2010/12/31
北港朝天宮への進香団(九) 大林鎮水汴頭朝興宮編(一)
時刻は午前9時前。ものすごい音が響いてきたぞ。
我々は門の中にいたので、何が起きたのかと外に出た。ただの写真ではイマイチ伝わらないと思うが、正直言って恐怖だった。ああこの国は大陸と緊張状態なんだとか、今になって思うとあまり関係のなさそうなことまで連想してしまった。
※なお、動画をあげようとしたが今回も失敗したのでなし。youtubeアカウント取るしかないかなぁ。
ここでやっていることは、他の大規模進香団と同様である。神輿を激しく動かしている。
しかしここはとにかく派手だ。冥界からの使者、家将の登場だ。
五人の家将の舞が、とにかく格好いいのだ。もうそれだけでも台湾に来た甲斐がある。
将軍も一組ではない。嘉義県大林鎮は朝天宮から10kmちょっとしか離れていないので、とにかく規模がでかい。その規模の大きさを、馬鹿でかい音で象徴したことになる。
ともかく、家将の舞や獅子舞など、見所いっぱいなので(二)に続く。これが2010年最後の記事になるので、来年をお楽しみに、なんちて。
2010/12/29
M-1グランプリ2010と旅行記
M-1グランプリの最終回を見た。実は毎年この時期はお笑い関係をマメにチェックして、必ず敗者復活戦をスカパー生中継で見て本番に臨んでいたりする。そのおかげか、最終決戦ではブラマヨ以降すべて当てているぜ。
まぁネタを見た上で当てるのだから、大した難易度ではないけどさ(番組開始前の予測は無意味なのでやらない)。
リアルなderorenは芸人みたいなことをやっていると、自分では思っている(あんまりここで具体的には書きたくないのでぼかす)。
自分は他人より優れた成果が出せるはずという思いこみを支えに、ライバルを蹴落とすつもりで出かけてしゃべったり、書いたりする。他方で出世競争には、もちろん実力以外のさまざまな要素が絡む。いや、学閥やコネや媚びも含めて実力なのだが、ともかくその辺もお笑い芸人の世界に似ているなぁ、と思うわけだ。
で、今のderorenは、M-1のような大会が仮にあったとしても、優勝できないだろう。そう思いながら、でもギリギリ決勝に引っかかるぐらいは行けるかもなぁとか、根拠もなく夢想している。言葉にすると青春真っ盛りのガキのようだ。あらかじめ、逃げの要素をちりばめている辺りがこれまた青春していて反吐が出る。
でもまぁ、そんなもんでしょ? 同業者は仲間だって考え方もあるけれど、窮極のところでいえば、そうそう他人を評価などできない。他人が自分より優秀であれば、自分は不要なのだから。
お笑いという敷居の低い業種のシビアな面を見せてくれる大会として、derorenはM-1を支持しているのである。逃げ道を用意しながら舞台に立つ芸人が、いかに無価値かを知る意味でも。
今年度はその意味で、志の低い芸人が大会の権威をおとしめた大会だった。特にカナリア、ジャルジャル、ピースは、あれをラストとして足を洗ってほしい。可能性のない若手を若手と呼ぶ必要はない。
スリムクラブの野心は大会を救った。まぁそれだけの大会では、幕を引くのも仕方ないかなぁと思う部分もあるけど、逆に言えば一組でも発掘できるのだから、何らかの仕組みは残してほしい。実際、恐らくは何らかの形で後継番組が企画されるだろう。その際には敗者復活戦を本来の形に戻してほしいと強く願う。
決勝に上げるべきコンビをわざと落とすような真似をすると、他の芸人たちが本気でやらなくなってしまう。今年の敗者復活戦なんて、パンクブーブーだけが異次元で、予想する意味すらなかった。
敗者復活戦は素晴らしい興行である。はっきり言えば、たとえそこまで残っていても、将来性を感じないコンビが半数以上である。で、彼らの酷いしゃべりに耐えていると、時々野心に満ちたコンビが現れる。自ら志願して道化になる連中のおかげで、サンドウィッチマンみたいにギラギラした連中が引き立つのだ。
だって、普通は「あなたは鶴を引き立たせるための掃き溜めです」と言ったら出演してくれないでしょ? なのにここには、嬉々として掃き溜め役を演じるコンビが揃うのだ。あれほどのエンターテイメントはない(これは地上波のダイジェストでは決して伝わらない。同時に、現地で寒さに耐えてる観客には心から敬服する)。
で、台南旅行ブログでこの無関係な話題を振るのは、別に時事ネタでアクセス数を増やすためではない(おかげさまで日々のお客様は安定しておりやす)。旅行記とお笑い評論の類似点をあぶり出そうと思ったわけである。
お笑い評論と(お笑いという芸自体と)旅行記には共通点がある。それは、誰でもできそうだと思わせる点だ。
M-1があれほどに盛り上がったのは、それ相応の審査員に(少なくとも決勝だけは)ガチな審査をさせたからだ。ところがそのガチな審査は、実は専門家ばかりではなく、会場やテレビの観客たちも同様にできると、多くの人々が思っている。なぜかといえば、お笑いは日常的に人々が交わす会話の延長上にある、という認識が存在するからだ。そこに無数のお笑い評論が生まれる素地がある。
旅行記も同様に、旅行関係の情報を提供するプロがいる一方で、誰でも旅について企画し、旅をして感想を述べることができる。というか、旅行の当事者は基本的にプロではない。
そういった敷居の低さによって、ネットに多数のお笑い関係ブログや旅行記ブログが溢れるのである。
しかし、両者は本当に誰でもできるものなのだろうか? 既に機能不全の某匿名掲示板をはじめとして、お笑い評論とは名ばかりの、独りよがりなつぶやきにはうんざりだ。同じく、見ず知らずの他人がどこにいて何を食べたかなんて、全くどうでもいい。
たとえば私が5月に台湾に行ったというだけで、読みたくなる奴がいるとすれば、せいぜいリアルな知り合い程度である。そんなものを公開する意味はない。無理に公開すれば、まさしく敗者復活戦の掃き溜めが関の山だ。
お笑い評論でも旅行記でも(お笑いという芸自体も)、伝える内容とその対象を、具体的なヴィジョンとしてまず定めることが第一の作業である。そして、選んだ対象に的確に伝えるために、どんな言葉を選び、どんな論理展開を使うかを考える。要するにそれは、プレゼンの基本である。知り合いとの日常会話の延長ではいけない。友だちを笑わせるのは芸ではないのだ。
最初のヴィジョンが欠けた評論や旅行記は、それを示さずに伝わる範囲で閉じられてしまう。だから他者にとっては価値がなく、時間の無駄を強いる結果に終わる。
当ブログもそうであるように、旅行記の大半は非営利である(お笑い評論もね)。とはいえ、不特定多数に読んでもらうことを目的としている以上、それなりの責任が伴うと考えている(リアルなderorenが信用を失わないように、という意味でも)。一応、自戒も込めてこの記事を書いている。
まぁ当ブログに関しては、滅多に出かけられない土地を紹介するというハンデがある。従って旅行記の大会が開かれても優勝できないだろうと思っている(どんな大会だよ、とかツッコまれても知らん)。これが言い訳だ。非営利というある種の言い訳も含めて、derorenの限界だ。
その代わり、旅行者に台湾の歴史や民間信仰を伝えるという一芸においては、少なくとも日本語ブログで一番を狙っている。そのぐらいの野心はないと、敗者復活戦の鶴にはなれまい。敗者復活戦の鶴は一羽じゃないから、それだけでは、決勝には進めないけどね。
まぁ要するに当ブログは、敗者復活戦で評価されるけど本戦で優勝候補には挙がらない辺りを目指している、という志の低いつぶやきでござんす(2006年の髭男爵みたいなものだな)。最後まで読んだ方には、エビゾウ並みに心からお詫び申し上げてもいいような気がする(あれ?)。
まぁネタを見た上で当てるのだから、大した難易度ではないけどさ(番組開始前の予測は無意味なのでやらない)。
リアルなderorenは芸人みたいなことをやっていると、自分では思っている(あんまりここで具体的には書きたくないのでぼかす)。
自分は他人より優れた成果が出せるはずという思いこみを支えに、ライバルを蹴落とすつもりで出かけてしゃべったり、書いたりする。他方で出世競争には、もちろん実力以外のさまざまな要素が絡む。いや、学閥やコネや媚びも含めて実力なのだが、ともかくその辺もお笑い芸人の世界に似ているなぁ、と思うわけだ。
で、今のderorenは、M-1のような大会が仮にあったとしても、優勝できないだろう。そう思いながら、でもギリギリ決勝に引っかかるぐらいは行けるかもなぁとか、根拠もなく夢想している。言葉にすると青春真っ盛りのガキのようだ。あらかじめ、逃げの要素をちりばめている辺りがこれまた青春していて反吐が出る。
でもまぁ、そんなもんでしょ? 同業者は仲間だって考え方もあるけれど、窮極のところでいえば、そうそう他人を評価などできない。他人が自分より優秀であれば、自分は不要なのだから。
お笑いという敷居の低い業種のシビアな面を見せてくれる大会として、derorenはM-1を支持しているのである。逃げ道を用意しながら舞台に立つ芸人が、いかに無価値かを知る意味でも。
今年度はその意味で、志の低い芸人が大会の権威をおとしめた大会だった。特にカナリア、ジャルジャル、ピースは、あれをラストとして足を洗ってほしい。可能性のない若手を若手と呼ぶ必要はない。
スリムクラブの野心は大会を救った。まぁそれだけの大会では、幕を引くのも仕方ないかなぁと思う部分もあるけど、逆に言えば一組でも発掘できるのだから、何らかの仕組みは残してほしい。実際、恐らくは何らかの形で後継番組が企画されるだろう。その際には敗者復活戦を本来の形に戻してほしいと強く願う。
決勝に上げるべきコンビをわざと落とすような真似をすると、他の芸人たちが本気でやらなくなってしまう。今年の敗者復活戦なんて、パンクブーブーだけが異次元で、予想する意味すらなかった。
敗者復活戦は素晴らしい興行である。はっきり言えば、たとえそこまで残っていても、将来性を感じないコンビが半数以上である。で、彼らの酷いしゃべりに耐えていると、時々野心に満ちたコンビが現れる。自ら志願して道化になる連中のおかげで、サンドウィッチマンみたいにギラギラした連中が引き立つのだ。
だって、普通は「あなたは鶴を引き立たせるための掃き溜めです」と言ったら出演してくれないでしょ? なのにここには、嬉々として掃き溜め役を演じるコンビが揃うのだ。あれほどのエンターテイメントはない(これは地上波のダイジェストでは決して伝わらない。同時に、現地で寒さに耐えてる観客には心から敬服する)。
で、台南旅行ブログでこの無関係な話題を振るのは、別に時事ネタでアクセス数を増やすためではない(おかげさまで日々のお客様は安定しておりやす)。旅行記とお笑い評論の類似点をあぶり出そうと思ったわけである。
お笑い評論と(お笑いという芸自体と)旅行記には共通点がある。それは、誰でもできそうだと思わせる点だ。
M-1があれほどに盛り上がったのは、それ相応の審査員に(少なくとも決勝だけは)ガチな審査をさせたからだ。ところがそのガチな審査は、実は専門家ばかりではなく、会場やテレビの観客たちも同様にできると、多くの人々が思っている。なぜかといえば、お笑いは日常的に人々が交わす会話の延長上にある、という認識が存在するからだ。そこに無数のお笑い評論が生まれる素地がある。
旅行記も同様に、旅行関係の情報を提供するプロがいる一方で、誰でも旅について企画し、旅をして感想を述べることができる。というか、旅行の当事者は基本的にプロではない。
そういった敷居の低さによって、ネットに多数のお笑い関係ブログや旅行記ブログが溢れるのである。
しかし、両者は本当に誰でもできるものなのだろうか? 既に機能不全の某匿名掲示板をはじめとして、お笑い評論とは名ばかりの、独りよがりなつぶやきにはうんざりだ。同じく、見ず知らずの他人がどこにいて何を食べたかなんて、全くどうでもいい。
たとえば私が5月に台湾に行ったというだけで、読みたくなる奴がいるとすれば、せいぜいリアルな知り合い程度である。そんなものを公開する意味はない。無理に公開すれば、まさしく敗者復活戦の掃き溜めが関の山だ。
お笑い評論でも旅行記でも(お笑いという芸自体も)、伝える内容とその対象を、具体的なヴィジョンとしてまず定めることが第一の作業である。そして、選んだ対象に的確に伝えるために、どんな言葉を選び、どんな論理展開を使うかを考える。要するにそれは、プレゼンの基本である。知り合いとの日常会話の延長ではいけない。友だちを笑わせるのは芸ではないのだ。
最初のヴィジョンが欠けた評論や旅行記は、それを示さずに伝わる範囲で閉じられてしまう。だから他者にとっては価値がなく、時間の無駄を強いる結果に終わる。
当ブログもそうであるように、旅行記の大半は非営利である(お笑い評論もね)。とはいえ、不特定多数に読んでもらうことを目的としている以上、それなりの責任が伴うと考えている(リアルなderorenが信用を失わないように、という意味でも)。一応、自戒も込めてこの記事を書いている。
まぁ当ブログに関しては、滅多に出かけられない土地を紹介するというハンデがある。従って旅行記の大会が開かれても優勝できないだろうと思っている(どんな大会だよ、とかツッコまれても知らん)。これが言い訳だ。非営利というある種の言い訳も含めて、derorenの限界だ。
その代わり、旅行者に台湾の歴史や民間信仰を伝えるという一芸においては、少なくとも日本語ブログで一番を狙っている。そのぐらいの野心はないと、敗者復活戦の鶴にはなれまい。敗者復活戦の鶴は一羽じゃないから、それだけでは、決勝には進めないけどね。
まぁ要するに当ブログは、敗者復活戦で評価されるけど本戦で優勝候補には挙がらない辺りを目指している、という志の低いつぶやきでござんす(2006年の髭男爵みたいなものだな)。最後まで読んだ方には、エビゾウ並みに心からお詫び申し上げてもいいような気がする(あれ?)。
2010/12/28
北港朝天宮への進香団(八) 北港番溝里順天宮
爆弾みたいな記事を用意しているが、とりあえずいつもの内容。
これは5月6日の8時過ぎである。ご飯を食べて戻ってきたら、ちょうど始まっていたので見学することにした。乩童が振っているのは、イガイガのウニみたいなもの。これで背中を叩けばどうなるかといえば、当然血だらけになる。
なお、タオルを掛けた黒Tシャツの人が補助をしていて、その背後に女性の乩童がいる。ここは男女の組であった。
イガイガの舞が終わった時点の写真。指先は何かの印を結んでいるようだ。
そして、目が閉じた表情だし、既に神が憑いた状態と思われる。
今度はマサカリだ。さすがにこれで背中をザックリとはいかないが、ともかく刃物によって浄化を図っている。
なお、北港番溝里順天宮という廟は、媽祖を祀っている。しかし彼の着ている衣装を観ると「候府千歳」と書いてあった(女性の衣装にはなし)。この辺、誰か教えてくだされ。
廟内に入っていく一団。背中がちょっと赤い。
朝天宮の内部がどれほどごった返しているか分かるだろう。
女性の乩童。男性と異なることをやるわけではなさそう(さすがに服は着ている)。ちょっと見習いっぽく感じられた。
そして媽祖像は朝天宮の媽祖と対面を果たし、帰ることになる。何度となく繰り返される、火渡りの儀式である。
「進哦」と叫び声が響き、進香に訪れた媽祖は(恐らくは)満足げに自分の家(廟)へと帰ることになる。
上位の神のところに、下位の神々がやって来ては面会を果たして引き揚げる。そういう形でリアルに想像しないと、進香という儀礼は理解できそうにない。
2010/12/26
新「台南市」誕生
台南市と台南県が12月25日に合併して、新たな台南市が誕生した。台南県の各自治体は、当面は新台南市の区に移行される。いずれはその数を減らすつもりらしい。
新營区(台南県の県庁所在地)は没落するだろうなぁとか想像はつくが、観光旅行者にどう影響するのかは未知数である。市役所のある旧台南市と、旧台南県の各地を結ぶバス路線が整備されるとかいう話になれば、街歩きのバリエーションが増えてメリットもありそうだが、恐らくそんな変化がすぐに起きることはないだろう。
とりあえず、高鐵台南駅が晴れて台南市内の駅になったというぐらいか。連絡線ももうすぐ開業だし、これを機会に読者の皆さんも台南旅行しては如何かな、と無理矢理にしめてみる。
新營区(台南県の県庁所在地)は没落するだろうなぁとか想像はつくが、観光旅行者にどう影響するのかは未知数である。市役所のある旧台南市と、旧台南県の各地を結ぶバス路線が整備されるとかいう話になれば、街歩きのバリエーションが増えてメリットもありそうだが、恐らくそんな変化がすぐに起きることはないだろう。
とりあえず、高鐵台南駅が晴れて台南市内の駅になったというぐらいか。連絡線ももうすぐ開業だし、これを機会に読者の皆さんも台南旅行しては如何かな、と無理矢理にしめてみる。
2010/12/24
最近見た台湾関係番組など
北港鎮しか並んでないので、たまに毛色の違う記事を書いておこう。あ、今日はクリスマスイブだね。今年のクリスマスは中止になったらしいから、これを読んでる良い子も安心だね。
●「OL三人旅・台湾湯けむりツアー」
フジテレビCSで突然放送された。どうせ見ないよな……と思いつつ録画するだけはしてみた。ほぼ早送りで眺めて終わり。美保純がお嬢様って設定はどうなんだろうと思う。
ちなみに本放送の頃も、残念ながらderorenはこの世に存在していたわけだが、当時のderorenは「ケッ、二時間ドラマを見るようなジジババなんてクソ喰らえ!」であった。いや、その辺は今もあんまり変わってないけど。
劇中では台北や太魯閣などが映っていた。太魯閣では死体が発見されていたづら。台湾の人も出演している。いわゆる片言日本語だ。20年前の台湾などで、今よりも日本語世代が多かったとは思うけどね。
●「わがまま!気まま!旅気分!」
「ココロもカラダもキレイになれる!?台湾美食紀行」と題したもので、BS番組らしい。関テレで深夜に放送されたので、これも録画。山田まりやと青山有紀が出演である。いや、青山って人は初めて見たけど。
羽田空港国際化関連の宣伝番組の一つで、薬膳にテーマを絞った構成。衛兵交代も国民党施設の見学もなく、永康街ではマンゴーかき氷の店を通過して苦茶之家であった。夜市、阜杭豆漿、迪化街、猫空、九份とまわり、九份でそのまま唐突に終わる。
出演者が薬膳関係の資格をもっているという設定は、あってもなくても同じである。旅旅台北あたりをじっくりチェックすれば立てられるプランだな……と思ったら、本当に旅旅台北プロデュースだった(番組の最後にホームページのトップ画面も映った)。
まぁ台湾旅行番組としては及第点。当ブログ的には、ディープな街歩き番組を期待したい。旅旅台北は、やればできる子だと信じているぞ。
余談になるが、映画「艋舺」の日本語版が「モンガに散る」という名で公開中である。当ブログに紹介した地域を舞台としているので、興味のある人は早めに観るが吉。derorenは体質的に映画に向いていないので(リアルな知り合いならご存じだろう)、たぶん映画館で見ることはないだろう。
トレーラー映像には隘門が映っていたりして、ちょっと嬉しい。ただし、実際に歩いても感じる治安面での不安を増大させるだけという気もする。
日本の暴力団がそうであるように、台湾の黒社会も美化されるべきではないと思うのだよ。
そんなわけでメニィクルシミマース、サンザンクロース!(byトニー谷)
●「OL三人旅・台湾湯けむりツアー」
フジテレビCSで突然放送された。どうせ見ないよな……と思いつつ録画するだけはしてみた。ほぼ早送りで眺めて終わり。美保純がお嬢様って設定はどうなんだろうと思う。
ちなみに本放送の頃も、残念ながらderorenはこの世に存在していたわけだが、当時のderorenは「ケッ、二時間ドラマを見るようなジジババなんてクソ喰らえ!」であった。いや、その辺は今もあんまり変わってないけど。
劇中では台北や太魯閣などが映っていた。太魯閣では死体が発見されていたづら。台湾の人も出演している。いわゆる片言日本語だ。20年前の台湾などで、今よりも日本語世代が多かったとは思うけどね。
●「わがまま!気まま!旅気分!」
「ココロもカラダもキレイになれる!?台湾美食紀行」と題したもので、BS番組らしい。関テレで深夜に放送されたので、これも録画。山田まりやと青山有紀が出演である。いや、青山って人は初めて見たけど。
羽田空港国際化関連の宣伝番組の一つで、薬膳にテーマを絞った構成。衛兵交代も国民党施設の見学もなく、永康街ではマンゴーかき氷の店を通過して苦茶之家であった。夜市、阜杭豆漿、迪化街、猫空、九份とまわり、九份でそのまま唐突に終わる。
出演者が薬膳関係の資格をもっているという設定は、あってもなくても同じである。旅旅台北あたりをじっくりチェックすれば立てられるプランだな……と思ったら、本当に旅旅台北プロデュースだった(番組の最後にホームページのトップ画面も映った)。
まぁ台湾旅行番組としては及第点。当ブログ的には、ディープな街歩き番組を期待したい。旅旅台北は、やればできる子だと信じているぞ。
余談になるが、映画「艋舺」の日本語版が「モンガに散る」という名で公開中である。当ブログに紹介した地域を舞台としているので、興味のある人は早めに観るが吉。derorenは体質的に映画に向いていないので(リアルな知り合いならご存じだろう)、たぶん映画館で見ることはないだろう。
トレーラー映像には隘門が映っていたりして、ちょっと嬉しい。ただし、実際に歩いても感じる治安面での不安を増大させるだけという気もする。
日本の暴力団がそうであるように、台湾の黒社会も美化されるべきではないと思うのだよ。
そんなわけでメニィクルシミマース、サンザンクロース!(byトニー谷)
2010/12/23
北港の市場の朝
朝の厚生路。提灯は祭礼だからではなく、年中ぶら下がっていると思われる。どうせなら市電でも通したら、というのは無理か。本当はこんなに狭い通りじゃないはずだけどね。
実はこの通りは、老街と呼んで差し支えない古い街並みだったりする。
しかし、現役の老街というのは、全くそれっぽさを感じさせない。ある程度寂れた後に、行政込みで価値が再発見されることで、初めて観光地としての老街が誕生するのだろう。
厚生路を折れて益安路を南下すると、すぐにこの交差点に出る。この中秋路や、そこから分岐する弥陀街などは、北港鎮の中でも古い街並みのようである。残念ながら今回は歩かなかったけど。
述べ10時間以上も滞在しながら、びっくりするほど我々は歩いていない。本当に北港を知りたいなら、祭礼のない時期に再見するしかなかろう。たびたび書いているように、次回の予定は全く立たないのだが(リアルな知り合いなら理由も分かるよね……)。
で、この写真でも分かるように益安路は小吃の屋台が並ぶ。
もう一つ説明すると、写真の左の建物は、実はアーケードが存在する。その目的で使われている形跡はないけど。
市場ではこんな感じ。やはりここも南国らしいカラフルな魚が並んでいる。
フナ? 他にナマズらしき魚もいた。北港鎮は港と言っても海辺ではないので、川魚が多くとも不思議ではない。もっとも、海沿いの台南の市場にも川魚はいっぱい売られていたが。
野菜は見慣れたものばかり。
生麺も売られている。恐らくこの麺は、ふにゃふにゃ麺ではないかと思われるが如何?
まぁこんなわけで、つかの間の散策を楽しんで、そして朝飯を食べた。この日の滞在4時間のなかで、祭礼と無縁な時間はこの時だけであった。
2010/12/22
北港朝天宮への進香団(七) 北高雄陳府(?)編
これまでに紹介した進香団は大規模なものばかりだが、実際にはそれ以外に数名程度の小さな団体が多数いたりする。そういう進香団は、媽祖像を抱えている以外は普通の参拝者と変わらないので、ほぼ紛れている。
水上郷順聖宮の大規模進香と同時期にも、かなりの団体がいたが、進香団と進香団がバッティングした時点で、部外者には見分けが難しかった。
そんな中で、この団体は小規模ながらも目立っていた。その理由は言うまでもなく、乩童の存在による。なおタイトルに「?」が入っているのは、北高雄陳府という廟が媽祖廟ではなく、中壇元帥の宮らしいためである。
赤服の人が補佐役で、金紙を並べて火をつける。そこで剣を振るっているのが乩童(童乩)。既にトランス状態に入っている。
ちなみに、この剣はフェイクではない。乩童は呪符を燃やし、印を結んで、そして自分の身体を傷つけることになる。上半身が裸なのはそのためである。
門前の庭での儀礼を終えると、次は中の祭壇に向かうことになる。
傷を付ける箇所は背中など決まった箇所のようだが、最も印象的なのは額である。血を見るのが苦手な人は、この下の写真は見ないように。
こうして朝天宮の媽祖と相対した辺りから、乩童のトランスは深まっているようだ。
しかしここで終わるわけではなく、再び門前に戻ることになる。
今度は棍棒を手にする乩童。デスマッチの有刺鉄線バット辺りを彷彿とさせるが、実際にこれで身体を叩いていく。当然、彼は血まみれである。
再び中に入って、最後の所作に入る。この乩童の所作は間近でじっくり観察できた。
一連の神前での所作は、彼自身が進香にやってきた媽祖となって、朝天宮の媽祖と対面するものなのかな、と思われる(確証はないが)。
彼自身は一切言葉を発することができず、目もほぼ閉じられたままで、そばの補佐役に指示をする。指示された側は、何を指示されたのか必ずしも分からないようで、用意したものを置くと彼が首を振って別のものを用意するといった光景が繰り返された。
やがて彼は突然気を失って後ろに倒れる。もちろんそれは、予測していた補佐役に受け止められ、何人かがかりで身体を揺さぶって正気に戻していた。
目を開いた乩童は、今し方の様子とはまるで別人のような表情になって、普通に言葉を交わし始めるのだった。
この日の朝天宮は、常に乩童の姿を見ることができた。見習いっぽい人を連れた二人組なんてパターンもあった。こういう宗教者がいる台湾はやはりすごいなぁと思う。一般的な旅行者には向いてないけどね。
2010/12/21
北港朝天宮 午前7時台の儀礼(三)
この記事の前後で紹介している進香団は、観音殿での読経と同時進行である。
もうもうと煙る観音殿は、8時過ぎまでこんな感じだ。
男性の僧侶もいた。日本の寺院と何ら変わらない。
というか、女性は基本的に在家で、この二人は本職と思われる。
この人は一般人なのかそうでないのか不明。
正殿で見ていても、進香団の一員なのかよく分からないけど、明らかに素人ではないと分かる人が沢山いる。各地の個人宗教者たちが霊力を得るために集まるなんて状況もあるのだろうか。
なお、ここで「パワースポット」なんて言葉を使わないように。そもそも霊力は、行けば身につくものじゃない。我々の身は何ら浄化もされていないし、媽祖と対話もしていない。
安易な広告戦略に乗っかってブログを書くようになったら人間おしまいだ。こんな記事を読んでくれる人なら、そう思うでしょ?
北港朝天宮への進香団(六) 水上郷順聖宮編(三)
さて、しばらく忙しかったりして更新が止まっていた。
で、気合いを入れて書こうと思ったら、途中で書きかけの文面がすべて消えてしまうというとんでもない事態に。
動画をあげていた最中だったので、その辺のイレギュラーな動作(たぶんアップロードのエラー)に伴って消えたようだ。全く、この悲しみを何にぶつけたら良いのだろう。嗚呼。
ただでさえ、某滋賀県の殺人事件の容疑者が宇治市ということで、何かとそわそわする日なのに(関係ないぞ)、こんなガッカリなことが重なると、やる気をなくしてしまう。
ともかく動画は当面諦めることにした。まぁ書けることを書いて、気が乗れば後日書き加えよう。そうそう、容疑者は捕まったようだ。derorenじゃないyo!
上の写真は、既に進香が済んだ媽祖像の様子。笹で覆うことで、そこは聖なる神の場であることを示している。
門の外に出て、しばらく囃し立てる。
日本でも仏教儀礼なんかで、僧侶が練り歩く際に大きな傘をもった人が付き従ったりするけど、黒い雨傘をこうやって使うのは、なんだか新鮮だ。
神輿にかけられているのは、朝天宮から進香のしるしとして贈られた幕。進香によって与えられるものは、このように赤い。
神輿の中は媽祖たちがギュウギュウ詰めだ。
みんな赤い襷をかけているのが可愛い。
門前では獅子と人が戦っている。
アキバでリュック背負ってても不思議じゃない風貌だが、すごく格好いい……とか書いてる時に、書きかけデータが吹っ飛んだのである。素直に褒めなかったせいだろうか。いやはや。
進香後の両将軍。
将軍たちも朝天宮の進香が済んだ証として、赤い襷を掛けている。一仕事終えた風情に見えなくもない。
なお、選挙演説的襷をよく見ると、実は「聖心宮」と書かれてあったりする。おいおい順聖宮じゃなかったのかよ、という感じだが、もしかしたら助っ人だったのかな?
2010/12/15
老等油飯(北港鎮)では油飯と麺線糊を喰え
朝5時に起きて6時からの典礼を見学、そのまま進香団の様子に移動していた我々。いつ朝飯を食えるのか、という感じもしたが、8時をまわると何となく間延びした空気になった。そこで我々は、食べるなら今しかないと、厚生路という道へ向かう。
厚生路は朝天宮の門から見て右手の道で、市場になっている。その先を折れて進んだ先に、老等油飯なる店があることは、事前に調べてあった(「食尚玩家」の『全台小吃2009』に載っている)。老等麵線糊と呼ばれることもあるようだ。要するにそれは、この店の名物料理のどちらかで呼ばれているわけである。
地図はこちら。
我々はもちろん両方頼んだ。どちらも初めて食べる小吃だ。
ここは屋台だが、後ろの家が経営しているので場所はいつも同じだろう。
鍋には麺線糊が入っている。ここから随時、手前の鍋に移すのである。
我々のようにここで食べる客も多いが、外帯(テイクアウト)も非常に多い。目の前では、いかにも近所で働いてますといった感じのスーツ姿の客が、5人前の油飯と麺線糊を頼んでいた。ちょっと出掛けてこういう飯を買って来れるのは、うらやましい限りである。
これは油飯をよそっているの図。
麺線糊はここから掬う。
ちなみに麺線糊とは、麺線(日本的に表現すればそうめん)をおかゆ状に煮込んだもの。のびきってドロドロになった麺を想像すれば良いが、うどんのようにベットリはしない。
というわけで、これが油飯20元。「油飯」という名の小吃もいろいろ種類があるようだが、これはタレに漬けた豚肉と卵をかけたご飯。名前とは相反して、全く油っぽくはない。穏やかな味で、朝食向きである。
麺線糊(加蛋)20元。食べるとこれはまさしくおかゆである。米の粥とは違った感じで、わりとさらっとしていて非常にうまい。北港鎮に行ったら是非食べよう。まぁ、日本人観光客がここを訪れる機会がどれほどあるかは微妙だが。
北港鎮という場所は、台湾でも有名な媽祖廟にお参りができて、参道でお土産をいろいろ物色できて、わりと洗練された小吃も楽しめる。普通に朝天宮で拝拝するだけなら半日で十分なので、台北からでも無理すれば日帰り可能(時間はかかるが直行のバスもある)。台南からは二時間かからない(台鐵で嘉義へ行き、バス)。
読者の皆さんが思うほどのハードルではないので、興味があれば一度訪れて欲しい。
2010/12/12
北港朝天宮への進香団(五) 水上郷順聖宮編(二)
前回に引き続き動画をあげようとしたが、二つ用意したうち片方はエラーで断念。仕方がないのでキャプチャー画像でごまかすことにする。
そもそもgoogleビデオは100Mb制限がある(実際には100Mすら無理そう)ので、Avidemixを使ってわざわざ加工している。しかし、いざうpして前回の記事を見たら、何だよこのちっちゃい画面は、という感じ。うp時に強制的に圧縮されるんなら、加工の必要はないだろうと言いたい(1270*720の動画を640*360に縮小したものをうpしたのだよ)。
さらにいうとH264を使わないとエラーになる。そして複数あげるのはダメそう。全くガッカリだ。
まぁ愚痴はさておき、媽祖の乗った車はこんな感じに激しく前後に動かすようだ。千里眼と順風耳の位置も、だいたいこの写真の通りである。媽祖の出現する場の門神となっていることが分かる。
なお前回の動画では、鳴り物とは別に何か歌のようなものやマイクでしゃべる声が聞こえると思うが、これは進香団とは関係ない。背後の宗聖台で行われている芝居の音である。この喧噪の中で、いったい誰が見ているのかという芝居だが、まぁ神が見ているから構わないのだろう。
門前で一通りの儀式が終わると、中に入るわけである。
バケツリレー方式で神体が運ばれる。
その辺の動画。椅子(手轎)も運ばれている。担ぎ手が椅子をぐねぐねと動かしているが、これは椅子によって動かされているという意味だろうか?
※追記 椅子というか手轎は、神霊が憑いた状態にある。神が朝天宮に向かおうと動いていると考えれば良い。ついでに、時と場所によってはその動きが何らかのメッセージになっているようだ(サニワのような人物もいる模様)。
神の座る椅子は、なぜここまで神聖なものなのだろう。神像とはもちろん扱いが違うのだが、ほぼ神体として扱われている。媽祖の祭礼を見学するなかで、個人的には最大の発見だった。
2010/12/09
北港朝天宮への進香団(四) 水上郷順聖宮編(一)
午前7時台の大規模進香団は、嘉義縣水上郷からやって来た。
まぁ自動車でなら一時間もかからない距離なので、百人規模でも仕立てるのはまだ楽だろう。この後に高雄から来た一団に比べれば、の話。
なお、上の写真はまだ中に入る許可が出ていない時のもの。空気が澄んでいるのがポイントだ。
始まった途端にこういう状況になる。5月3日も6日も、ひたすら煙に燻され続けることに耐えないと、見学はできない。
ただし煙は煙でも、廟内のそれは線香で、ここは爆竹だ。
先触れの人々が、笹や旗を振っている。媽祖の進路を清めているのは分かるのだが、本当にこれだけの爆竹を必要とするのだろうか。どこかが派手にやってしまうと、エスカレートする一方なのだろうな。
この煙たい感じを出したいので、以下の写真も一切補正せずに載せている。白っぽいのはそういう景色だったと思っていただきたい。
言い忘れたが、手前左に写りっぱなしのオッサンは、西洋人らしい顔立ちの爺さんで、典礼の時に来賓席に座ってた当人だ。
何にせよ、熱心に見学していたぞ。
獅子もやってくる。
門前の空間は、やって来た神々がさまざまな藝を見せる場である。当然、獅子も黙って帰るわけではないが、その辺は別の記事で紹介する。
両将軍と本隊。進香団はいったん朝天宮前の広場に集まり、そこでいくつかの儀式をこなしてから中に入っていく。
試験的に動画をあげてみる。千里眼と順風耳の行進だ。最後の方で椅子(手轎)が映っている。この後に神輿がやってくる部分は、次の記事に載せるかも。
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