2010/06/17
艋舺青山宮(台北・萬華) (二)祭神
青山宮の祭神は青山王、またの名を霊安尊王という。福建の三邑人(「邑」は村のこと)の一つ、恵安人たちが信仰した。
清水祖師や三山国王などと同様に、恵安人の移民が郷土の神を台湾に連れて来たのは、1854年のこと。
その頃は艋舺で疫病が流行していたが、この神に祈ったところ効験があったという。一種の流行神となった青山王を、この地に祀ったのは1856年。清の咸豊帝6年であった。
※パンフレット(日本語表記もあり)によれば、この神を奉じて恵安人が艋舺にやって来たとき、神像が突然動かなくなったという。そんな神の意志に従って、ここに祀ったそうな。
残念ながら中央はテカって良く見えない。
『台北古蹟偵探遊』によれば、1856年に造られた「青山王館」が、日本統治時代の1934年に青山宮(青山王宮)として建て直された。三級古蹟指定されているのは、この時に建てられた部分らしい。
青山宮は1979年に大規模な改築を行い、三階建てとなった。それは古蹟としての価値を失わせる結果ともなったようだ。まぁこの宮がどうしようもなく狭いのは事実だし、仕方のない話ではないかとも思われるが。
天井の八角藻井などは、わりと古い部分らしい。そう思って撮った写真を載せてみたが、この八角藻井は増築部分なので、たぶん違う。
なお、この辺の建築に使われた石材の一部は、破却された円山神社の遺物だという話がある。どの辺がそうなのかは分からず。
青山王の周囲にいる神々は、ガイドブックにも指摘されるように城隍廟と共通している。この宮の有名な祭典「青山王祭典」でも、城隍廟と同様の「暗訪」があるという。
疫病の神という意味では、王爺信仰とつながるのではとも思われる。いずれにせよ、いわゆる陰廟に属するのは間違いない。
階段を昇った上に祀られる瑶池金母。西王母であろう。
三官大帝も階上におられる。どちらも像が新しいし、1979年の増築時に祀られたのだろう。もっとも、日本と違って塗り直される可能性があるから、見た目だけで判断するのはまずいかも。
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