2010/06/28
龍山寺(台北・萬華)再訪
萬華の中心地、龍山寺。我々にとっては、去年に続く再訪である。
ただし、去年の訪問と今年の訪問では、我々の意識に大きな違いがある。日本語ガイドブックでかじった程度の知識で出掛けた去年の自分たちを、今となっては恥じるばかりでござる。
もちろん龍山寺には、単なる観光地としての面もあるのは事実。
この日も日本人の団体がいて、たどたどしい日本語の解説もなされていた。
龍山寺は福建にある寺院で、三邑人(晋江・恵安・南安)が故郷から勧請したもの。従って、建立当初からここは単なる寺院ではなく、移民たちの集う場として機能していた。
雑多ともいえる神々の合祀は、起源を辿ればこのような特殊性に起因するのだろうか。少なくとも、大陸とつながりがあるだけならば、台南の開元寺や法華寺だってこうなっても不思議ではないわけだし。
自身でも拝拝しつつ、決死の覚悟で撮影した観音菩薩。みんな火を持ちながら動き回るから、台湾の廟は危険である。
第二次世界大戦ではアメリカ軍の爆撃にあった龍山寺であるが、正殿が全壊したのに、この像は無傷であったという伝説がある。八戸のイタコが、オシラサマを飛ばして米軍機を撃墜しようとしたエピソード並みに素晴らしい伝承である。
後殿右龕の註生娘娘の前には花がいっぱいだ。我々の訪問は2010年5月2日。翌日が註生娘娘の聖誕日なのだ。
ヘルメットのおっさんは、バイクで花を運んで来て、今まさに飾り付けている最中である。
なお、後殿の神々のなかで左龕の水仙尊王と城隍爺は、日本時代に壊されてしまった、近くの水仙宮から遷されたもの。台南の水仙宮も日本時代はひどい目に遭っているし、ここも植民地政府の嫌がらせかと思ったが、必ずしもそれだけではないらしい。
『台北歴史深度旅遊』によれば、水仙宮のあった地点(現在の西昌街と桂林路の交差点)は、風水ではもっとも建ててはいけない場所であった。そこで人々は移転させようと思ったものの、そのたびに責任者が死んでしまい、呪われた廟として誰も寄り付かなくなってしまった……という感じで書いてある。
最終的には道路拡張で破壊されたわけだが、それはそれで体よく日本に罪を押しつけたということなのかも知れない。
とりとめのない書き方になってしまった。龍山寺の一般情報なんて腐るほどあるから、あまり書かなくてもいいかなぁ…と思ったらこのザマだ。読者の皆様には申し訳ない。
で、あえてもう一つ龍山寺で記事を書く。今度はちょっと業界人向けだ。
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