2009/05/09
北極殿(一) 明の守護神
玄天上帝を祀る北極殿。
明の開祖である朱元璋は、かつて元軍に敗れて玄天上帝の廟に逃げ込んだところ、上帝は蜘蛛の巣で朱元璋を隠して助けた。なので朱元璋は玄天上帝を護国の神として祀った……と台湾のガイドに書かれてある。誤読がなければいいが。
だから鄭成功が明という国の復活を宣言するにあたって、玄天上帝の廟が必要とされた。それがこの北極殿の成り立ちだそうな。
なお、鄭氏政権の頃から、ここは大上帝廟が正式名称だった。それは同時期に建立された小上帝廟、つまり霊祐宮との関係による。黎明期の台南府城に二つも廟があったのは、それほどに玄天上帝信仰が盛んだったからに他ならない。
清代になると、台南の人々が厚く信仰していた玄天上帝は、統治の妨げになる神になってしまう。『台南歴史深度旅遊』によれば、清朝はこの信仰を驚くべき方法で抑圧したという。
それはつまり、玄天上帝がしばしば亀と蛇を踏みつけた姿で造型されることを根拠に、屠殺業の神であると位置づけたのだ。それは特殊な職能神であり、一般の人々は信仰すべきではないという論理らしい。皇帝の世界というのは、これほどの無茶がまかり通るものかと呆れずにはいられない。
もっとも、その通達通りに人々が信仰をやめたわけではない。廟の規模を小さくするように、といった通達を出して抑え込むのがせいぜいだった模様。
19世紀初頭に、福建の兵が駐屯するようになると、彼ら自身が玄天上帝を信仰していたため、ますます盛んになる。駐留した地の一部は、後に廟の後殿などに取り込まれ、咸豊4年(1854)に北極殿という名になった。
こちらは後殿。
二級古蹟に指定される現在の廟は、さほど大きくはないけれど彫刻や図像が多い。ただ、奥のライトアップはあまりいただけないと思う。
潘麗水の作品「風塵三侠」。
こちらも潘麗水「前漢三傑」。
他にも門神画など見所は多い。門神は2009.8再訪時の記事で紹介したので、併せて御覧あれ。
※2011.2全面的に修正した。
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