2012/09/28
劔獅とおむつ交換の巻
前半と後半の話題が全く違うが、無理矢理一つの記事にしてみる。
まぁ正直、これ以上の細分化は必要なかろうし。
上の写真は妙寿宮の近くの交差点。陳家の交差点から妙寿宮に向かって歩き、そのまま通過すればすぐ分かる。
この劔獅は、安平でもかなり著名なものだ。
壁の上にあって、邪神の侵入を防ぐ劔獅は、安平でも滅多に見られない。ここと、以前に紹介した家が双璧であろう。
妙寿宮よりうんと手前の路地に、台窩湾民居があったけど、中は見物できず。
なお、一応宿泊も可能らしく、某ガイドブックの推薦プランでは、ここに宿泊して台南旅行なんてものがあった。
ただし、宿泊と言っても、ただの民家に雑魚寝するだけ。民宿扱いする向きもあるけど、イメージ的にはバンガローみたいなものだ。しかも一日一組なわけで。
ついでに断わっておくが、宿泊施設として観光局に登録されているものではない。日租房のように悪質な物件ではないにせよ、何か起きた時の保証はない。
ここは安平旅遊資訊中心。
陳家と安平天后宮の間、コンビニのすぐ近くだ。
観光客向けの休憩スペース、パンフレット配布、それからレンタサイクルもあるらしい。我々はその辺の用件で訪れたわけではないので、詳しいことは分からないけど。
月曜休館で、他は10時から18時まで開いている。
我々はここで、tomopeeのおむつ交換をしようと思ったのである。
安平古堡には、もしかしたらそういう設備があったかも知れないが、ちょうど入館時に交換するとは限らないので、できれば無料施設にそういう場所が欲しい。
そこでふと発見した公共施設に頼ろうと考えた。現代の日本の感覚ならば、そうずれてはいないはずだ。
しかし現実は恐ろしいものだった。
まさかのテーブル上交換となったtomopee。彼の人権に配慮して、渦巻きで隠した上に写真サイズも小さくしたゾ。
我々は職員に対して、身振り手振りを交えながら、おむつ交換をしたい旨を伝えた。
当然それは「トイレはどこですか」に等しい質問だったはずだが、職員に指示されたのは、何と観光客の休憩スペース。この長テーブルの反対側では、普通に一般人がお茶を飲んでいる。hashiの後ろにも座っている。
さすがに冗談だろうと思ったが、職員は本気だった。近くに座っている阿桑も、気にするなという感じ。結局、そのまま作業に取りかかると、オバチャンはゲラゲラ笑いながらその様子を見ていた。
親切にしてもらったので感謝しているけど、どうにかならないものかねぇ。
この写真を見て、おむつ交換に訪れる勇者はなかなかいないだろうし。
ちなみに、安平のトイレ事情は、通常の大小便ならそれほど深刻ではない。
有料施設の安平古堡、安平樹屋にはもちろんあるし、無料のトイレはここや、蚵灰窯文化館にある。それらに間に合わない場合は、廟のトイレという手もあるだろう。陳家や周氏のような非屋台の店にもある。
けど、多目的トイレはなかなかない。赤子連れにとっては制約の多い旅である。
2012/09/22
安平郷土文化館
観音街にひっそりと建つ安平郷土文化館。安平に行くたびにここは通っているし、それどころか一度の旅で何度も通過していたりする。
ここの街歩きは、ほぼ道に迷うことと同義だ。どうせ迷っても、少し歩けば現在位置は分かる。
もちろん、中の展示は知れているし、限られた時間をここで費やす必要はない。そう思って、これまでは通過し続けていた。
しかし今回は、とある事情により中を見学することになったのだ。
内部の様子。安平の特産品として壺が展示されている。それ以外にも安平の歴史のパネル展示がある。管理者が常駐しており、観光パンフなども入手可能。
まぁしかし、ここの価値は下の写真で分かる。
そう。きっとここならtomopeeが遊べるに違いないと思って、我々は連れてきたのだ。
日式だから土足厳禁の床がある。そして、こんな展示だから観光客も少ないだろう。どちらの勘もばっちり当たった(後者は当たっていいのか微妙だが、我々の貸切だ)。
この記事を書いている半年後の時点では、方々を走り回り、食事もすべて自力で済まそうとするtomopeeである。不可抗力とは言え、ベビーカーに乗るしかない状況ではストレスがたまっていたはずだ。
その意味で、ここは赤子連れ旅行に欠かせない場所であった。
もう一つ、ここにはtomopeeの刺激になるものがあった。
猫である。
この写真の床は、文化館の裏庭。そこに猫が何匹もあらわれて、tomopeeに挨拶をしていった。
tomopeeが喜んだのは言うまでもないが、実はこの時、見知らぬ一人の男性が、こちらにカメラを向けていた。どうやら、赤子と猫という景色を、良い被写体だと思ったらしい。
一人で自転車で街を巡っていた若い男性が、その後どうしたのかは不明。その写真が既にどこかで公開されている可能性は高いのではないかと思われる。 見つけたら教えてねっ(というか、当人が教えろと言いたいぞ)。
こうしてストレスを発散したtomopeeとともに、残り時間を安平で過ごしたわけである。
その辺のぶらぶらした記事を載せて、とうとう台南に別れを告げることになる。
いや、半年もかかって今さら「とうとう」もないのだが。
※blogger投稿画面改変に伴い、いろいろ苦戦中。使いづらいなぁ。
2012/09/21
海山館(三) 中途半端な観光施設
だらだら続く海山館の紹介は、これで最後。
こちらは二棟続きの左側の景色である。
メニューが書いてあることで分かるように、喫茶スペースとなっている。それと売店だ。
正直、ここで茶を飲む意味があるのかは微妙だ。狭くて落ち着かないし。
まぁこちら側を歩く理由があるとすれば、右側の建物の側面が見れる、というぐらいだろう。
この劔獅も有名なもの。他にも屋根にいろいろ乗っていたりする。京都の民家の屋根に鐘馗がいたりするような感じだ。
正直、こういう展示は文化財の無駄使いじゃないかと思う。
無駄使いというか、持て余しているのか。
元々が展示に向かない構造の建物なんだし、無理に何かを置かなくともいいのでは。
井戸もある。津田式の流れをくむ正昌牌だから、そんなに古いものではない。
我々にしても、海山館に大きな期待をして訪問したわけではない。従って、右半分の復元内容には不満はないし、見に来て良かったと思う。
が、モニターにデフォルメキャラという路線は、徹底されているわけでもないし中途半端で評価できない。着ぐるみ常駐ぐらいしなければ無意味。というか、この狭い施設に多くを求める必要はないはずだ。
半年前の訪問なので、現在は改善されていればいいですな。
余談だが、bloggerの投稿画面が変わって、非常に使いづらくなったゾ。
2012/09/05
海山館(二) 三合院と劔獅
いよいよ海山館の内部へ。典型的な三合院建築だ。
否応なしに目にとまる劔獅は、改修前の写真にもうつっているもの。もちろん描き直しただろうが。
もうちょい近くに寄ってみる。
その(一)でも触れたが、劔獅は屋敷内に異物が侵入するのを防ぐ存在なので、武装している。口にくわえた劔だけでなく、上部にも物騒な刃物を並べてある。まさに、悪鬼羅刹の化身なりとも、豈遅れを取る可んや、である(柳生一族の陰謀だ)。
裏はこうなっている。三十六天罡七十二地煞とあるのは、平たくいえば天地を守る神々のこと。とりあえずここを読むのが良さそう。
まぁしかし、上のリンクの台湾大百科全書も触れるように、結局は『水滸伝』なのよね。あれは小説じゃなくて、リアルな信仰の世界だから。
中に入ってみる。まずは正面。
ここは基本的に礼拝所みたいなスペースになるが、神様の代わりにモニターが備え付けてある。何にせよゆるキャラだ。
天井の様子。
手前左右のレフ板みたいなのは、とりあえず装飾のようだ。日月?
正面の部屋の背後のスペースには、こんな椅子があった。
目の前でカップルが座って記念写真を撮っていたが、何となくピンとこなかったので、我々は座っただけ。
そこから裏口に抜けることができる。こちらは行き止まりだが、反対側には扉がついている。まぁ観光客的にはあまり意味のない情報だ。
とりあえず、窓の上の装飾が面白い。
さて、三合院の左右それぞれの部屋は、やはり展示スペースとして使われている。
こういう立派な三合院を無料で見学できるのは素晴らしい。展示品にはいろいろ言いたいこともあるけど、その辺は目をつぶろうではないか。
この左右の部屋には、今で言うロフトのような設備もある。すごく狭いので、寝床にするにはどうかなぁ…とも思うけど、世の中には押し入れで寝るような酔狂な人だっているという噂だから、これはこれでアリかな。
まさか女中部屋ってわけでもないだろうし。
そんなわけで、まだ続く。たいして中身はないのだが、安平的な三合院というレアな物件だけに、細かく紹介したくなってしまった。
2012/09/04
海山館(一) 修復が終わった外観
安平に残る清朝時代の遺蹟の一つ、海山館。
以前に訪問した時は、修復工事のため外観しか覗けなかった(その時の記事はこちら)が、再公開という情報を聞いたので、出掛けてみる。
緑釉花磚窗(窓)は変化がないが、他は塗り直されて鮮やかになった。
正面に向かう。ここは道が狭いので、全体を写真に撮るのは難しい。まぁ、何だか安っぽいボードが置かれているのは分かるだろう。
安平でも著名な劔獅の一つ。
ちなみに、海山館は二つの建物が並ぶ構造で、門も二つある。劔獅はこちらにしかないが、中央の門にあたるのはもう一つの方である。
そのもう一つの門がこちら。門自体はこちらの方がカッコイイ。
劔獅は門を入った先で睨みをきかせている。要するに、門を入ってきた悪鬼の類を追い返すわけである。
門の先を塞ぐように壁が造られる例は、沖縄でもよく見る。悪鬼の類は直進しかできないとされているから、壁ではね返すのだ。平安京の方違えなんかも、そういう発想から来ていることは、読者の皆さんもご存じかも知れない。
で、ここにもいろいろ置かれてあった。
せっかく清朝の古建築を修復したのに、余計なもので隠さなくともいいのでは……とderorenは思う。まぁしかし、デフォルメキャラで売り出さないと、今どきのナウでヤングな若者にはうけないという認識なのだろう。
このノリは内部にも及んでいるので、修復部分と合わせて(二)で紹介する。
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