2009/09/28
蘇王會
信義街(老古石街)の集福宮の先には、一軒だけ小じゃれた店があって、碗粿の老店もある(碗粿は定休日だったゾ)。そしてこの何の変哲もない家。
中はこうなっていた。立派な廟だ。蘇府二千歳を祀るらしいが、上に玄天上帝の提灯がかかっている。
この辺の廟は、多かれ少なかれどれも集福宮と関係があるように見える。その一方で、それぞれの祀る「千歳」は異なる。
「○府千歳」の「○」の部分は姓であり、何らかの理由で亡くなった人を祀るものらしい。いわゆる王爺信仰である。この周辺には馬・林(?)・蘇の他にも、いろいろ祀られているのかも知れない。
董芳苑『台湾人的神明』の説明を読むと、どうも日本における祇園の神に似ている。武塔神のような疫神を祀り、逆にその被害から逃れようというような。
集福宮(二) 虎将軍と門神画
集福宮(一)
信義街の中心をなす集福宮。五條港の一つ、新港墘港で働いていた黄姓苦力が信仰した宮である。
五條港にはそれぞれ苦力と呼ばれる働き手がいた。彼らはいずれも大陸からの移民で、それぞれに信仰する神を祀りながら、苦しい労働に耐えたのだそうな。
ちなみに、同様の廟宇は金華府と西羅殿(内部の紹介記事はいずれ掲載)を既に掲載済。聚福宮も実はそういう系統だったらしい。さらに景福祠も後日掲載予定である。
不思議なのは上部にある電飾。
「玄天上帝」と「〓府千歳」の文字が二重になっている。「〓」の字ははっきり見えない。とりあえず左半分が「木」で、どうも「林」のように見える。
こういう旗も、ある意味規格品なのだろう。
内部は暗い。玄天上帝といえば北極殿の祭神でもある。ここではまさしく「集福」の神なのかも知れない。
そんな玄天上帝像。
なお、彼にも虎が仕えていたりする。そんな姿や門扉画などは、その二で掲載。
自宅で豆花?
二度目の台南旅行ですっかり目覚めてしまったものの一つといえば、豆花である。
同記安平豆花(本店はまた違うかも)も、無名豆花(食尚玩家で訪問してたぞ。映像はこちらの後半)も抜群にうまかった。どうにかして日本で食えないものか……と悶々としていた我々であった。
そんなある日、何を思ったか我々は懲りもせず南京町に出掛けてしまった(その時の話はいつか)。で、緑豆湯の缶詰を買ってしまった。彰化の工場産で、通販でも見かけるヤツだ。
緑豆湯はそれ自体、一度目の旅行で目覚めた一品である(郭家緑豆湯の記事はこちら)。とはいえ、缶詰の味があれに匹敵するとは思えず、買ったはいいが扱いに困って一週間が過ぎた。
そしてひらめいたのだ。
おぼろ豆腐みたいなのを買ってきて、緑豆湯をかけたら豆花っぽくなるんじゃねーの?、と。
hashiが伊勢丹で買ってきたおぼろ豆腐に、緑豆湯をかけた図が上の写真である。
結論からいうと、豆花っぽかった!
舌触りとかは豆花とちょっと違う気がするし、緑豆湯が甘さ控え目すぎるのも難点だったが、これなら立派な代用品になるぞ。次は黒蜜を用意して、原味豆花にチャレンジしてみようと誓う我々であった。まぁそんなに金もかからないし、手間は全くかからないし。
なお、実は某京都高島屋の某糖朝とかいう店で、豆花(豆腐花とか名乗っている)を食べたことはあったりする。レジで精算する頃には記憶から消えているほど、どうでもいい食べ物だったが。
その時、糖朝で食ったものには一つとして当たりがなかったし、店員がメニューを全く把握していないというサービス業の非常識にも直面した。わざわざ香港に出掛けて、あんな店に連れていかれるツアー客が不憫でならない。
同記安平豆花(本店はまた違うかも)も、無名豆花(食尚玩家で訪問してたぞ。映像はこちらの後半)も抜群にうまかった。どうにかして日本で食えないものか……と悶々としていた我々であった。
そんなある日、何を思ったか我々は懲りもせず南京町に出掛けてしまった(その時の話はいつか)。で、緑豆湯の缶詰を買ってしまった。彰化の工場産で、通販でも見かけるヤツだ。
緑豆湯はそれ自体、一度目の旅行で目覚めた一品である(郭家緑豆湯の記事はこちら)。とはいえ、缶詰の味があれに匹敵するとは思えず、買ったはいいが扱いに困って一週間が過ぎた。
そしてひらめいたのだ。
おぼろ豆腐みたいなのを買ってきて、緑豆湯をかけたら豆花っぽくなるんじゃねーの?、と。
hashiが伊勢丹で買ってきたおぼろ豆腐に、緑豆湯をかけた図が上の写真である。
結論からいうと、豆花っぽかった!
舌触りとかは豆花とちょっと違う気がするし、緑豆湯が甘さ控え目すぎるのも難点だったが、これなら立派な代用品になるぞ。次は黒蜜を用意して、原味豆花にチャレンジしてみようと誓う我々であった。まぁそんなに金もかからないし、手間は全くかからないし。
なお、実は某京都高島屋の某糖朝とかいう店で、豆花(豆腐花とか名乗っている)を食べたことはあったりする。レジで精算する頃には記憶から消えているほど、どうでもいい食べ物だったが。
その時、糖朝で食ったものには一つとして当たりがなかったし、店員がメニューを全く把握していないというサービス業の非常識にも直面した。わざわざ香港に出掛けて、あんな店に連れていかれるツアー客が不憫でならない。
2009/09/26
2009/09/25
2009/09/24
兌悦門
台南市街の北西、文賢路と信義街の交差点に小さな門が残る。
兌悦門の兌とは八卦における方向を意味する。道光15年(1835)に造られた門で、城外に発展していた五條港地区を護る役割を担った。そして、台南市街を囲む門のなかで現在唯一つ元の場所にあって、今も現役の門として利用されているわけである。
内部を見ると、典型的な蠣殻セメント建築であることが分かる。
丸っこい岩のような部分は、珊瑚である。これも安平で見かける伝統建築素材。この城門の通称は老古石城(もしくは甕城)であったそうな。
反対側から。石横額がないので非常に単純な造形である。しかし国民党統治初期の写真(『台南歴史深度旅遊』に載っている)では、上部に突起があって、もう少し城門らしくなっている。
日本軍が台湾に上陸して、最初にやったことが城壁の破壊であった。にも関わらずこの門が残ったのは、恐らくは信義街がメインストリートから外れてしまった事情によるだろう。
せっかく日本統治時代を生き抜いた門の上部に、その後何が起きたのか。ガイドには何も記されていないぞ。
近くのバイク屋は猫だらけだった。
実はこの門のそばにも、ガジュマルの巨樹が聳えている。上で触れた六十年前の写真にも載っている(ただし樹高はだいぶ低い)。
ここから続く信義街は、神農街などと並ぶ古い通りだが、こちらはちっとも観光化されていなかった。詳細はこの後のコラムを刮目して見よ!(……いえ、刮目はしなくていいです)
2009/09/23
興済宮(二) 門神、後殿、拝拝
ここももちろん門神が描かれている。作者は大観音亭と同じく陳壽彝。こちらのそれと比較しておくれやす。
後殿。道教関係のお偉方が並んでいる。関羽もいる。
中壇元帥は怖いぞ。
というか、これは五営神将として祀られていると思われる。中壇元帥は五営(東西南北中)の「中」だ。
拝拝グッズが並ぶ。
最近、我々の(というか私の)周囲では大病に見舞われる人が続出している。なので保生大帝にはちゃんと拝拝したぞ。既に病の人は元気になるように、そして我々が病に倒れないように。
2009/09/22
興済宮(一) 正殿と保生大帝
五月は電飾が美しい外観のみを見学した興済宮。今回はちゃんと内部を見学することができた。大観音亭とは完全に一体化しているが、一応は外から入り直す。
いろんな意味で典型的な台湾の廟である。
どんなガイドでも必ず紹介される籤。保生大帝は医薬の神なので、病気の部位ごとに神意を求めることが可能である。
正殿。正面が保生大帝であると言いたいところだが、違うかも。
というのも、この写真の中央に見えるのは、本尊の位置にある像よりも遙か手前に安置された、全く別の像なのだ。一番大事なはずの像が、完全に隠れてしまっているのである。
そんな死角にある保生大帝を、斜めの位置から見る。
日本なら絶対に置かない場所に、台湾では結構な確率で像が鎮座している。心のきれいな人には見えるかも知れないが……なんて思うけど、前座の神はそれはそれで重要な神であることが多いので、どうにも難しいところ。
保生大帝といえば虎爺。本来は祭壇の下にいるのだが、ここでは左横におられた。
ちなみに彼は人を食って生きていた虎である。で、人骨がのどに引っかかって苦しんでいたのを保生大帝が救ってやったところ、「貴方を守護してやらふ」ということで下壇の神となったそうな。
余所ではちゃんと下壇にいる姿も撮影したので、いずれ紹介するだろう。まぁこんなペースじゃ、いつまでかかるか分からないが。
釈迦頭
一度は食べてみたい南国フルーツの釈迦頭。しかし水果店で食べようと思ってもメニューにないので、水果店(フルーツを売るだけの店)で買ってみた。
我々が買ったのは光復市場に面した果子狸という水果店。四月末にレンブやスターフルーツを買った店でもある。その時のスターフルーツが非常に美味だったので、信用買いである。
すぐ食べたいというジェスチャー(hashiの役)をしたら、完熟のヤツを選んでくれた。ほっといても崩れてしまうぞ。
で、果肉は甘酸っぱい。キウイなんぞに似てなくもない。大きさの割に食べるところは多くないが、一度は食べる価値ありだな。
安平を歩いたら、木に成っているのを発見したぞ。京都で植えても枯れるんだろうなぁ。
花園夜市で日本を知る
相変わらず日本があふれている花園夜市。とはいえ、いわゆる「変な日本語」はほとんど見かけない。この「おじさん おもち」だって直訳だ。
以前にも載せたが、台湾でもベストセラーなので、別に日本を意識しているわけではないのでは。
「日本 電視冠軍」とは、かつての人気番組(見てないが)「TVチャンピオン」のことである。たしか人形焼だったと思うが、いったいどういうチャンピオンなのかは定かでない。
隣のたこ焼きも、一度試食してみたいという意志はある。マヨネーズの味がどうなのか、とか。
那瑪卡西(なまかし)は京都名点らしい。ちなみに我々は日本の京都からやってきたが、そんなものは知らない。
まぁしかし、ふかふかのどら焼き的な生地で餡を巻き込んだ菓子なので、確かに日本でありがちなものではある。そして「生菓子」であることは事実である。どうやら最近の流行りらしいぞ。
最後は御本尊。夜市の端っこには空虚がある。
花園夜市でこれも食べたよ
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