2009/08/21

開元寺(九) 銅鐘

開元寺
 2度目の訪問となった開元寺では、見落とした(見れなかった)箇所などをだらだらと巡った。そんな一つがこの鐘である。前回はお勤め中だったので入るに入れなかった大雄寶殿に下がっている(たぶん現在は鳴らしていない)。
 この鐘は康煕34年(1695)に造られたもので、びっしりと般若心経が刻まれている。清の統治となった台湾が仏国土となるように、というものだったらしい。

開元寺
 第二次世界大戦中の日本軍は、そんな鐘を溶かして武器に転用しようとくわだてた。そうした危機から鐘を救ったのが、最後の日本人市長だった羽鳥又男だったわけである。功徳堂の井戸のそばに、彼の銅像がこっそり置かれている。日本語の説明文もあった。

 羽鳥氏が行った政策は、要するに台南市を観光都市として整備するものだ。そしてそれは、台南の古いものを価値として見いだすものだったといえる。
 対して日本軍(というか総督府)は、自分たちが適当にあつらえた模倣的西洋世界を一方的に与え続けている。各地の廟宇を学校にしたり倉庫にしたり壊したり、台南人のアイデンティティを滅茶苦茶にすることこそ、軍部にとっての価値だったのではないか。

 結局は国籍や生地の問題ではなく、「市」という一地域の長としての感覚と、国家理念にしか隷属しない軍の間には、こういう事件が起こるべくして起こる、ということなのかなと思う。まぁもちろん羽鳥氏はその意味で、有能な市長だったには違いない。

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