2010/04/28

鄭道聰著『小西門:台南前世今生』を読む

 つい最近、通販で購入この本の公式ブログはこちら
 鄭道聰氏は台南市文化協会の理事長として、台南の歴史や文化の保存などに関わっている人のようだ。そしてこの本の印税は、總趕宮の修復費用に宛てられるという。ちょっと高いような気がしたけれど、まぁそれなら一石二鳥で良しというところ。

 本の内容は、小西門を見上げながら生まれ育った少年「阿俊」が、台南の街の移り変わりを語っていくもの。小西門は国民党時代に道路拡幅のため取り壊された(一応、成功大学に移築)。激しく変化する街の象徴をタイトルにしたようである(私の中文読解力には限界があることを断わっておきます)。
 この本の面白さは、日本との関係、外省人との関係、国民党との関係、そういったものを感覚的に知ることができる点にあろう。それはまさしく少年の目を通して、少年の体験として描いているからに他ならない。
 特に外省人絡みのエピソードは、一介の観光客に過ぎない我々には分からない微妙な関係性が読めた。これだけでも買う価値がある。

 もちろん、台南にまつわる古い写真など資料的価値もある。洋食屋「カピタン」の写真は印象に残った。
 そして最後に衝撃の「鄭成功の頌」である。台湾の学校で歌わされた唱歌の存在は、全く知らなかった。歌詞を知りたい人は是非この本を買って欲しいので、あまり細かくは紹介しないが、八番(最後)の歌詞を読むと、鄭成功の遺志を継いだのが台湾総督府だ、という物語がみえてくる。
 台南に関する知識が全くない人が読むには辛いだろうが、一度でも歩いたことのある旅行者にとっては、必ず何かの発見があるはず。是非買おう。


 志業はついに成らざれど 明治の御代の御光に
 君の偉功は現れて 開山神社の月清し
     (『公学校唱歌』より「鄭成功の頌」)

2010/04/25

世界ふれあい街歩き「台南」 4/30放送

 台南の総爺老街などの街並みを紹介する「世界ふれあい街歩き」が、4月30日午後10:00~45に放送される予定だ。
 これは去年のこの時期にBShiで放送されたもので、我々はなんと台南の首相大飯店で見た。今から出掛ける先がテレビに映ってびっくりした(番組の存在を全く知らなかったので)。

 台南という街の雰囲気は、当ブログの写真でも分かると思うけれど、45分の映像でまとまっているのでオススメだ。資料としての価値もあるので、ぜひ録画しよう!

2010/04/22

近況

 珍しく役に立たない記事。

☆その1
 某研究会で、このブログ絡みの話をすることになって準備中。
 ここに関しては、全くもって「研究」という意識がないので、果たして自分が何をしゃべれるのか、というよりどんなスタンスでしゃべればいいのか検討していたりする。
 まぁ案内メイルからここを探せるとは思えないので、この話題はひとまず保留。

☆その2
 近々、重大な発表があるかもしれないぞ。

2010/04/18

宝島 台湾料理(心斎橋)再訪

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 宝島は昨秋に一人で寂しく食べた店である。今回は二人なので、まぁ肩身の狭い思いはしない。相変わらず宴会ばかりだったが。
 一応、店内には二人席もいくつか存在する。そうそう長居する店ではない(どうせ二人で頼みだせば、すぐに腹いっぱいになる)ので、気になった人は行くが宜し。

 で、野菜が食べたいということでリクエストされた空心菜(980円)。味薄め。まぁこれはこれでイイのかも知れない。

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 臭豆腐(980円)は、正直それほどの味ではなかった。どうしても食いたかったら行けば良いが、とりあえず現時点での比較対象(花園夜市の蔡家臭豆腐)の方が遙かにうまい。
 ただしhashiの評価はそれほど悪くなかった模様。同じものを食っても案外個人差があるものだ。

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 豆豉排骨(680円)。deroren的にはこの日一番のヒットであった。
 たぶんトーチが好きなのもあろうが、骨のまわりのとろとろの部分がなんともうまい。この店のメニューでは比較的安いのも良い。

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 肉燥飯(500円)。前回も食ったが、「茶碗サイズ」とある割にはそれなりの量がある。まずまず台湾っぽさもあるし、オススメだ。

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 担仔麺(450円)は、妙にエビだけデカい。
 はっきり言って、台南の味ではない。なぜなら麺が、かんすいを使った日本のラーメン用の麺だからだ。別に不味くはないから、そういうものだと思って食えば気にならないだろう。

宝島 台湾料理(大阪 心斎橋)
 最後は大失敗の紅豆豆花(500円)。大豆じゃない何かが混ぜてある。豆花だけ食うなら味庵茶坊に行くべし。

 この店には台湾の交通部観光局製作の日本語パンフレットが置いてあるので、今回もいくつか拾って帰った。去年のやつしかなかったけどね。

※値段は2010.4.11現在

2010/04/16

味庵茶坊(心斎橋)

味庵茶坊
 豆花が食えるという話を聞きつけ、向かったのは心斎橋。心斎橋といえば宝島もあるので、まずここでデザートを食べてから宝島で夕食とした(次の記事で紹介)。
 普通はメシを食ってからデザートと相場が決まっているが、正直そうしたくない理由もあった。

 味庵茶坊は地下鉄心斎橋駅からホテル日航大阪側に出て、少し歩いたところにある(詳細は適当にぐぐってくれ)。奥行きのある店内で、席はそれなりにあった。
 で、この豆花はちゃんとした豆花だ。豆乳を固めたまさに求めていた味で、その点は満足できた(実は最近、カタクリで固めたインチキ豆花をスーパーで買ったぞ)。

 しかし、この店は立地が悪い。要するにアメリカ村の北の端にあたるので、客層もそういう感じである。そして夜になれば確実に治安が悪化する(昼だって正直嫌だ)。晩飯を食って、より遅くなってからこの店に向かうのは、そういう意味でハイリスクと考えたわけであった。
 豆花はうまかったけど、たぶんもう行かないだろう。淀屋橋方面にでも移転してくれないかなぁ(我々は京阪沿線なので)。淀屋橋の客層ではすぐに潰れそうだが。

2010/04/14

鶏排を作ってしまえ!

 相変わらず諸事情により旅行の予定が組めない日々が続いている。悶々とするぐらいならと神戸の南京町をぶらついたのだが、そこで当然のように林商店に寄った。

林商店(神戸・南京町)
 林商店は南京町では最もマニアックな食材を扱う店で、台湾の味を求める関西方面の人間ならとりあえず足を運んでもいいと思われる(タイやベトナム方面もある)。爺さんはやや商売上手過ぎるが、南京町で岡山の豆瓣醤を買えるのは(たぶん)ここだけだ。
 そこで我々は白い粉を買って帰った。もちろん白いクスリではなく、かといって小麦粉でもない。地瓜粉(蕃薯粉)である。

地瓜粉(蕃薯粉)
 地瓜粉とはサツマイモのデンプンだ。ジャガイモと何が違うのかと半信半疑だったが、使ってみたら全然違ったぞ(どうやらジャガイモより粘度が高いらしい)。
 台湾料理には地瓜粉を使ったものが多い。蚵仔煎にも欠かせないし、最近の屋台の定番である鶏排(雞排)のカリカリサクサク衣も、これがなければ出来ない。
 ただし蚵仔煎は、小ぶりのカキが手に入ったとしてもソースで苦戦しそうだ。それ以前に、二度も陳家蚵捲で食べ、心斎橋の宝島でも食ったから、それほど飢えていない。
 対して鶏排は、花園夜市の店で買ったには買ったが、イマイチそれは好みでなかった。とはいえ台北紹介のテレビ番組では、士林夜市でまず鶏排を食う、というパターンが確立されているわけだ。
 たぶん一口で満足するような食い物、しかもすぐに腹いっぱいになって食べ歩きに不都合な食い物が、どうにも恋しい。よし、行けぬなら作ってしまえ屋台鶏排、てな感じで製作に取りかかってみた。
 なおレシピは『夜市流行小吃』を使用した。買って一年間放置していた本がようやく役に立ったのである。ああ感無量…なわきゃぁない。

鶏排
 材料は鶏胸肉。どうせ現地の鶏排も安い肉だろうと、余って冷凍していたヤツを使用。
 これをとにかく薄く切って、調味料に二時間ほど漬ける。冷凍肉は薄く切るのが楽だ。台湾の牛排や火鍋の肉って、見るからに冷凍肉だよね。

 調味料は詳しくは述べないが(無駄に高かった『夜市流行小吃』をみんなに買わせたいぞ)、醤油、砂糖、胡椒、五香粉など。
 本には「味素」も入れろと書いてある。「味素」とは何か!? アジノモトだよな。チャイナ・シンドロームまっしぐらだよな? そう思ってひかえておいた。でも夜市で食えば、結局化学調味料の大量摂取は避けられないんだよな(最近は台湾でも化学調味料不使用を謳う店が増えているようだが)。

鶏排
 二時間漬けた身を、とき卵にくぐらせた後に、いよいよ地瓜粉の出番となる。
 地瓜粉はもちろん水に溶かさず、そのまままぶす。しっかり押して粉をつけたら、十分ぐらい放置して、いよいよ揚げることになる。

鶏排
 とりあえず揚げてみたの図。ちゃんとサクサクだ。食べたら五香粉の風味で、しっかり台湾的な感じになっている(同居人に言わせれば、まだまだ甘いそうだが)。
 揚げてみて分かったのは、下味はかなり濃い目につけた方が良い、ということ。衣の地瓜粉に一切味がついてないから、どうしても薄味に感じるのだ(本では、完成後に塩コショウをふれとある)。
 しかしまぁ、やってみたら簡単に再現できてしまったのは事実。これで鶏排は現地で食わなくてもいいな、という結論に至った(でも店の前を通ったら買うだろう)。

 次はやはり排骨飯だな。ずいぶん昔にも作ってみたことはあるのだが、地瓜粉さえあれば怖い者なしだ。今は亡き歌舞伎町の店の味を再現だ(高菜が必要だな)。

※なお地瓜粉は日本では滅多に売られてない(宝島が通販やってる)が、サツマイモ澱粉はスーパーに売られている。それは何のことはない、安物の「わらびもち粉」である。代用品として使えるかは不明。
 最近は粘度の高い(値段もちょっと高い)ジャガイモ澱粉も売られている。そちらの方が無難かも知れないが、試したわけではない。

2010/04/12

椿茶藝館(神戸・南京町)

椿茶藝館(神戸・南京町)
 唐突だが、derorenとhashiは南京町に出掛けた。
 実はこの日、14時からモンテディオ山形とヴィッセル神戸の試合があった。密かに(隠してないけど)モンテサポだったりする我々は、滅多にない専用スタジアムでの試合を堪能してやろうと考えたわけである。
 で、会場のホムスタは地下鉄海岸線の沿線だから、南京町で飯を食うのは自然な流れ……と、朝から機嫌良く家を出た。ちなみに、同じ近畿といっても宇治と神戸はけっこうな距離である。JR新快速の時速130km/hですっ飛ばすと、一時間半で着いてしまうが(料金三分割作戦で、通し切符より330円安く済ませたぜ)。

 前置きはこれぐらいにして。
 椿茶藝館は、小さな南京町エリアの中で三宮寄りにある。いちおう路地に入った先なので、地図があった方が良いかも知れない。南京町マップはあちこちに置いてあるし、ネットで見ることもできるし、まず迷う人はいないはず。
 ここはテイクアウトと座っての茶飲を両方やっていて、珍珠奶茶(タピオカミルクティー)を売りにしている。軽食メニューもあったが、火鍋はない。まぁ座席が少ないので無理だろう。

 席は一階と二階にあり、二階は喫煙可なので高級な茶を飲む人には薦められない。一階は14席あった。
 かつて春節の時期に訪問した時には、たまたま席が空いたタイミングだったので運良く座れた。秋の連休では埋まっていたので諦めた。で、今回は少し早めの時間に訪問し、無事に席を確保することが出来たぞ。

椿茶藝館(神戸・南京町)
 二度目の訪問で初めて頼んだ珍珠奶茶。小さい粒のタピオカではなく、ちゃんとした大きさのヤツが入っているのは良い。味もまぁまぁ。
 ただ、台南の翰林茶館のものと比べると、モチモチ感がやや足らない感じ。珍珠は程よいQQ感が勝負なので、これでも改善の余地はありそうだ。

椿茶藝館(神戸・南京町)
 温かい八宝粥。
 缶詰買って食べてもあまり味の違いが分からないが、いずれにせようまい。いかにも体に良さそうなところもグッドだ。

椿茶藝館(神戸・南京町)
 工夫茶は一つだけ頼んだ。今回は文山包種茶。台北の郊外で作られてたりするお茶だ(前回は武夷岩茶など大陸のヤツを飲んだので紹介していない)。
 せっかくなので茶葉を撮影したかったが、さっさと湯を注がれてしまったので、この写真は一煎後の様子。明らかに緑茶に近い色である。

椿茶藝館(神戸・南京町)
 これはたぶん三煎目辺りの色。
 文山包種茶をそれと意識して飲んだのは初めてだったりするが、一煎目は深蒸しではない緑茶に似た風味があった。たとえが悪いけど、浄瑠璃寺方面とかを歩いている時に無人販売所で売られているお茶(100g100円とか)の風味だ。もちろん無人販売所緑茶のように強烈なものではなく、「風味」と呼べる範疇である。

 一番うまいと思ったのは三煎目。無人販売所緑茶的な風味は完全に消えて、えぐみが僅かに登場したぐらいの段階が、お茶として安定した味ではないかと思った。
 結局、我々はこの葉で五煎した。出涸らし気味の五煎目でも十分うまかった。

 そして今さらのように気付いたことがある。我々はこのお茶を飲んだことがあったのだ。台南の振發茶行を再訪した時に、厳おじいさんが冷やしたお茶を出してくれたのが、まさにこの味だった。
 その時は「高山茶もこんな味でだせるのか」と思ったのは内緒だ(どうやらhashiは気付いていたらしい。名誉のために注記)。

椿茶藝館(神戸・南京町)
 初回訪問時に食べた焼仙草を、ついでに掲載しておく。
 温かい仙草ゼリーに珍珠が入っていて、これも味は良い。

 まぁともかく、日本で茶藝館気分を味わいたい人にはお勧めの店である。これで台湾を台湾省って書かなきゃもっといいけど、いろいろ事情もあろうと思われるので深入りしないで終わる。
 ついでに、この店の名は「つばき」である。椿という字は日本と中国・台湾では全く別の植物を指すので、当然ここでは「ちん(チャンチン)」だと思ったけど、どうやら違うようだ。

2010/04/10

楊桃(スターフルーツ)

楊桃
 台南小吃の目次ページを作成中。で、フルーツ関係もまとめようとして、楊桃の写真が紹介されてないことに気付く。
 いや、もしかしたらどこかで紹介したのかも知れないが、正直言って管理人であるderorenにすらこのブログの全容は把握出来ていないので、諦めて記事にしてみる。

 この楊桃は光復市場(鴨母寮市場)の外れ、忠義路に面した菓子狸で購入した。(以前も書いたが)首相大飯店からも近い(というか天下大飯店のすぐそば)この果物屋では蓮霧(レンブ)や芭楽(グアバ)、釈迦頭も買った。火龍果(ドラゴンフルーツ)もあればなお良かったなぁ。
 (これも以前に書いたが)カットしてくれたのは、首相大飯店のスタッフである。朝食バイキングの時に、好意で切ってもらった。この切り方では楊桃の特徴である五角形が分からなくなっているけれど、五角形の中心部分は美味しくないらしいから、これが正しいとの話。裕成水果でも同じ切り方だった。

 味は南国フルーツらしく、水っぽくて酸味が主。グッドタイミングだと甘味もあるし、シャキシャキしてうまいが、時期を外すとシャキシャキ感はなくなるようだ。
 ナイフがなくとも噛り付けばいいので、是非とも果物屋で完熟状態のヤツを買って、ホテルの部屋で食うべし。

楊桃
 この写真は台湾ではない。実は京都府立植物園の温室に栽培されているので、そこで撮影した。というか、この写真を撮った時点では台湾旅行の計画すらなかったので、先見の明があったのかも知れない(本気にしないでくれ)。
 楊桃はなんとカタバミ科である。畑の雑草とどこまで近縁といえるのかは知らないが、果実の形は確かに似てなくもない(カタバミの実だって星形だ)。

 以前に紹介した『福爾摩沙植物記』によれば、清代の十九世紀前半に初めて台湾での記録があるらしい。とりあえず『続修四庫全書』に入っている『台湾府志』を見た限りでは、まだ記載がなかった。
 漢名は五斂子で、日本でもゴレンシが和名ということになるようだ。とはいえ、どれほど実際に呼ばれる機会があるだろう?
 李時珍『本草綱目』には、綱目初記載の品目として掲載される(『神農本草経』以来の諸書には記載がないという意味)。別名は五稜子・陽桃で、嶺南や閩(要するに台湾の対岸方面)に産すると、余り面白みのない解説のみである。薬効も、渇きを癒すみたいなことしか書かれてない。
 李時珍の手元に生の楊桃が届く機会はなかったろうし、伝聞のみで書いたなら仕方ないか。

2010/04/06

ヒゲ猫その2

ヒゲ猫
 そろそろネタ切れなので、ずいぶん昔に「その1」だけ載せた続き。
 総爺老街のこの猫と、保安宮近くのこいつが兄弟だったら驚きだ。

 三度目の台湾行きは迷走中。
 今年はいろんな意味で勝負の年なので仕方ないのだが、行かずにおくものか。

2010/04/02

旧台南州會(台南市議制史料館)

原台南州會
 台南の政治機構はなかなかややこしい変遷を重ねているので、私の理解は怪しいと先に断わっておく。
 台南州會とは、台湾の行政単位が「州」になった後の台南州に1935年に設置された機関である。「台南州協議會」と紹介されることもあるが、これは間違いだ。州協議會は単なる諮問会議で、州會は議決機関(つまり議会)。
 この議会設置は、台湾人を戦争に狩り出す代わりに、本土並みの権利を与える政策の一環である。州會のメンバーは半分が官選なので、日本政府に不利な議事は通らないナンチャッテ議会に過ぎないようだが、戦後の台湾がこのレベルに回復したのはほんの二十年前という事実もある。

 台湾というよりも、皇帝統治の世界観と「民主主義」は相容れないものだ。しかし、その世界観を排除するためには、玉皇上帝や城隍神といった信仰の体系にメスを入れなければならないだろう(神々の統治機構も、事実上は皇帝の統治機構の一部をなしている)。
 つい最近も台湾プロ野球の八百長問題で、台南県議会の議長が逮捕されている。議長が賭博組織のトップだったなんて冗談のような話だが、台湾の国民党系議員は元々ヤクザだらけなわけだ。ヤクザだろうとなんだろうと、天が選んだ者なら何でも出来る。そういう素地を作っているのが、上意下達な信仰の体系なのではないか。
 なお、州會設置と同時期に日本は神社信仰を強制し始めていた。もちろん台湾に神社信仰は全く根付かなかったが、それは統治機構の一部である漢民族的信仰体系に対して、政府の作った神があまりにプリミティブだったからなのかなぁ、と思う(国家神道を立ち上げていても、国内のすべての神々を統括する体系は存在しない)。台湾の人々にとって、日本的現人神は幼稚でいい加減に思えたのではないか。
 でも、幼稚でいい加減な神の国だから、上意下達から多少は逃れることが出来たのかも知れない。ややこしくなって来たのでやめよう。 

 さて、思いっきり話がそれた。
 derorenはつい二日前まで、議決機関ではない会議だらけの職場にいたので、何となく書いていくうちにこうなってしまった。世襲の学校法人における会議は、州會並みに無力である。ただそれだけの話だ。

原台南州會
 戦後の国民党政府の元では、台南市議会がここに置かれた。
 全景の写真がないので分かりにくいが、この建物は台南州庁の庁舎と隣接し、連絡通路も設けられている。現在の埋め立て地に移転するまで、中身がどうであれ議会に使われていたのである。

 現在は議会関係の資料館みたいになっているのだが、中はなんだかよく分からなかった。一階はただの店舗みたいだったし。
 その方面に興味のある人以外は、わざわざ行くような場所ではない。

原台南州會
 この建物は、むしろ裏から見た方が印象に残る。孔子廟側から山林事務所横の駐車場に入っていくと、州庁舎とともにこの景色が見える。


※現在は基本的に台南市摂影文化会館として使われている。公式サイトはこちら

かつての南門尋常小學校(建興国中)校舎

原南門尋常小學校舍
 四月になり(恐らくは)一時的に暇になった。さっそく嫌なこともあったけれど、とりあえずは次の旅行に向けて充電しておこう。
 それはさておき、カテゴリーを二つほど追加した。その一つ「日治時代遺蹟」は、台南に限るなら設置するつもりもなかった。まぁいずれ台北を歩くぞ、ということで。
 で、設置記念で台南の未掲載分をいくつか紹介する。

 写真は府前路沿いにある、非常に特徴的な建物だ(道路の向こうから撮影したので電線が邪魔なのは勘弁してくれ)。向かいには台南神社社務所だった建物があるので、観光客が目にする機会もあるだろう(府前路は台南神社、台南地方裁判所、愛国婦人会館など、日本の負の遺産が集まっている)。
 まぁ、莉莉水果店の近所といった方が分かりやすいか。

 ガイド類には取り上げられていないし、いったいどういう素性なのか謎だったが、府城逍遙遊(台南市の観光サイト)に記載があった。ただし、日本語サイトには存在しない。意図的なのかそうでないかは不明(古蹟未指定)。
 現在のここは建興國中。ただしこの中学は開校四十数年であり、それ以前は台南市政府が利用していた(だから「府前」路に面している)。そして日本統治時代に遡ると、台南第二尋常高等小学校(後に南門尋常小學校)であったらしい。今でも大南門から建興國中のグラウンドが見える位置関係にある。
 なお、南門尋常小學校は移転して現在の永福國小となったそうである。

 余談だが、建興國中のホームページには「校史」というメニューがある。が、なんとリンク先はwikipediaだ。学校関係者が書いている可能性はあるにせよ、手抜きにも程がある。
 まぁホームページの信頼性なんて、元々そんなものかも知れないが。このブログも、読み返すとおかしな部分が多々あるのだよ(韋駄と伽藍とか)。