに朝鮮のものは背中を高く立てるが、台南は逆に頭が上がっている。櫛の歯の並びも、朝鮮が一列27個、台南は三列9個ずつ。いずれも、台南の方が演奏し辛い形だという。
この他の楽器も、音律が滅茶苦茶だとか、鳴らないものがあるとか、散々な評価であった。
朝鮮王朝がともかくも古代楽を実際に伝えていたのに対して、台南では形式的に楽器を揃えるだけだったことが、こうした差異に結びついたと、一行は分析している。実際、その場に展示してあった楽譜は近代のものだったという。
で、結論は「今からでも研究して復活させたらどうか」という素っ気ないもの。要するに、このままでは無価値という判断が下されている。読者がどう思うかは知らないが、一行の目的からすれば仕方のない話だろう。
まぁしかし、掘り返してもあまり価値のない話題をなぜ紹介するのかといえば、彼らが散々な評価を下した「敔」が、今も孔子廟に展示されているからだ。本ブログでは、かつて虎爺特集の時に一緒に取り上げている。
ツアー客でも孔子廟には行く可能性があるはず。出掛けた際にはこの記事を思い出してみては如何かな(よく分からないまとめになってしまった)。
現在の台南孔子廟。楽器が展示されるエリアには「以成書院」と掲げられている。
この写真の虎こそ、散々な評価の「敔」である。背中の櫛の歯が三列な点など、指摘される通り。
ついでに、左に見切れている木箱みたいなヤツが「柷」だ。世の中には不思議な楽器もあるもんですな。
2011/12/10
Google関係のつぶやき
※台南とも旅行とも無関係なので、読む必要はありません。
当ブログがbloggerを利用しているのは、それ以前から使っていたgmailアカウントを流用したからである。FC2とかライブドアなどいくつかのブログは利用経験があったので、それらとは異なるものを使おうかな、と思ったのも一因だった。
そうして二年半がすぎた。移転の労力を考えると、当ブログはbloggerと心中せざるを得ない。PIXNETあたりへの移転はちょっと考えていたりするけどね。
ところで、google+なんてものができたわけだ。現時点で私としては参加していない。が、もしかしたら参加済みなのかも知れない。というのも、その辺のアカウントの管理が(意図的に?)曖昧だからだ。
bloggerを利用すると、自動的にpicasaアカウントが作成される(blogger上の写真は、そっちのサーバーにあげたことになっている)。で、panoramioにも参加した(自分の意志)。さらにgoogleマップのマイマップも制作中だ。googleの罠にどっぷりはまっているわけだ。
で、ある日に気がついたこと。picasaアルバムにおいて、ニックネームではなく登録名が公開されていた。gmailもいつの間にかそうなっていた。さらに、googleマップの周辺をいじっていたら、私がgoogle+に参加済であるかのような画面が出た。
これらの事象は、もちろん不信を抱かせるに十分な出来事だった。
海外への個人旅行者としてブログを書く以上、行動を辿られかねない行為は絶対に避けねばならない。derorenが裕福な一家でないことは保証するけれど、だからといって無一文で旅行に出るわけはないのだし。
従って、当ブログ上では本名の類は一切出す予定はない。なのに、危うく勝手に個人情報を公開されるところだった。
……と書いた以上、derorenがどういう登録をしていたかはお分かりだろう。あえて書かないけどね。
google+については、当ブログで知り合った方から誘われたけれど、上記の事情もあって見合わせている(申し訳ない)。本名縛りが消えれば参加する可能性はある。
そこで注目しているのが、AKB48だったりする。
一昨日、googleとAKBグループが提携して、18歳以上のメンバー全員のアカウントを作った。で、既に日本でのアクセス数上位はAKB関係者でしめられつつある。
そこでちょっと覗いてみると、コメントを付けてるユーザーは、本名ではない登録者が圧倒的に多かったのだ。
風の噂では、いずれ本名登録の縛りをやめるという話はあるらしい。しかしAKB関係のヲタ大量流入が、なし崩しに縛りを解除してしまうかも知れないぞ、と興味深く見守っている。
彼らを基準通りに排除した場合、このユーザー拡大策そのものが失敗に終わるのだし。
そんなわけで、googlemap版「derorenのホ~ムペ~ジ」を宣伝して、おしまい。
当ブログがbloggerを利用しているのは、それ以前から使っていたgmailアカウントを流用したからである。FC2とかライブドアなどいくつかのブログは利用経験があったので、それらとは異なるものを使おうかな、と思ったのも一因だった。
そうして二年半がすぎた。移転の労力を考えると、当ブログはbloggerと心中せざるを得ない。PIXNETあたりへの移転はちょっと考えていたりするけどね。
ところで、google+なんてものができたわけだ。現時点で私としては参加していない。が、もしかしたら参加済みなのかも知れない。というのも、その辺のアカウントの管理が(意図的に?)曖昧だからだ。
bloggerを利用すると、自動的にpicasaアカウントが作成される(blogger上の写真は、そっちのサーバーにあげたことになっている)。で、panoramioにも参加した(自分の意志)。さらにgoogleマップのマイマップも制作中だ。googleの罠にどっぷりはまっているわけだ。
で、ある日に気がついたこと。picasaアルバムにおいて、ニックネームではなく登録名が公開されていた。gmailもいつの間にかそうなっていた。さらに、googleマップの周辺をいじっていたら、私がgoogle+に参加済であるかのような画面が出た。
これらの事象は、もちろん不信を抱かせるに十分な出来事だった。
海外への個人旅行者としてブログを書く以上、行動を辿られかねない行為は絶対に避けねばならない。derorenが裕福な一家でないことは保証するけれど、だからといって無一文で旅行に出るわけはないのだし。
従って、当ブログ上では本名の類は一切出す予定はない。なのに、危うく勝手に個人情報を公開されるところだった。
……と書いた以上、derorenがどういう登録をしていたかはお分かりだろう。あえて書かないけどね。
google+については、当ブログで知り合った方から誘われたけれど、上記の事情もあって見合わせている(申し訳ない)。本名縛りが消えれば参加する可能性はある。
そこで注目しているのが、AKB48だったりする。
一昨日、googleとAKBグループが提携して、18歳以上のメンバー全員のアカウントを作った。で、既に日本でのアクセス数上位はAKB関係者でしめられつつある。
そこでちょっと覗いてみると、コメントを付けてるユーザーは、本名ではない登録者が圧倒的に多かったのだ。
風の噂では、いずれ本名登録の縛りをやめるという話はあるらしい。しかしAKB関係のヲタ大量流入が、なし崩しに縛りを解除してしまうかも知れないぞ、と興味深く見守っている。
彼らを基準通りに排除した場合、このユーザー拡大策そのものが失敗に終わるのだし。
そんなわけで、googlemap版「derorenのホ~ムペ~ジ」を宣伝して、おしまい。
2011/12/08
仕切り直し
突発的な事情により、年内の台湾旅行はキャンセル。多方面に迷惑をかけてしまった。
改めての日程を検討中。
来年2月末から3月上旬が候補となっている。
で、少し日ができてしまったこともあり、いろいろ考えている。
まず一つは、航空会社の変更。関空発のキャセイは便利だが高い。乳児料金も高い。正確にいえば、乳児に一人分のサーチャージを課すのがおかしい。座席もないのにさ。
そこで、ジェットスターに変えられないか検討している。
そもそもキャセイの利点は、他を利用するより滞在時間を増やせることにあった。台南行きの場合は、旅行初日の夕方以降、そして最終日の午前中だ。
しかし赤子連れの場合は、そんなに時間を有効に使えるわけではない。tomopeeが何をするか分からない以上、タイトな日程は組めないのだ。
ジェットスターは、行きは深夜になるがどうにか台南に辿り着ける。帰りは台南を朝に発てば十分間に合う。で、運賃はキャセイの半額だ。わりと本気で変更を考えている。
なお、オープンスカイ政策の関係で、来年3月には関空台湾便が大幅に増えるという話もある。具体的には華信航空が関空-高雄(週二便)、復興航空が関空-桃園(毎日一便)らしい。まだ申請段階で、しかも3月のいつから運航されるか不明だけど、価格で攻めて来そうなので気になるところ。
特に高雄便はダイヤ次第で使えるかも。
もう一つはホテル。土足OKの部屋ではtomopeeの行動範囲が狭まるから、和室はどうかと思って探してみた。
台南では、台南大飯店に立派な和室がある。これは日本でも和室と呼べるものだが、いかんせん高い。円高の今でも一泊15000円はしそうだ。
さらに探してみると、國光大飯店とか大立大飯店に和室と呼ぶものがあった。さっそく確認してみたが、いくら目をこらしても「和室」に見えない。強いて言うなら板の間だ。毎度ながら台湾の日式は奥が深い。
結局、いったん探索はやめた。まぁキングサイズのベッドの上でもそれなりに遊べるだろう。それに、来年3月は1歳なわけで、tomopeeがどんな状況にあるかは未知数だ。今から考えるのは時間の無駄である。
まぁともかく準備をやり直して、台南を目指す所存である。
2011/11/16
赤子連れ台湾旅行計画(五) 台南でベビー用品を買うには?
寶貝(ベイビー)を連れて台南に行くのは、もちろん心配だらけ。とはいえ、台南には台南生まれの寶貝がたくさん住んでいるのだ。寶貝に必要なものは、その気になれば手に入るだろう。
ということで、ある程度は店の情報を調べている。自分用メモを兼ねて公開。
・BabyHome 寶貝家庭親子網
日本でもよくあるポータルサイト。「親子討論区」を台南で検索するといろいろ出てくる。まぁ信頼度は某知恵袋並み……って書くと読者はどう理解するのかな? 言うまでもなく、信頼性に乏しいって意味だぜ。
・麗嬰房
「les enphants」の名でショップを展開するベビー服の店。台南市では新光三越(西門、中山)と遠東百貨に出店しているほか、各地に単独店舗もある。台南西門店は大菜市のそばなので、何かの機会に行けそうだ。
せっかくなので、台湾製のiBabyブランドの服を買ってみようかと考えている。外観に台湾らしさが感じられるわけでもないから、日本で着せても誰も気付かないだろうけどね。
・台南天之嬌婦嬰用品店
友人に教えていただいた店。中西區忠義路二段222號にある(googleストリートビューでも確認した)。鴨母寮市場のすぐ南なので、困った時にはここに行こう。
・府前路の店
海安路より西側の府前路には、子ども服の店が並んでいる。問屋街のようだ。保安宮付近の小吃店で食べた後に覗けるかもしれない。
なお、府前路に関してはgoogleストリートビューで確認した。長らく台南は対象外だったけど、ようやくサービスが始まったぞ。自分が映ったら嫌だなぁと思うが、旅行の計画を立てる際には、本当に便利だ。
・スーパーマーケット
全聯福利中心は鴨母寮市場の忠義路側にある。スーパーと呼ぶには品揃えに難があるけど、おむつやミルクは売っている。鴨母寮市場は確実に行くから、そこで購入できるだろう。
化粧品から雑貨まで扱うPoya生活館は、小北成功夜市のすぐそばと、成功大学の南西にある。夜市のついでに買い物はアリだろう(前回はトリートメントを買った)。おむつがあるのかは不明。
カルフール(家樂福)は、毎度おなじみのラヤンハイ(マッサージ店)鄧老師養生館のすじむかいでした(公式サイトの表現)。初日に指サーヅに行くとは思えないが、もちろんここでも買える。
大潤發はその立地からみて縁がなさそう。小北百貨で可能性があるのは新東安店(Poya生活館の隣)ぐらいかな。
・薬局
日本では薬局に行けば、おむつや離乳食を買うことができる。そこで「薬局」を機械翻訳すると「藥鋪」になったりするが、これは伝統的な漢方の店だ。今どきの薬局は、台湾でも「藥局」である。
台南に店舗をもつ連鎖店(チェーン店)には、丁丁連鎖藥局、啄木鳥藥局などがある。
※追加される可能性あり。
情報に間違いがあっても責任はとれないので、自身で確認してね。
ということで、ある程度は店の情報を調べている。自分用メモを兼ねて公開。
・BabyHome 寶貝家庭親子網
日本でもよくあるポータルサイト。「親子討論区」を台南で検索するといろいろ出てくる。まぁ信頼度は某知恵袋並み……って書くと読者はどう理解するのかな? 言うまでもなく、信頼性に乏しいって意味だぜ。
・麗嬰房
「les enphants」の名でショップを展開するベビー服の店。台南市では新光三越(西門、中山)と遠東百貨に出店しているほか、各地に単独店舗もある。台南西門店は大菜市のそばなので、何かの機会に行けそうだ。
せっかくなので、台湾製のiBabyブランドの服を買ってみようかと考えている。外観に台湾らしさが感じられるわけでもないから、日本で着せても誰も気付かないだろうけどね。
・台南天之嬌婦嬰用品店
友人に教えていただいた店。中西區忠義路二段222號にある(googleストリートビューでも確認した)。鴨母寮市場のすぐ南なので、困った時にはここに行こう。
・府前路の店
海安路より西側の府前路には、子ども服の店が並んでいる。問屋街のようだ。保安宮付近の小吃店で食べた後に覗けるかもしれない。
なお、府前路に関してはgoogleストリートビューで確認した。長らく台南は対象外だったけど、ようやくサービスが始まったぞ。自分が映ったら嫌だなぁと思うが、旅行の計画を立てる際には、本当に便利だ。
・スーパーマーケット
全聯福利中心は鴨母寮市場の忠義路側にある。スーパーと呼ぶには品揃えに難があるけど、おむつやミルクは売っている。鴨母寮市場は確実に行くから、そこで購入できるだろう。
化粧品から雑貨まで扱うPoya生活館は、小北成功夜市のすぐそばと、成功大学の南西にある。夜市のついでに買い物はアリだろう(前回はトリートメントを買った)。おむつがあるのかは不明。
カルフール(家樂福)は、毎度おなじみのラヤンハイ(マッサージ店)鄧老師養生館のすじむかいでした(公式サイトの表現)。初日に指サーヅに行くとは思えないが、もちろんここでも買える。
大潤發はその立地からみて縁がなさそう。小北百貨で可能性があるのは新東安店(Poya生活館の隣)ぐらいかな。
・薬局
日本では薬局に行けば、おむつや離乳食を買うことができる。そこで「薬局」を機械翻訳すると「藥鋪」になったりするが、これは伝統的な漢方の店だ。今どきの薬局は、台湾でも「藥局」である。
台南に店舗をもつ連鎖店(チェーン店)には、丁丁連鎖藥局、啄木鳥藥局などがある。
※追加される可能性あり。
情報に間違いがあっても責任はとれないので、自身で確認してね。
2011/11/13
赤子連れ台湾旅行計画(四) 0歳児のパスポート申請
0歳児の台湾旅行に必要なもの。それはパスポートと飛行機のチケットである(あとは保護者か)。航空チケットは保護者が用意するとしても、tomopeeのパスポートを用意するには、当人の努力が必要となる。
ちなみに、パスポート入手前に航空チケットを買うのはリスキーなのでおすすめできない。もしも出来上がったパスポートのローマ字表記がチケットと違っていたら、バカ高い手数料を払って変更しなきゃならないゾ。
さて、おさらいしてみよう。
パスポートを入手するには、次のような過程がある。いや、あった。
1:申請書類と戸籍抄本の入手
これは同一の場所で可能。証書を発行できる所には申請書類も置いてある。
通常、自治体の証書発行窓口は平日のみ。子どものパスポートでは、抄本ではなく戸籍謄本を求められる場合があるらしいので、最初から謄本を入手する方が無難だ(抄本の方が安いけど)。窓口で確認してから発行してもらうべし。
申請書類は旅券事務所で入手してその場で書くことも可能だが、窓口の混み具合は日によって違うし、先に入手して申請前に書いてしまうのが良い。
書類は見本通りに書くだけで、特に難しい点はない。ただし緊急連絡先に注意。0歳児の連絡先に親の名前を書いてはいけない。一緒に旅行する人には緊急連絡できないからネッ(書いたら申請窓口でひっかかるだろう)。祖父母辺りを書くべし。
2:顔写真の用意
ここが最大の難関だ。
パスポート用の写真は非常に制約が厳しい(具体的にはこちらを参照)。かといって、赤子がおとなしく写真を撮られるわけもない。derorenが選択したのは、家で撮影して、7-11のデジカメプリントを利用する方法である(コンビニ側は推奨していない)。それなりのカメラと、簡単な画像処理ができる人向け。失敗しても責任は負えない。
まず写真撮影。白いシーツの上にtomopeeを寝かせて、真上から撮る。周囲の余白にも注意(上の写真の場合、頭の上部がギリギリなのでボツになった)。
シーツのしわは、証明写真サイズに縮小されるとほとんど目立たないが、ないに越したことはない(使用写真はしわの目立たないシーツで撮影した)。できるだけ明るい部屋で撮ろう。
証明写真なので、tomopeeにはすまし顔で正面を向いてもらう必要がある。もちろんそんな確率は滅多にない。一度のチャレンジで成功するとは思わない方がいいだろう。
……が、derorenは簡単に撮影成功となった。普段から写真を撮りまくっているので、tomopeeが自然にレンズの方を向くのだ。よく訓練された息子である。
なお、時間が経つと笑ったり泣いたりする。そういう顔は申請で却下されるから、カメラを向けた最初の数枚で勝負は決まるゾ。
寝かさずに撮れる自信があるなら、その方が絶対に良い。なぜなら、寝かすと上の写真のように髪の毛が広がって、トリミングに困るからだ。
撮影後は、写真を決められたサイズに加工する。7-11の現像機は、その場で加工できるすぐれものなので、普通の証明写真ならレタッチは不要かも知れないが、パスポート写真は条件が厳しいし、ある程度は準備した方が良いと思う。
もちろん加工にはレタッチソフトが必要だ。手元にない人はXnViewをおすすめする。サムネイルでの画像管理から簡単な加工までできるフリーウェアだ(日本語対応)。
まず、明らかに無駄な部分をトリミングで削除し、縦長の証明写真型に近づける(あんまり切り取りすぎないこと)。それからモニターに縮小表示する(表示のみの縮小で、実際にリサイズするわけではない)。目視できる画像のサイズを、できるだけ証明写真のサイズに近づけよう(相当に縮小しなければならない)。
で、定規を取り出して、モニター画面にあてて顔のサイズを測る。できあがりでは顔の縦幅が35mm前後なので、そのサイズまで画像を縮小する。とはいえ、xnviewなどはアバウトな縮小表示しかできないから、ぴったり35mmとは限らない。その場合は比率を計算することになる。数字に弱い人は電卓を使おう。
あとは顔の縦幅を基準に、左右や上下のサイズを測りつつ、トリミングである程度削る。ガチガチに削るよりも、余白部分にある程度余裕をもたせるのが良い。
これで加工作業は終了。間違ってもリサイズはしないように。
そうして出来上がった画像を7-11に持ち込んで、セルフのデジカメプリント機で証明書写真を選択、45*35サイズでプリントする。その際に画面上で最終的な微調整を行う。ただし、表示される顔の枠はパスポート写真の条件ではないので注意しよう。
プリント代は200円。慎重を期すならば、2種類ぐらいは作っておきたい。窓口で却下されたら困るからね。
近くに7-11のない人は、素直に写真館に行くべし。旅券事務所近くの写真館なら、断わられることはないはずだ。
自前のプリンターを使うのは、あんまり薦められないなぁ。ウチのプリンターは骨董品レベルの旧型だから論外だし。
3 旅券事務所で申請
申請書類、戸籍謄本(or抄本)、顔写真、tomopeeの保険証と母子手帳(2点必要)、deroren(申請者兼保護者兼代筆人)の身分証明をもって旅券事務所へ行く。tomopee本人を連れて行く必要はない。
申請手続き自体の時間はせいぜい10分。ただし混んでいると待ち時間が長い。長いかどうかは行ってみないと分からない。
手続きでは、写真のサイズを測ったりして、使用可能か念入りに確認される。書類はまぁ、ローマ字表記のチェックぐらいだろう。
申請の場で決めなければならないのが、パスポートの受け取り場所である。地域によっては数箇所から指定できるので、よく考えて選ぶように。
なぜならば、受取の場には本人を連れて行く必要があるからだ。
4 受け取り
早ければ8日後ぐらいには完成する。手続き時にもらった引換書をもって、受け取り場所へ向かう。本人と代筆人で行く必要があるゾ。
受け取り場所では、まず発行手数料などを支払う(事前に金融機関で支払う場合もある。申請時に説明があるはず)。証書を受け取り、いよいよ窓口へ。本人確認を行って、無事発行となる。
申請とは違って、受け取りはすぐに終わる。本当にあっという間だ。
こうして出来上がった自分の身分証明を見て、大はしゃぎのtomopee(偶然にも、上の撮影と同じ服だ)。
もちろん嘘だ。見てないし、興味もないぜ。
正確にいえば興味はある。赤子は紙が大好きだ。もちろんそれは、ちぎったりかじったりするためだ。
tomopeeが物心つく頃には、失効しちゃうのよね。
そんなわけで、8ヶ月にしてパスポートを手にしたtomopee。両親はずいぶん歳食ってから手にしたのに、末恐ろしい赤子である。
もちろん、面倒な手間をかけて作ったのは飾りじゃないのよ涙は~。三人での台南旅行、近日挙行の予定なのよハッハー。
いつもながら古いネタですまぬ。
ちなみに、パスポート入手前に航空チケットを買うのはリスキーなのでおすすめできない。もしも出来上がったパスポートのローマ字表記がチケットと違っていたら、バカ高い手数料を払って変更しなきゃならないゾ。
さて、おさらいしてみよう。
パスポートを入手するには、次のような過程がある。いや、あった。
1:申請書類と戸籍抄本の入手
これは同一の場所で可能。証書を発行できる所には申請書類も置いてある。
通常、自治体の証書発行窓口は平日のみ。子どものパスポートでは、抄本ではなく戸籍謄本を求められる場合があるらしいので、最初から謄本を入手する方が無難だ(抄本の方が安いけど)。窓口で確認してから発行してもらうべし。
申請書類は旅券事務所で入手してその場で書くことも可能だが、窓口の混み具合は日によって違うし、先に入手して申請前に書いてしまうのが良い。
書類は見本通りに書くだけで、特に難しい点はない。ただし緊急連絡先に注意。0歳児の連絡先に親の名前を書いてはいけない。一緒に旅行する人には緊急連絡できないからネッ(書いたら申請窓口でひっかかるだろう)。祖父母辺りを書くべし。
2:顔写真の用意
ここが最大の難関だ。
パスポート用の写真は非常に制約が厳しい(具体的にはこちらを参照)。かといって、赤子がおとなしく写真を撮られるわけもない。derorenが選択したのは、家で撮影して、7-11のデジカメプリントを利用する方法である(コンビニ側は推奨していない)。それなりのカメラと、簡単な画像処理ができる人向け。失敗しても責任は負えない。
まず写真撮影。白いシーツの上にtomopeeを寝かせて、真上から撮る。周囲の余白にも注意(上の写真の場合、頭の上部がギリギリなのでボツになった)。
シーツのしわは、証明写真サイズに縮小されるとほとんど目立たないが、ないに越したことはない(使用写真はしわの目立たないシーツで撮影した)。できるだけ明るい部屋で撮ろう。
証明写真なので、tomopeeにはすまし顔で正面を向いてもらう必要がある。もちろんそんな確率は滅多にない。一度のチャレンジで成功するとは思わない方がいいだろう。
……が、derorenは簡単に撮影成功となった。普段から写真を撮りまくっているので、tomopeeが自然にレンズの方を向くのだ。よく訓練された息子である。
なお、時間が経つと笑ったり泣いたりする。そういう顔は申請で却下されるから、カメラを向けた最初の数枚で勝負は決まるゾ。
寝かさずに撮れる自信があるなら、その方が絶対に良い。なぜなら、寝かすと上の写真のように髪の毛が広がって、トリミングに困るからだ。
撮影後は、写真を決められたサイズに加工する。7-11の現像機は、その場で加工できるすぐれものなので、普通の証明写真ならレタッチは不要かも知れないが、パスポート写真は条件が厳しいし、ある程度は準備した方が良いと思う。
もちろん加工にはレタッチソフトが必要だ。手元にない人はXnViewをおすすめする。サムネイルでの画像管理から簡単な加工までできるフリーウェアだ(日本語対応)。
まず、明らかに無駄な部分をトリミングで削除し、縦長の証明写真型に近づける(あんまり切り取りすぎないこと)。それからモニターに縮小表示する(表示のみの縮小で、実際にリサイズするわけではない)。目視できる画像のサイズを、できるだけ証明写真のサイズに近づけよう(相当に縮小しなければならない)。
で、定規を取り出して、モニター画面にあてて顔のサイズを測る。できあがりでは顔の縦幅が35mm前後なので、そのサイズまで画像を縮小する。とはいえ、xnviewなどはアバウトな縮小表示しかできないから、ぴったり35mmとは限らない。その場合は比率を計算することになる。数字に弱い人は電卓を使おう。
あとは顔の縦幅を基準に、左右や上下のサイズを測りつつ、トリミングである程度削る。ガチガチに削るよりも、余白部分にある程度余裕をもたせるのが良い。
これで加工作業は終了。間違ってもリサイズはしないように。
そうして出来上がった画像を7-11に持ち込んで、セルフのデジカメプリント機で証明書写真を選択、45*35サイズでプリントする。その際に画面上で最終的な微調整を行う。ただし、表示される顔の枠はパスポート写真の条件ではないので注意しよう。
プリント代は200円。慎重を期すならば、2種類ぐらいは作っておきたい。窓口で却下されたら困るからね。
近くに7-11のない人は、素直に写真館に行くべし。旅券事務所近くの写真館なら、断わられることはないはずだ。
自前のプリンターを使うのは、あんまり薦められないなぁ。ウチのプリンターは骨董品レベルの旧型だから論外だし。
3 旅券事務所で申請
申請書類、戸籍謄本(or抄本)、顔写真、tomopeeの保険証と母子手帳(2点必要)、deroren(申請者兼保護者兼代筆人)の身分証明をもって旅券事務所へ行く。tomopee本人を連れて行く必要はない。
申請手続き自体の時間はせいぜい10分。ただし混んでいると待ち時間が長い。長いかどうかは行ってみないと分からない。
手続きでは、写真のサイズを測ったりして、使用可能か念入りに確認される。書類はまぁ、ローマ字表記のチェックぐらいだろう。
申請の場で決めなければならないのが、パスポートの受け取り場所である。地域によっては数箇所から指定できるので、よく考えて選ぶように。
なぜならば、受取の場には本人を連れて行く必要があるからだ。
4 受け取り
早ければ8日後ぐらいには完成する。手続き時にもらった引換書をもって、受け取り場所へ向かう。本人と代筆人で行く必要があるゾ。
受け取り場所では、まず発行手数料などを支払う(事前に金融機関で支払う場合もある。申請時に説明があるはず)。証書を受け取り、いよいよ窓口へ。本人確認を行って、無事発行となる。
申請とは違って、受け取りはすぐに終わる。本当にあっという間だ。
こうして出来上がった自分の身分証明を見て、大はしゃぎのtomopee(偶然にも、上の撮影と同じ服だ)。
もちろん嘘だ。見てないし、興味もないぜ。
正確にいえば興味はある。赤子は紙が大好きだ。もちろんそれは、ちぎったりかじったりするためだ。
tomopeeが物心つく頃には、失効しちゃうのよね。
そんなわけで、8ヶ月にしてパスポートを手にしたtomopee。両親はずいぶん歳食ってから手にしたのに、末恐ろしい赤子である。
もちろん、面倒な手間をかけて作ったのは飾りじゃないのよ涙は~。三人での台南旅行、近日挙行の予定なのよハッハー。
いつもながら古いネタですまぬ。
2011/10/29
成功へのフライト?と高鐵予約
tomopeeの飛行機ぶんぶんは、そろそろ終息に向かいつつある。ヘドバンtomopeeを経て、ここ数日は腕立てtomopeeだ。もうハイハイは近い(近況ヲハリ)。
久々に高鐵のホームページをいじってみたら、ずいぶん使いやすくなって驚いた。網路訂票(webでの指定席購入)もアリだろう。以前は二週間前にならないと買えなかったのが、今は一ヶ月近く前から購入できる。日本のJRと大差なくなった(もっと早くに買えると嬉しいんだけどね)。
もちろん一番の魅力は、早期購入の割引制度だ。15日前までに予約すれば、列車によっては3割引である(列車によって割引率は異なる)。3割なら、桃園台南の大人2人で600元も浮くぞ。すごいじゃん。
高鐵はいろんな割引制度をやっていたので、我々が過去に乗車した際の運賃はバラバラだったりする。最初に乗った時は、早朝深夜が3割引だった。去年は何も割引がないので自由席にした。
利用客数においては好調な高鐵だから、だんだん割引も減っていくのかも知れない。日本の新幹線みたいな運賃にならないよう願うばかりだ。
2011/10/24
嚴燦城氏の逝去を悼む
2011/10/23
万福寺普度勝会を見学する(四)
放生会に向かう一行。
放生を行う池は有料エリアの外側にあるので、見学すると中に戻れない。なので我々はいったん祭礼現場を離れて、万福寺の他の堂宇を巡っていた。そうして一巡すると、ちょうどこの行列に出会ったわけだ。おかげで、どっかの新聞社よりいい構図で撮ってしまったぜ。
まぁ新聞社などどうでも良かった。ともかく船は池に到着。
日本的なお盆の時期だったら、いくらかでも蓮が咲いていたかも知れないが、未熟な実ばかりの中途半端な景色だ。きれいな人の眼には蓮華が見えているのだろうか。
供物と船をアップで。
すぐに読経が始まったし、カメラをもった部外者などderorenしかいない状況なので、基本的には遠巻きに眺めていた。
これらの供物は、池にばら撒かれるわけではなかった。まぁ当たり前か。
麦ばかりで米がないのはなぜだろう。台南でも、こういう時は「パン」だよね。
儀式としては、読経が行われ、参加者が池の端に降りて線香を供えて祈る形。その間、傍らではささやかな爆竹も鳴っている。tomopeeは初爆竹でびっくりしていた。何も知らない一般客が巻き込まれて、もっとびっくりしていた。derorenは、爆竹は箱ごとやらなきゃダメだろーと心の中でツッコんでいた。
そうして流された船は、風に揺れながら蓮の葉の間を移動していた。ちゃんと船になっていることに妙な感動を覚えつつ、我々の見学は終わったのである。南無阿弥陀仏。
帰路は黄檗名物のアーケード街を通ったゾ。六地蔵のモールが壊された今、奈良線沿線では屈指の破壊力を誇る暗黒商店街だ。
ちなみに、日曜の午後3時半に開いてる店は二つだけだったが、その片方はなんとケーキ屋である。我々はそこでシュークリームを買って帰った。というか、黄檗駅前で食ってしまった。普通にうまかったのよね。
2011/10/21
万福寺普度勝会を見学する(三)
普度勝会というイベントは、かつては各種観光パンフやwebで紹介されていた。今回も宇治市のサイトにはあった気がするが、詳細は何もなし。華僑団体のサイトでは「近日公開」のまま当日を迎えている。要するにネット上で式次第を知る術はなかった。
観光サイトがこの地味な祭礼を取り上げたのは、そこで獅子舞が披露されたからである。
正直言えば、デフォルメ獅子の獅子舞は南京町で見たし、北港朝天宮の祭礼を見学した我々としては、注目するほどのものではない。とはいえ、tomopeeの発育に何か効果があるかも知れないから、一応は獅子舞目当てで出掛けた。
午後一時前に万福寺に着くように家を出た理由は、過去の情報によれば、獅子舞披露が午後二時らしかったためである。
で、大雄宝殿の柱に式次第が張ってあるのを発見して、ようやく今後の予定を把握する。次の行事は一時半スタートということと、獅子舞の文字がないことが分かった。
獅子舞に関しては、周囲で談笑中の華僑の皆さんが、今年はないらしいと話しているのも聞こえていた。まぁそれならそれで仕方ないかなぁ、と気を取りなおす。derorenとhashiは、両将軍の勇姿を拝めただけで満腹だ。
そうして一時半が近づく。大雄宝殿前では祭壇の準備が行われている。正直、供物を並べるぐらいのことで、準備というほどではなかったが(祭壇自体は元から設置されていた)。
こうやって万福寺の僧が準備をする間にも、祖霊を拝拝する人々は何の躊躇もなくやってくる。日本という地にあっても、こういう流儀は変わらないのだなぁと感心する。
というか、自分もこの日は何の躊躇もせずに写真を撮りまくった。「カメラを向けるなんてとんでもない」といわれる祭礼を幾つも見た経験があって、そういうものだと身体に染みついていた自分だが、ほんの数回台湾に行くだけで、すっかり意識が変わってしまった。
祭壇には船が置かれている。これより以前には、大雄宝殿の中に置かれており、隣には馬もいた。言うまでもなく祖霊の乗り物だ。
式次第によれば、これから放生会なのだという。送り盆ですな。
予定時刻をかなり過ぎて、ようやく祭儀が始まる。
万福寺の僧の読経のもとで、華僑団体のトップが供物を捧げて祈る。
まぁことさらに解説するほどの行事ではない。
上の写真では、この後の行事の主役も写っている。
これも容易に想像がつくだろう。厄除けで撒かれるものだ。
饅頭のようなものは、餡が入っていない。周囲の人は「パン」と呼んでいた。生地は饅頭だったけど、まぁ蒸しパンといえばそうだ。
お金は日本の五円玉だ。ちょっと期待したので残念だが、祖霊の住所が宇治市なのだし、やはり日本円であるべきなのかも。
僧が関わった祭事は十分ほどで終わり、会長がマイクで挨拶。
そうして、パンと五円玉が投げられた。五円玉の前には、メガネの人は注意するようにと親切なアナウンスもあったゾ。
derorenがtomopeeを抱きながら撮影しているすきに、hashiはしっかりパンを拾っていた。せっかくなので記念撮影。ポカポカ陽気でtomopeeはお昼寝だ。
五円玉は沢山撒かれたので、derorenですら数枚ゲットだぜ。我々はただの傍観者といえばそうだが、地獄に堕ちないよう一通り拝拝はしたから、まぁおこぼれにあずかっても罰は当たらないよね。
さぁいよいよ次は最終回。放生会だ。
この程度の見物記を四分割するなんて、まるで特番化した「水曜どうでしょう」みたいだね。
2011/10/18
万福寺普度勝会を見学する(二)
食事を終えた我々は、ひとまず大雄宝殿を目指す。目指すまでもなく目の前にある。
本殿を大雄宝殿と呼ぶのも、台南の寺院と同じである。
正面から見た大雄宝殿。見るからに中国っぽい色の何かがあるゾ。
まぁそれが何かは分かっているけれど、実見はしてないので、期待に心を躍らせつつ、華麗なステップで近づいてみる(かなり誇張されている)。
そこにあったのは張りぼての宮殿だっ!
謝将軍と范将軍だっ! お久しぶりっ!
冥界に向かう者の善悪を判定する陰陽司。そこにしっかり両将軍が居座っている。
一見大吉の謝将軍は、ちゃんとベロを出している。
奨善罰悪の范将軍は……、やっぱりベロを出している。うーむ?
反対側には功徳司もいる。
となれば当然、中央にはこの神がおられるだろう。
城隍神だ。そう、ここはまさしく張りぼての城隍廟であった。
普度勝会とは仏教における盂蘭盆会のような行事で、祖霊をただしく祀り、現世の子孫の繁栄を願うものである。
普度はもちろん仏教の言葉。だから万福寺で開催されるのは自然にも思えるが、あくまで主催は在日華僑の団体で、ここを会場として借りる形のようだ(関西ではここと神戸の関帝廟で開催される)。
万福寺の僧によって読経も行われるので、仏教寺院で開催される意義はある。ただし祭礼としては、道教色が強い。少なくとも張りぼて宮殿の数々は、台湾の陰廟そのものである(裏の方には地獄図もあった)。
……もっとも、仏教と道教を区別する発想自体が、ここでは野暮なのも事実。
そもそも万福寺には、伽藍神という名で関帝が祀られている(台南の大天后宮でも、門神の伽藍を関帝の化身としている)。中国的な仏教が儒仏道の三教一致に向かったことは周知の通りで、そうして生まれた黄檗宗なのだ。内部に城隍廟が出現しても、なんら不思議ではない……のかも知れない。
これら神々の宮殿の左右には、それぞれの家の祖霊屋敷が並ぶ。台南東嶽殿を彷彿とさせる豪邸だが、東嶽殿よりもさらに派手である。
ただ、門前には外車が停まっていたりするけれど、冷蔵庫やテレビは見当らない。打城法事のように、ことさらに現代的かつ裕福な生活環境をアピールするわけではないようだ。
穏やかな冥界ライフをおくっているここの住人と、今まさに救われようとする不安定な霊の違いなのだろうか(思いつきで書いている)。
さすがと思ったのが、この「冥宅契約書」。ちゃんと住所は万福寺になっているゾ。
そんなわけで、宇治に居ながらにして台南気分を満喫するtomopee。張りぼて宮殿の前で記念写真も撮ったが、さすがにバカ過ぎて載せられないぜ。
ちなみに、後ろ姿ながら不肖derorenが写っちまったぜ。その三に続くぜ!
2011/10/16
万福寺普度勝会を見学する(一)
挙行か否かで検討中の台湾旅行の前に、とりあえず我々は台湾成分を摂取すべきである。少なくともderorenはそう思うのだ。
まぁ摂取という意味では、つい最近も東京に行ったついでに、台湾物産館で絶品好茶などを買って飲んだ。立ち寄る機会さえあれば、普通のペットボトル飲料と値段は変わらないのでオススメだが、所詮ペットボトル飲料である。遠からず汗か尿に消える運命である。
もっと記憶に残る台湾成分はないのかと悶々としていたある日、hashiが耳寄りの情報をもってきた。京都の万福寺で何やらあるらしいのだ。
インターネッツを駆使しても式次第すら分からないものの、幸い万福寺は我が家を出て30分以内には着いてしまう距離にある。さっそく三人で出掛けることにした。
上の写真は我が家の最寄り駅のホームにて。「まーたderorenとhashiがどっか引きずり回す気だぜ。やってらんねーなー」とぼやいている可能性は否定できない。
万福寺はJR奈良線黄檗駅から徒歩5分ぐらい。京阪黄檗駅からも似たような距離だ。ちなみに両駅は、ホームが隣接するのに乗り換え駅とされていないことで有名だ(競合区間なので合同駅舎は永遠に造られないだろう)。
門前に着くと、幔幕が張られている。祭礼気分を盛り上げてくれるが、実は本日の祭礼とは無関係。350年記念の法要が近日開催される関係の幕である(大震災で延期されたもの)。
そもそも、周囲には他にも参拝客がいるけれど、祭を見に来たという感じの人間は見かけない。
一般的に京都で祭を見物に行くと、役にも立たない写真を撮りたがる自称カメラマンや、とりあえず他人よりよい場所を占拠しようと殺気立つ人々が、漏れなくついてくる。しかしそんな空気はまるでないのである。
ともあれ中に入ることにする。ちなみに拝観料は一人500円である。大人二人で1000円! 台南の開元寺も法華寺も拝観料なんて取ってないよねっ!
……ここは台湾人の読者もいるので、あえて書こう。日本の、特に京都の観光寺院は、ただ敷地に入るだけでお金を必要とする。拝拝の有無に関わらずである。
堂内には賽銭箱がちゃんと設置されているけれど、参拝客がお金を入れる保証はないので、あらかじめ取ってしまう。それが「拝観料」という制度だ。かつて税金でもめて「志納金」と称した時にも、金額を強制する寺院があったほど、観光寺院の経済にとって拝観料は大きな収入源である。
万福寺は郊外の寺院なので、平日の観光客なんて知れているけどね。
話がそれてしまった。広い境内は、左右に並ぶ提灯だけが、特別な日であることを示している。
階段を昇ったところにあるのが天王殿。実はここ、台湾でいうところの弥勒殿そのものだ。内部は中央に布袋系弥勒像があり、両脇には四天王が祀られる。まるっきり開元寺などと同じ配置となっている。
これはもちろん偶然ではない。
万福寺は禅宗の黄檗宗に属するが、この宗派は日本の江戸時代に、清朝から伝来した非常に新しいものである(従って寺院の数は少ない)。開祖の隠元は中国人で、当初は他の僧侶も概ね渡来人だった。さらに伽藍もそのまま再現された。
台南の開元寺や法華寺は、黄檗宗に属したことはないと思われるが、ほぼ同時期の寺院なので、類似しない方がおかしいのである(台南にはかつて黄檗寺があったぞ)。
そうして盛り上がってきた我々の前に、立ちはだかったのはマスコットキャラだった。
コイツは叩いて音を鳴らす開版で、禅宗寺院にはつきものの道具に過ぎないけれど、売店では本当に開版のキャラクターグッズが売られているんだぜ。
そして、このマスコットがいる場所では……。
ああうまそうな香り!!
斎堂では精進料理(素食)の春雨が振舞われている。もちろん見逃すはずもない我々は、見学より先にまず食事となった。
これがまたうまい。金針花が入ってるし、しっかり台湾素食の気分も味わえた。ああ幸せだ。写真の皿の中身は、二人で全部食ってしまった。
ただし、幸せなのは親だけで、まだ離乳食も途上のtomopeeは一人ふてくされていた。罪滅ぼしも兼ねて、そのまま斎堂の隅を借りて授乳、いよいよ目的の場所へ向かうことになった。
台湾の話じゃないのに、まだ続くぜ。
*****頼まれたので宣伝*****
台湾政府の行政院青年輔導委員会で、「青年トラベラー大募集」というイベントを開催。webから10日間の旅行計画を投稿すると、締切後に審査が行われて、2000~3000$の旅行資金がもらえるかもしれないそうだよ!
ちなみに18-30歳限定らしいよ! derorenは応募資格がないのに宣伝してるよ! 依頼の文章が分かりにくいので全面的に書き替えたよ!
まぁ興味のある人は公式サイトを見るが良いぞ。
http://youthtravel.tw/youthtrekker/
*****宣伝終わり*****
2011/10/14
小兒痲痺と流行性感冒
7ヶ月を迎えたtomopee。日本の植物園で、台湾の油杉(ユサン)の松ぼっくりを手にしているぞ。最近は彼と台湾の関わりも希薄だぞ(元々が希薄だ)。
で、ここにきてderorenとhashiの間では、台湾旅行に向けた大きな課題として、伝染病予防の問題が浮上している。具体的にいえば小兒痲痺と流行性感冒だ。
小兒痲痺(ポリオ)は、最近のニュースによると新疆地区で大流行らしい。台湾での患者は近年は発生していないというが、中国からの旅行客が大挙押し寄せるだけに、安心と言い切れない部分がある。
ちなみにtomopeeは不活化ポリオワクチンを接種中(現時点で2回)。
流行性感冒(インフルエンザ)は言うまでもない。こちらも来月ワクチン接種の予定だが(近所の小児科は予約でいっぱいなのよね)、tomopeeは2回接種しなくてはならない。
というか、接種したウイルスとは限らないからねぇ。
病気になった時に、tomopeeの病状を正確に伝えることができるのかという点も、相変わらずの懸案だ。
tomopeeの健やかな成長を願って、どこかの廟で祈禱を頼みたいのだが、それを現地でどうやって交渉するかというのも問題だったりする(言葉の問題)。頼むだけならジェスチャー混じりでどうにかなりそうな気もするけど、祈禱の内容を我々が理解できないのでは意味がない。通訳が必要になるなぁ…と、これも悩み事。
もちろんそれは、具体的な計画を立て始めた故の悩みである。
伝染病問題で納得いかなければ、延期するしかないけどね。
2011/10/08
隘門逝く
話題がないので最近は更新ほとんど停止中の本ブログ。その中で最大の関心事のように見えなくもない艋舺隘門の最新動向が伝わってきた。
10月6日の民視が伝えたところによると、結局すべて取り壊されたらしい。同報道では、壁に屋根の痕だけ残った映像が流れている。
この門のせいで救急車や消防車が入れないという報道は以前からあったが、水道が引けないという状況もあったらしい。いずれにせよ、現在のあの場所に門を設ける必然性は皆無なので、遅かれ早かれこういう結末を迎えたのだろう。
なお台北市の文化局では、隘門もどきの記念物を建てる可能性もあるようだ。ただしそれは決して、あの隘門のような形にはならないだろう、とも。
そんなわけで、開設二年半の当ブログにおいて紹介した場所が、まさかの過去帳入りとなってしまった。じじむさく言えば、これも一つの縁でございましょうや。南無
10月6日の民視が伝えたところによると、結局すべて取り壊されたらしい。同報道では、壁に屋根の痕だけ残った映像が流れている。
この門のせいで救急車や消防車が入れないという報道は以前からあったが、水道が引けないという状況もあったらしい。いずれにせよ、現在のあの場所に門を設ける必然性は皆無なので、遅かれ早かれこういう結末を迎えたのだろう。
なお台北市の文化局では、隘門もどきの記念物を建てる可能性もあるようだ。ただしそれは決して、あの隘門のような形にはならないだろう、とも。
そんなわけで、開設二年半の当ブログにおいて紹介した場所が、まさかの過去帳入りとなってしまった。じじむさく言えば、これも一つの縁でございましょうや。南無
2011/09/19
結局、隘門はどうなったのやら(附tomopee)
台北艋舺(萬華)地区にある古蹟「隘門」が取り壊しになるというニュースが流れたのは先月下旬のこと。その時点で、メディアには9月14日という日付が踊っていたわけだ。
で、その日付をとっくに過ぎているのだが、少なくとも破壊されたという報道がなされた気配はない。wretchのブログ検索ですら何の情報も出て来ない。どうなってんのかねぇ。
個人的な意見を言わせてもらうと、隘門については、壊すか、それとも本気で整備するかのどちらかを選択するしかないと思う。
現在のように、ただ清潔感のない空間であり続けるならば、使命を終えたと判断されても仕方がない。逆に周辺も含めて整備され、龍山寺や華西街を訪れる観光客が、当たり前のように立ち寄れる場所になれば、門にとっても幸せだろう。
龍山寺の駆け足ツアー客だって、その気になれば寄れるぐらい近いのだ。そういうアドバンテージを活かす方法ってないものかなぁ。
まぁしかし、あの辺の土地の権利関係ってどうなんだろうね。やっぱり黒い方面が関わるのかなぁ。場所が場所だし。
tomopeeは飛行機になったつもりだ。
定期的に大事故を起こす某エアラインよりも、オイラの方が安全だぜ~………と言っているかは定かでない。
というか、tomopee航空はすぐに墜落するからね。
derorenは黙って次回もキャセイに乗るづら。
畳の痕がついてるぜ。
tomopeeは若いから、多少は事故ってもすぐ修復されるんだぜ。うらやましい話だぜ。
で、その日付をとっくに過ぎているのだが、少なくとも破壊されたという報道がなされた気配はない。wretchのブログ検索ですら何の情報も出て来ない。どうなってんのかねぇ。
個人的な意見を言わせてもらうと、隘門については、壊すか、それとも本気で整備するかのどちらかを選択するしかないと思う。
現在のように、ただ清潔感のない空間であり続けるならば、使命を終えたと判断されても仕方がない。逆に周辺も含めて整備され、龍山寺や華西街を訪れる観光客が、当たり前のように立ち寄れる場所になれば、門にとっても幸せだろう。
龍山寺の駆け足ツアー客だって、その気になれば寄れるぐらい近いのだ。そういうアドバンテージを活かす方法ってないものかなぁ。
まぁしかし、あの辺の土地の権利関係ってどうなんだろうね。やっぱり黒い方面が関わるのかなぁ。場所が場所だし。
tomopeeは飛行機になったつもりだ。
定期的に大事故を起こす某エアラインよりも、オイラの方が安全だぜ~………と言っているかは定かでない。
というか、tomopee航空はすぐに墜落するからね。
derorenは黙って次回もキャセイに乗るづら。
畳の痕がついてるぜ。
tomopeeは若いから、多少は事故ってもすぐ修復されるんだぜ。うらやましい話だぜ。
2011/09/06
オッサンの魂とtomopeeの邂逅
気がつけばtomopeeは6ヶ月を迎えた。
昨今の日本国では、6ヶ月をハーフ・バースディ(half birthday)とか呼んで祝うらしいぜ。正直言ってderorenには全くピンとこない話だが、hashiがケーキ風の離乳食を作ったので、親バカっぽく載せてみる。
食べ物の写真は難しいなぁ。
当ブログ的には、そんなことより台湾行はいつだよ、という話。しかしhashiの職場復帰もあったりして、なかなか難しい。
とりあえず台湾成分を少し与えようと、一枚の生写真と記念撮影したぞ。
tomopeeの左で微笑んでいるのは、北港朝天宮が最近建てたという巨大媽祖像である。
この像は朝天宮から離れた場所にあり、去年の旅行で我々は見ていない。なのになぜ写真が手元にあるかといえば、もらったからである。
朝天宮の内部で拝拝の様子を見学していた時、hashiの元にオジサンがやってきて、早口でいろいろ話しかけるという出来事があった。
hashiは大学で第二外国語に中国語を選んだという輝かしい過去をもつが、もちろんさっぱり聞き取れず、愛想笑いでごまかすのみ。すると別れ際に、オッサンは一枚の写真を手渡したのだった。
オッサンはきっと、「オイラの街のすげぇ神さまだぜ!」と自慢げに朝天宮媽祖を紹介してくれたに違いない。そんなオッサンの熱い魂を次世代に伝えていくのも、我々の役割……だったっけ?
まぁ難しい話はともかく、tomopeeがこの写真と記念撮影した事実は、こうして残る。読者の皆さんは、今まさに歴史の証人となったのだ。
抹茶入りチーズケーキに興味津々のtomopee。
一応これはtomopeeのお祝いと称して買ったので、形だけ記念写真を撮ろうとしたわけだが、自分が食えないという事実に憤懣やる方ない主役は、この後豪快にひっくり返したぞ。
拍手コメントなどいただいた皆さんへ。
こんなありきたりな親バカ日記を御覧いただいていることに感謝いたします。
当ブログはtomopee育児日記ではなく、あくまで台南の魅力を伝えるブログですが、彼の成長過程が台南好き少年への成長でもあればいいなぁ、なんて思うわけでござんす。小っ恥ずかしいのでおしまい。
2011/08/30
台北艋舺の隘門が取り壊されるらしい
台北の艋舺(萬華)地区にある古蹟「隘門」が、何と9月14日頃を目途に取り壊されることとなったという。
最近は台湾映画「モンガに散る」の重要なロケ地だったこともあり、多少は観光客も訪れていた模様。しかし救急車両の出入りに支障があるというのが、取り壊しの理由らしい。
反対の声が上がっているようだし、もしかしたら今後何かの動きがあるかも知れないけど、我々が去年訪問した古蹟が失われるとすれば、非常に残念である。
※訪問時に書いた記事はこちらを御覧くだされ。
移民の島であった19世紀までの台湾では、出身地別に連帯し、武装し、そして住居地区を要塞化することで自衛がなされていた。隘門はそうした時代の名残りである。
龍山寺から徒歩3分とかからない至近距離なので、9月上旬に台北に出掛ける人は、その最期の姿を一見してほしい。
実際に見れば、まぁ汚い祠みたいなものだけど、あの映画のファンにとっては特別な場所だろうし。
2011/08/28
限りなく唐揚げ的な鶏排を作ってみる
というか、唐揚げを作るはずだった。
時間もないし面倒なので、市販の唐揚げ粉でさっと揚げよう……と思ったら切れていたので、やむなく地瓜粉の世話になったわけである。
諸先生方のご尽力により、我が家には地瓜粉が未だに3袋もストックされている。いやまぁ、deroren自身が買ったものも含まれているけど、その辺の細かいことはさておこう。ともかく、ケチケチする必要はないので、単なる片栗粉の代用品として利用した。
一応はレシピなぞも書いてみる。
鶏肉は唐揚げ目的なので、胸肉ではなくもも肉。それを20分ほどタレに漬ける。タレはめんつゆ(3倍濃縮)、醤油(少し)、砂糖、おろし生姜だ。
せっかくなので、衣は二種類試してみた。写真の左右の衣の違いが分かるだろうか?
右は地瓜粉のみ。粉の上に肉を置いて、押しつけるように粉をまぶして揚げてある。
一方の左は、タレ漬け中のボールに卵を落として混ぜ、その上で地瓜粉をまぶした。比較すると、卵のある方が衣が厚くなり、食感も若干よくなるようだ。
手元のレシピ本には、どちらの揚げ方も書いてあったりする。どちらでも、鶏排っぽいサクサク感はしっかりある。
で、食べた感想は、普通にサクサク衣の唐揚げだった。
当たり前すぎる話だけど、鶏排っぽい調味料を何も使わなければ、こういう結果になる。まぁ普通にうまかったので、我が家では今後も作るのではあるまいか。
2011/08/22
赤子連れ台湾旅行計画(三) 長距離移動、そして未知の空間を体験
実家に帰省した。tomopeeは5ヶ月にして、初の長距離移動である。果たして無事に済むのかという不安の中で、ともかく旅は始まった。
derorenの実家は遠いので、飛行機を乗り継がなくてはならない。早めに往復割引でとったとはいえ、その旅費はキャセイで台湾往復とほぼ同額だ。財布にもヘヴィな旅だぜ。
伊丹からまずは羽田へ飛ぶ。そして乗り換え一時間で実家近くの空港へ。家を出てから6時間ほどで到着した。
今回、大活躍だったのがスリングだ。着脱が簡単だし、機内でも使える。そしていざとなれば、布でtomopeeを覆い隠し、そのまま授乳ができてしまう。
お盆ということもあり、機内には他にも赤ん坊連れが大勢いたから、わりと気楽ではあった。とはいえ、泣かれればプレッシャーはある。そんな時に、さっと授乳して落ちつかせることができたのは非常に大きな経験だった。
もちろん、授乳したのはderorenじゃないけどねハッハッハ。
こちらは帰り。某空港ロビーで爆睡中だ。
この日は大変だった。豪雨があがって、問題なく帰れるだろうと空港に向かったら、羽田が大雨でまさかの欠航に。で、慌てて鉄道に変更、親に無理を言って数十キロ離れた駅まで送ってもらう。
ところが、駅に着く寸前にカーラジオが地震速報を流し始める。その瞬間に嫌な予感はしたけれど、とりあえずそのまま駅へ。しばらくは何のアナウンスもなかったが、結局地震で止まってしまい、ホームで待たされる羽目になった。
やがて列車は動き出したものの、一時間半遅れの列車は途中打ち切りとアナウンスされ、一旦はその終着地での宿泊を覚悟する。が、近くに別の空港があったことを思い出し、実家に電話して調べてもらうと、夜に大阪へ向かう便があるという。すぐに座席を確保してもらい、列車を途中で降りてその空港に向かった。
上の写真はその空港での写真。最初に実家を出てから、既に7時間が過ぎている。
そうして確保した便は、関空行の臨時便。本来は伊丹行だが、遅延のために伊丹に降りれなくなった結果の便(伊丹空港は20:00以降の発着不可)で、お詫びに交通費と食事代をもらったゾ。別に我々は詫びられる謂れもないけどね。
定員100名以下の小さな飛行機は、何事もなく関空に到着。そこから特急「はるか」で京都に向かい、さらに乗り換えて、ようやく家に辿り着いた時には日付が変わっていた。tomopeeはいきなり12時間もの長旅を経験してしまったのだ。
そんな帰路も、スリングが大活躍だった。特に、母乳で育てている人の旅には、スリングが適していると思う。オススメだ!
台湾旅行の前哨戦として捉えた場合、長距離移動そのものに関しては、正直言って自信がついた。台南への往復で困ることは、基本的にないだろう。tomopeeが病気になったら別だが。
むしろ不安なのは、滞在中であった。
実家に着いた初日は暑い日だったが、これも前哨戦のうちということで近所のお堂に拝みに行った。それは徒歩10分程度の距離で、言うならば首相大飯店から興済宮とか烏鬼井ぐらいまで歩いただけ……なのに、へばってしまった。tomopeeよりも、彼を背負うderorenにダメージがあった。
その日の気温は、台南の5月ぐらいだ。もちろん、台南よりも湿度が高いので、より不快感が増すのは事実だけど、これで街歩きなんでできるのかなぁ、と後ろ向きになってしまった。
せっかくなので、そのお堂関係の写真。
何十年も見慣れた景色だが、改めて見ると台南の仏教寺院(開元寺や法華寺)を思い出す要素もある。というか、日本でも珍しくないんだよな。
「湯殿山」の石碑。湯殿山は修験道(日本の民俗宗教)の聖地なわけだが、この石碑は左右に「行者 鐵門海」とあって、実はけっこう貴重なものだ。
鐵門海とは湯殿山信仰の特徴である「即身仏」(生きたまま食事を断って穴に籠り、そのまま息絶えて干からびてミイラになった姿)の一人で、七五三掛の注連寺に、いわば仏像として祀られている。この石碑は、生前の鐵門海が、信者を集めるためにここにやって来た証だろう。
まぁ湯殿山系の即身仏は、実は出自がアウトローな面々が多かったりする。そういう人々に居場所を与える一方で、勢力拡張のために過酷な行を強いた面は否めない(某有名な学者はボロカスに言ってたな)。
純粋な信仰心だけでは、死を前提とする行はできないのよね。余談だけどね。
口直しに、暑い夏の日にふさわしい一枚をば。
長々と書いた最後に、素直な感想。
我々は台南の小さな廟を訪れて紹介しているけれど、それは台湾人がこんな小さなお堂にやって来てブログに書くようなものなんだなぁ…と考えると、ものすごい違和感があった。
我がブログは、ずいぶん無茶なことをやっているようだ。
このお堂の由来を詳しく調べて楽しんでいる台湾人がもしもいたら、きっとderorenは友人になりたいと思うに違いない。うむ、意味のない言葉でおしまいおしまい。
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