2010/05/29
沈記原汁牛肉麺と脆皮臭豆腐(台北・松江市場前)
行天宮から松江路を南へ歩くと、数分で錦州街との交差点に出る。そこから錦州街を西へ進めば、すぐに見えてくるのが松江市場である。市場は新しい立派なビルなので、日中ならすぐに分かるだろう。こういう時間になると、市場はもう閉まっているけどね。
並んでいる屋台は、日中は市場の中で営業しているらしい。我々の目的地たる店もそうだ。
まぁともかく、写真の左側の屋台「沈記原汁牛肉麺」は、旅旅台北「QQ麺館」で紹介されていた。
行天宮から非常に近いし、台湾の黄牛肉を使っているらしい点も気になる。そんなわけで本日二食目の牛肉麺を食すことになった(結局、今回の旅で食べた牛肉麺はこの二食だけだったが)。
ここの牛肉麺(小90元)は、旅旅台北でも書かれている通り紅焼ではないが清燉でもない。清燉に近いが醤油が入っているという感じだ。昼に食った桃源街のものと比べると、非常に穏やかでやさしい味である。
もちろんスープが薄いわけではなく、しっかりダシも出ている。かなり好みだ。
麺は刀削麺に似た感じの幅広のもので、しっかりコシもある。やわらかく煮込まれた肉も良い。我々二名の感想としては、桃源街の麺より評価は上となった。
なお、この店の最大の欠点かも知れないのは、立地だろう。
一番上の写真の左端におっちゃんが写っているが、我々はその隣で食べた。明かりは屋台の照明しかないので、非常に暗い。市場内で営業している時はともかく、ここで食べるのは初心者向きではなさそうだ。
注文は指差しでもどうにかなるが、「ニョウロウミェン」と「シャオ」ぐらいは言えないと厳しい……って、たった二つで済むのに厳しいも何もないか。
さて、そのおっちゃんは臭豆腐を一緒に食べていて、何ともうまそうだった。臭豆腐の屋台は牛肉麺の隣にあった(一番上の写真の右側)ので、こちらも頼んでみる。一皿45元。
この臭豆腐はサクサクで、しっかりうまみもある。あっという間に食べてしまった。
日本のどっかで食った臭豆腐は、値段は何倍もするのにちっとも味がなかった。やっぱりこれは現地でしか食えないのかなぁ。
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行天宮前地下道で占ってもらったわけだが……
始めに断わっておくが、我々は最初から占いの内容になど期待していない。じゃあなぜわざわざ占ってもらったかと言えば、見ず知らずの人間をどういう形で納得させていくのか?、その辺の所で日台の違いがあるのか?、そんな興味があったからである。
ちなみに、かつて沖縄の某所で「占い」のような行為をやってもらったことがある。そちらとも比較できるならしてみたかったけれど、沖縄のそれは神がかりなので、ちょっと無理があった。
ともあれ行天宮前の交差点にある地下道へ潜ってみる。
入口はまさしくただの地下道だが、降りてみたらこんな景色だ。というか、地下道としてはほとんど利用されていない。地上に横断歩道があるのだから、よほど車道に恐怖をもっている人でなければ、わざわざ潜らないのではなかろうか。
こちらも地下道の様子。
ひたすら目立つのは日本語。ガイドブックには「地元客でいっぱい」とか書いてあるが、一説には客の9割が日本人という噂もある。もちろんほぼすべての占い師が「日本語OK」だ。
なお、「日本語OK」には二種類あって、占い師自身が日本語を理解している場合と、通訳を使う場合がある。通訳といっても、この地下街に常駐している人であって、別途雇うわけではない。
正直、二巡ぐらいしながら、どんどん気分は萎えていった。中身に期待していないのだから当然である。悩んでいると、「やっぱりやめよう」になりそうだったので、ぱっと決めた。
この人に決めたのは、どこかのガイドブックかWEBで顔を見た記憶があったから、という程度の理由である。通訳を介すタイプで、一通りの運勢を占って1000元というヤツだった。
本人が日本語を話す場合、しゃべりは日本語力に左右されるはず。なので通訳付きの方がイイんじゃないかなぁ、という目論見もあった。残念ながら、脆くも崩れ去った目論見であった。
名前や生年月日などを聞いて、手元の本と照らし合わせて、おっさんは一気にしゃべり始める。二年分のあらゆる運勢がいっぺんに分かってリーズナブルと言えば言えなくもないが、少なくともderorenは非常に不満だった。
何が不満だって?
この占いには、「ワシの言うことを信じろ」という仕掛けがなかったのだ。
彼がめくっていたものは、圓明堂でもらった農民暦に載っていた占いと大差なく思われる。農民暦のそれも、なかなか読み取りにくいシロモノなので、金を払って読んでもらったという感覚かも知れない。
しかし、それにしては高い。そして時間が短い。正味10分ほどしかなかった。何度も書くけど最初から期待していなかったので、この人に恨みはないけど、もうこの地下街に行くことはないだろう。
夕闇の行天宮で拝拝!
台北で拝拝といえば龍山寺か行天宮らしい。ということで迪化街を歩いた我々は、民権路をタクシーで移動した。そろそろ日没という時刻であった。
関帝廟は台南で何度も拝拝している(実は横浜の関帝廟も行ったことはある)。で、台北だと何が違うのかなぁ、と門をくぐった。
……くぐったと言っても、この正面の門は閉じられているので、脇から潜り込む。日本でもそうだが、正面から入りたければ偉くなるしかない。もっとも、努力ではどうにもならない場合がほとんどだけどさ。
中はかなり広いのだが、拝拝の人数も多い。
まだ18:30だから、仕事帰りに寄れる時間なのも事実。しかし日本ならば、仕事帰りに神社で拝んで行くサラリーマンなんて相当にレアな人種だ。
まぁそもそも、日本では寺社ともにお高くとまっていて、詣でる側も何か高尚な願い事がなければいけないような気がしている。そして高尚な願い事は、基本的に切実なものではないから、情熱を傾けることもない。
対抗できるとしたら、やはり石切かなぁ。
我々も、お金が欲しいとか長生きしたいとか、いろいろ頼みたいことはあるので拝拝した。そのついでに関帝の姿を撮ってみる。
関帝の造型には特に珍しいものはない。ここだけ見ると、なぜこんなに拝拝の人が多いのか良く分からなかった。
もっとも、神様に力があるから拝拝するのだから、外観をどうこう言っても始まらない。
我々は心の底から神頼みしようと思ってないから、見た目で騙されたがるのである。
供物が並ぶ。うまそうな蓮霧だ。土芒果も沢山並んでいた。
「よし、これから食ってやるぞ」と思ったわけでござる。
左右にはこんな行列があり、先頭の人は線香で身体を撫でてもらっていた。魂を戻してもらう「収驚」というものらしい。行列が長すぎてパスしたが、こういう所に普通に若い人が並んでいたりするのが台湾の凄さだなぁ、と思う。
なおhashiは聖筊でおみくじを引いて、解説をしてもらった(日本語で解説してくれる人がいる)。その結果については秘密でござるよ。
気がつけば時刻は19:00。さぁそれでは、台湾の占いとかいうものを体験してみようか……と地下道へ向かったわけであった。
……まぁしかし、初日の19:00だから日本時間の20:00である。7:00には起床していた我々が、こんな調子で「充実した時間」を過ごせば、しんどいのは当たり前だよな(この日の日程はまだまだ終わらないゾ)。
2010/05/28
迪化街の猫と犬
台湾はどこもかしこも猫と犬だらけだが(以前にも書いたが、derorenは犬嫌いなので列記する際は必ず猫から書く)、迪化街も例外ではなかった。圓明堂ほどのインパクトはないにせよ、そういう見所はいっぱいでござる。
そんなわけで、迪化街にいた看板猫。
同じ猫だ。
構図も一緒で面白みのない写真だが、いちおう撮影者が違う(上はderoren、下はhashi)。今回のhashiカメラは前回の旅行までderorenが使っていたヤツなので、以前ほどクオリティの差はないはず(実際にはかなり差があるけどね)。
これは貴陽街を横切る猫。
猫の写真は他にも撮ったが、何といっても猫なので突然現れて突然去って行く。捕捉は困難を極めるわけである。
一方で、怠惰な犬は簡単に撮れる。
台湾の犬はとにかく動きが緩慢である。
大阪ミナミの路上を彷彿とさせる光景が広がっている。
見ようによっては香港ノワールのエンディングのようでもある。
飼い主がいればこうなるようだ。
人を見て尻尾を振る、まさに犬のような犬である。
hashiに近寄って来た一匹。
鎖に繋いでない犬なんて、日本ならすぐに保健所送りになりそうなものだが、日本の繋がれた犬より緩慢な動きである。
hashiカメラを覗く犬。
これも日本国内だったら電柱に登らざるを得ない情景である。
……いや、台湾でもいつかヤツらは本性を現すに違いない。とりあえずderorenは、放し飼いだらけのこの街にはとても住めそうにないのである。
2010/05/26
台北圓明堂(獣の楽園もしくは危険地帯)
廣澤堂のすぐそばの圓明堂。高架の下という条件も同じなので、どうにも薄暗い。まぁ我々の訪問した時間も悪いのだが(18:00を過ぎている)。
なお、上の写真は特に映りが悪い。うっかりしていたderorenは、外観の写真を撮り忘れてしまった。hashiカメラにあるにはあったものの、今度は画面に撮影中のderorenが思いっきり写っていた(もちろんカットしたぞ)。
右端のシャツがどうにも存在感ありすぎなのは、ある意味ここの雰囲気をよくあらわしていると思う。
内部は特筆するようなものではない……と言いたいが、中央に比して両脇の将軍たちがやたら立派なのが目にとまる。
そしてもう一つ、息をひそめて我々の出方をうかがっている、野獣の姿も(野獣か?)。
謝将軍サイド。謝将軍が「七爺」であるように、他にもいっぱい将軍はいるけれど、なかなか覚えられないものだ。
范将軍サイド。
こういう林立する将軍像は、初見の人にはかなりインパクトのある絵面だと思う。我々はすっかり慣れた。もう鎮座しているだけでは物足りなくなった。
一応、中央のアップも載せておく。ただし、この廟の主祭神が何者なのかはよく分からない。
「圓明」は仏教語と考えられるけれど、どうも道教系の神にも「圓明」の尊称は付くようだ。そして、少なくともこの祭壇は道教系だ。両脇の将軍たちの存在は、城隍廟などの陰廟であることをうかがわせる。
二人で覗いてたら、奥から管理人(ここに住んでる人)が現れて、案内してくれた(案内というほど広い廟ではないが)。そして廟名入りの農民暦をいただいた。そこには「霞海城隍廟公祖」とある。
霞海城隍廟の祭礼は、大稲埕の全域にまたがるものなので、もちろんここも含まれる。一方で、大龍峒(大稲埕の北の地域)の保安宮の祭礼も、ここは関係するようだ。実際に、ここの将軍が歩いてる写真があったので、紹介しておこう(見つけ辛いので注意)。
そして案内された奥の間は、なんと仏教の堂だった。なるほど「圓明」だ。
しかし、この狭い部屋に金剛力士から釈尊まで詰め込んでしまう辺りは、実に台湾的である。空いてる場所があってはいけない、という思想があるのではないか。
日本でも、もうみんな腹一杯なのに「テーブルが料理で埋まってないといけない」って注文し続ける人は時々いるよね。宴席の料理なんて、持ち帰り前提の量になってるわけだし。
台湾の宴会も同様みたいだから、そういう貧乏性的思想を信仰に持ち込めば、こうなるのは当然………というのは飛躍しすぎ?
別の言い方をすれば、空間そのものに価値をみるか、空間は置き場であって、何が配置されているかに価値をみるか、という差だ。
まぁしかしグダグダ書いても結論はもっていないので、このぐらいでやめておく。この廟の「真価」をまだ紹介していないのだし。
元に戻ろう。上から二枚目の写真で、范将軍の脇の通路に野獣の姿があったことに、賢明な読者はもう気付いているはずだ(というか、気付くように触れてあるわけだが)。
derorenは権力の走狗となることを許さない男なので、犬が大嫌いである(単に怖いとも言う)。ところがhashiは遊び相手が獣しかいないという辺境で育ったために、犬を見ると反射的に駆け寄ってしまうのだ(この説明にも多大な事実誤認があることは否めない)。
この犬がまた、並大抵ではない大きさで、しかも一頭やそこらではないのだ(つまり二頭)。
飼い主のおっちゃん(つまり管理人)は、記念写真を撮るように薦めるので、満面の笑みのhashiの写真を撮った。もちろんderorenは大きくジェスチャーして断わった。戦って負けそうな犬のそばに誰が立てようか!
廣澤堂(台北市)
迪化街を民権西路まで歩き、右折するとすぐにあった廟。
民権西路は橋に続く高架が覆い被さり、ここは暗く人通りも少ない。姿を見せるのは猫ばかり(猫や犬は別記事で紹介予定)。
廣澤堂については、もちろん予備知識なし。
ただ、名前からしても廣澤尊王の堂であろうことは分かる。台南の西羅殿などと同じ祭神である。泉州の移民が祀るものだ。
中央にいるギョロ目の子どもが廣澤尊王であろう。10歳で昇天した像だ。
両脇には七爺八爺が聳え立つ。
シャンプーハット(嘘)を被った謝将軍(七爺)。
范将軍(八爺)。実は両将軍とも襷には「義合社」と書いてある。
義合社は、検索するとこんな姿が見つかったりする団体である(なんて可愛いんだ!)。きれいな服を着ているので、廣澤堂の両人が出歩いたわけではないだろう。
2010/05/24
迪化街北段その四(民権西路に近い辺り)
迪化街もそろそろ民権西路に近づいてきた辺り。いきなり角に聳えるのがこれだ。
というか、この堂々たる建物で、貢丸(正確には扌貢丸)を売るというアンバランスさが何とも言えない。
その明峯貢丸店が、この写真の左手前のガラス張りの部分である。つまり、これは古い建築物ではなく、それを模して作られたものだ。
で、奥にも煉瓦の色が新しそうな建物が並ぶ。しかし、これも新しいものかどうかは分からない。『台北歴史深度旅遊』によれば、この辺は日本時代に流行した栱廊(アーケード)が続くとある。そう考えると、修復したものの可能性がある(実際、近くで見ると煉瓦もそれほど新しくは見えなかった)。
これは完全に新築だと分かる。
しかし、そこに入っている店は、古くからここで営業している李亭香というお菓子屋である。
これらはもちろん古い建物。煉瓦の色合いは、こんな感じの方が味わい深い。とはいえ、新築の建物もいずれはこうやってくすんで行くだろう。
ともあれ、修復しただけで客が来るわけではないから、この辺には何か集客できるものが必要なのだろう。十年後にどうなっているか……って、十年経ったら我々の年齢も十歳増えてしまうわけだなっ。
迪化街北段その三(涼州街以北その二)
迪化街北段でもひときわ目を惹くのが、この二棟続きの建物である。
といっても、この写真だけではぱっとしないか。
狭い道に背の高い建物が覆い被さる迪化街で、最初に目にする部分は亭仔脚(アーケード)である。
これを見たら、只者ではないと気付かぬはずがない(どうでもいいけど、監視カメラがついてるね)。
監視カメラ付きの方は李甘香という店で、油を扱う百年老店だ(電線の類が邪魔だ。この辺が整理されないと観光地にはならないな)。
この日(土曜日)は営業していなかったが、別に倒産したわけではなさそうだ。台北市のサイトにこんな映像があったので紹介しておく。
隣はとんでもなくカッコイイ洪儒堂。しかし何の店か分からず(営業してもいないし)。
日本ならきっと飲食店に化けるだろうな。アンティークな店もアリか。いずれにせよ、眠らせておくにはもったいない建物である。
※北段特集はあと一回で終了だ。
迪化街北段その二(涼州街以北その一)
涼州街から北へ向かう迪化街は、しばらくはほとんど人通りもない。しかし建物はけっこう素晴らしい。どんどん修復されているから、数年も経てば観光客が訪れるようになるかも。
天山行は乾物を扱う店。
屋号の入る場所が空白のままなのは、修復工事が終わったばかりという事情かも知れない。
修復された建物は、明らかに色が違う。あんまり新し過ぎるのも勿体ないが、ほどほどに色合いは保っていないと観光客は呼べないだろう。
こちらは見事な閔南式建築。
右側の建物には「王源成商行」とある。
亭仔脚(いわゆるアーケード部分)。屋根に組まれた木々が目立つ。
こんな風に修復が終わったばかりの「王源成商行」は、なんと借り手募集中だった(ということは「王源成商行」ではないのだろう)。
これは、きれいにしてから貸すという方針なのだろうか。
こちらも修復中。
老綿成は三代続くという燈籠の店。その両隣は修復中だ。老綿成の建物も修復された形跡があるから、営業中の店から先に修復して、それから空家という順序なのかも。
こんな感じでなかなか面白い北段はまだまだ続くぜ。
2010/05/23
迪化街北段その一(帰綏街~涼州街)
迪化街北段は、はっきり言ってごく普通の道である。南段や中街のように特定の業種が集まるといった感じでもない。なので観光客の姿もほとんどない。
ただ、この地区もかなりの建物が修復中だったりする。将来的には、観光エリアとして拡大して行くつもりなのかも知れない。
店舗が移転した建物。何も整備をしなければただの廃屋だ。
右端に見える青い部分は、修復中の隣の建物である。
時代を感じさせる建物だが、少なくとも店舗として営業していないようだ(北段は空家も多い)。
こういう所を借りれば、屋号を取り付けただけで「百年老店」みたいに営業できそうだ。そう考えれば、このまま北段が寂れていくとも思えない。なんといっても、「迪化街」というブランドが利用できるわけだし。
涼州街との交差点に、なんとも古めかしい交番があった。
こんな外観でも、かつては閻羅殿とか呼ばれていたのだろうか。
※北段は涼州街より北側の方がいろいろ見所がある。「その2」以降で取り上げるづら。
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