2010/06/19
料館媽祖啓天宮(台北・萬華)
この媽祖廟の名は啓天宮。そしてこの地は料館口という。
華西街夜市の近くにあるので、料館というと何か料理旅館の略称のようだが、全く料理とは無関係。ここにあったのは貯木場で、福建から運んだ建築材や、淡水河上流から運ばれた造船材などの溜まり場であった。東京でいうところの木場である。
『台北歴史深度旅遊』には19世紀のものと思われる写真が載っており、木材が山積みになっている。木場は海運の民の土地なので、媽祖が勧請されることは自然の成り行きだったと思われる。
なお乾隆29年の『続修台湾府志』では、渡頭街の媽祖宮が乾隆11年の創建とあるらしい(『大日本地名辞書』)が、そちらは台北天后宮の前身の新興宮のことだろう。
料館媽祖啓天宮は咸豊年間(1851~61)に建立され、当時は淡水河に面していた。
※追記
啓天宮でもらった「簡介」によれば、福建の商人が船中に媽祖を奉じていたとある。そして、あるとき快晴で波も穏やかなのに、船が回転した。そこで占いをして神の意志を聞き、ここに媽祖を祀ることにした、と書かれているように思われる(原文がちょっと難しい)。
主祭殿。
中央はともかく、左右に目を疑うようなものが。
未だかつてない造型の千里眼将軍。
こちらは順風耳将軍。自己紹介の文字をかけているのが、何となく痛々しい。だいたい順風耳は耳が良いのだから、グラサンよりやるべきことがあるのではないか。いや、そんな真面目なツッコミを入れてる場合ではないか。
まぁ日本でも「鬼」はどんどんデフォルメされていった歴史があるけれど、たとえば仁王門にこんな像が安置されたら、きっと苦情殺到だろう。
もちろんデフォルメ路線は子どものイタズラではなく、特定の政治的意図をもってなされている。そしてこういう媽祖信仰が認められてしまうのは、「現在の」信仰であるという証拠にはなるんだろう。
媽祖像そのものには、特にどうというコメントもない。
こちらは奥に祀られている池府王爺。台北では王爺信仰をあまり見かけなかったが、我々がたまたまそういう廟に出会わなかっただけだろうか。
さて、この王爺は別名「番王爺」というらしい。
山中で木材を伐り出す人々は「番害」に遭うため、この神に祈って免れようというものだと『台北歴史深度旅遊』にある。料館口らしい祭神ということになろう。
※なお「簡介」によれば、大正6年にここに遷したとある。
ここも媽祖の祭礼が行われていた(上の写真にも経典類や数珠などが写っている)。我々が訪れた時間には、この日の行事(たぶん読経)は終わっていたようだが、湯圓を振舞ってもらった。非常にシンプルな白玉団子のぜんざいだ。
見た目以上にボリュームがあって、たぶんカロリーもあったに違いないが、お祭りの場に加えてもらえた気がして、ちょっと嬉しい時間だった。
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