2010/09/25

重慶寺(後編) 宗派はなんと……

重慶寺
 最初に断わっておくが、重慶寺に関するまともな紙媒体の資料をderorenは持っていない。なので仕方なく、台南市のサイトを主に、残念だがwikipediaなどで補いつつ説明することになる。
 当ブログは学術目的で作成しているわけではない。とはいえ正確な情報を載せないのならば、(こう言っては申し訳ないが)その辺の旅行記ブログと一緒になってしまう。
 一見の旅行者だからといって、デタラメを書き並べて良いわけではない。資料批判の方法を学んでいない読者に、デタラメを「正しい情報」として広めてしまうのは、書き手としての罪だ。
 なので宣言しておく。この記事については、決して鵜呑みにしないでもらいたい。間違っても、この記事内容を余所で引用しないで欲しい。

 さて、上の写真は前編で紹介した観音菩薩の向かって右側である。西嶽大帝、功徳司、そして手前にもう一つの何かが祀られている。この写真だけでは、寺院だとはとても思えない景色である。

重慶寺西嶽大帝
 西嶽大帝は、中国の五岳の西だから、華山の神である。金庸『笑傲江湖』の令狐冲を輩出した(笑)崋山派の本拠地だ。
 従ってこの神は、東嶽殿の東嶽大帝と対をなす存在なのではないかと思われる。一緒に功徳司、速記司という書記官が祀られることからも、人間の善悪を判定する神という想像が出来る……けど、それ以上は分からず。

 これら非仏教的な神々は、かつて台南市内にあった南星殿という廟の神だったらしい。日本統治時代に何らかの理由で廃絶し、神々だけがここに遷されたという。
 そもそも重慶寺自体が移転を経験している。元は台南州庁の辺りにあり、州庁の建設地に決まったため壊されたらしい。そういう経緯があるので、建物の古さが考慮される「古蹟」には指定されていない。ただし2007年に「歴史建築」指定を受けた。「歴史建築」とは「古蹟」の下のランクとして最近作られたもので、延平郡王祠も2010年に指定された模様。

 また台南市サイトなどでは、府城の「七寺八廟」の一つとする。ただし「七寺」はいろんな説があって、重慶寺を含めない方が一般的のようにも思われる。というか、「七寺八廟」自体が単なる語呂合せって説もあるので、深く追求しないでおく。

重慶寺
 功徳司。日本でも閻魔大王の脇に立ってる類の神だ。

重慶寺
 速報司。功徳司とセットの神。

重慶寺
 なぜか註生娘娘も祀られている。

重慶寺
 大雄宝殿とある。台湾の寺院の大雄宝殿はたいがい伽藍の中央にあって、主たる仏を祀る場だ。しかしここでは観音の脇に追いやられている。
 どうもこの寺が宗派を変えた関係で、こういうことになったらしい。ちなみに祀られているのは釈迦三尊。そして今では、手前の月下老人が目立っている。台南では大天后宮、祀典武廟、大観音亭と並ぶ四大月下老人だなんて書いてあるものもあるようだ。
 月下老人は商売っ気がプンプン臭う神なので、あえて問わないでおく。

 さて、宗派を変えたと書いたが、以前は臨済宗だった。それが1969年になって突如として宗派替えをしたらしい。
 前編で触れた「ちょっと違う雰囲気」とは、そうして変わった宗派に起因する。

重慶寺
重慶寺
 なんと重慶寺がくら替えしたのは、チベット密教噶挙派(白教)だった。そりゃまぁ、今や日本でも活動しているのだから、台南にあっても不思議ではないだろう。しかし預り物とはいえ、道教的な神々を合祀しつつチベット仏教というのだから、やはり相当に不思議な寺院である。

 ということで、分からないなりに書いてみた。
 最初にも書いたけれど、鵜呑みにしないように。何せ南星殿の位置はまちまちだし、「七寺八廟」に至っては何がなにやら。

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