2010/09/23

旧台南山林事務所

旧台南山林事務所
 幾度となく通り過ぎているが、単独の記事がないことに気付いたので掲載。
 台南州庁と台南州会の裏にある、日本時代の山林事務所である。建築年代はよく分からないけどね。

旧台南山林事務所
 これは2009年5月の写真。
 屋根に日本式の瓦が葺かれているし、モダンに移行する前の折衷様式と考えていいのかな?

旧台南山林事務所
 現在は喫茶店として営業中。もちろん台湾の喫茶なので、実質は火鍋屋のようなものかも知れないが、写真のようにオープンテラスの席もあるよ(我々は利用してないので、味やサービスは不明)。
 ちなみに、写真中央のうねった二本のナンヨウスギは「夫妻樹」と呼ばれていると、台南市のサイトにある。夫婦にしては離れすぎな気がするけどね。

台南武徳殿
 向かいは武徳殿。左に赤い壁が見えるのは孔子廟だ。ツアー客でも、外観だけは見る機会があるかも知れない。
 台南をツアーで巡ることは、決しておすすめしないけどさ。

2010/09/22

択賢堂と報恩堂(外観のみ)

擇賢堂
 現代の日本において、在家仏教という概念は難しいものである。何といっても、大半の僧侶は肉を食うし妻帯して子どもを作るし、挙げ句の果てには祇園で女を侍らせたりする。そういう僧侶を出家僧とは呼べないが、かといって在家仏教でもない。
 最近はもしかしたら、現代語訳の経典を趣味で愛読するなんて人もいるかも知れない。しかしそうした人の中で、在家仏教に数えられる人はまずいないだろう。なぜなら在家仏教は、出家仏教と同じく、仏教修行者としての戒律を守らねばならないからだ。
 単に都合よく経典を読むだけでいいならば、derorenすらも在家仏教者になってしまうゾ(derorenがいかに戒律とかけ離れた存在か、ブログの読者ならよく知っていよう)。

 千二百年前の『日本霊異記』には、在家仏教者の優婆塞がたびたび登場しているから、そういう仏教が日本に存在しなかったわけではない。
 けれど教団というピラミッド型システムの中で、仏教修行者としての資質を問われることもなく暮らす方が、きっと楽だったんでしょうな。

 余談はさておき、台南には在家仏教の寺院がいくつかある。当ブログではその中でも西華堂について、いくつも記事を書いている。首相大飯店の近所という条件もさることながら、日本の寺院ではなかなか感じることの出来ない空気が好きで、5月の旅でも訪れている。
 宗教のごった煮状態が当たり前の台南で、戒律が守られている寺院は、それらとは無縁の緊張感がある。出家仏教の開元寺も合わせて、台南の仏教寺院を読者の皆さんも体験してほしい。
※西華堂や開元寺の記事については、たくさんあるので台南の名所紹介記事から辿っておくれやす。

 で、ここは択賢堂。台南の旧勧業銀行の南の路地にある(大通りに看板があるよ)。実は去年もここは訪れていて、記事もいちおうあったりする。ただ当時は『台南歴史深度旅遊』も手元になかったので、内容はゼロに等しいから読まなくて結構でござる。
 事前に申し込まないと見れないので、今回も入口から覗いただけ。本当に見たかったら、ホテルを介して頼む方法もあるだろうが……。

択賢堂
 択賢堂は1879年に報恩堂から分かれた、斎教先天派の斎堂である。元はかなり装飾も少ないシンプルな堂だったようだが、報恩堂との縁が薄くなり、たびたび改築する中で、だんだん台南の廟っぽくなっていったそうな。
 まぁ実際、いくつか在家仏教の寺院を見た後で見直すと、かなり派手である。

擇賢堂
 ズームで無理矢理撮ってみた。中央の像は観音だそうだ。
 ちなみに「戒律が守られている」と何度も書いているが、台湾の在家仏教の戒律とは、『四分律』とか『梵網経』みたいなものをただ守っているわけではない。そもそも斎教は純粋な意味での仏教ではなく、道教や儒教も取り込んだ三位一体の宗教なのだ。

報恩堂
 で、報恩堂の前も通ったので一枚。ここは旧勧業銀行の北、鄭氏家廟の裏である。
 報恩堂は択賢堂と比べても簡素なたたずまいらしいけど、何せ堅く門が閉ざされていたので、全く中は見れなかった。

報恩堂
 奥行きはかなりある。

 清の順治年間に生まれたという先天派斎教は、19世紀の後半に台湾に伝わった。そして台湾最初の斎堂として造られたのが、この報恩堂であった。
 ちなみに斎教先天派は、斎教の中で唯一、結婚を禁ずる戒律をもっている。そのために最近はあまり振るわないらしい。まぁこればかりは仕方ないよねぇ。

2010/09/21

朝興宮・保和宮(後編) 流浪の媽祖廟

朝興宮・保和宮
 すさまじい景観に気押されしつつも、廟とあらば拝拝しなければと登った三階。
 いったん登ってしまえば、ただの廟である。そして花が飾られている。

朝興宮・保和宮
 通称を檨仔林朝興宮と呼ぶこの宮は、媽祖廟である。
 従って2010年5月4日の廟には、その生誕を祝う花が飾られていた。

朝興宮・保和宮
朝興宮・保和宮
 門神。秦叔宝と尉遅敬徳の組み合わせではないかと思われる。媽祖廟の門神ってこうだったっけ?
 疑問に抱くのは、ここが媽祖だけの廟ではないからだ。

 記事のタイトルでも分かるように、ここには檨仔林朝興宮と馬兵営保和宮という二つの廟が祀られている。それぞれは由緒も祭神も異なっており、便宜上一緒に祀られているようだ。
 廟にあった看板によれば檨仔林朝興宮は、北港朝天宮の媽祖を台南に呼んで作られた廟で、元は孔子廟の西側にあった。この辺は台南府城の寧南坊檨仔林という地だったので、檨仔林朝興宮と呼ばれたらしい。
 ところが、そこからこの廟は流浪の日々を送ることになる。元凶は北白川宮だ。日本統治時代、台湾で死んだ北白川宮を神にしようということで、台南神社が造られた。それは孔子廟のそば(現在は空き地と駐車場)であり、神社が中国的な孔子廟に取って代わるという象徴的な意味があったと思われるが、まさしく朝興宮の位置であった。
 で、神社に敷地を奪われた朝興宮は、仕方なく近くに移転。すると神社の拡張に伴って、また移転。計四度の移転を余儀なくされ、終戦で神社が潰されるといったん元の場所に戻ったという。
 元に戻った際に保和宮と合祀の形となり、民国72年(1983)にこのビルとなったとある。ここは檨仔林ではなさそうなので、ビル建築の際にも移転したことになる。

 保和宮の由緒は特に書かれていなかった。池府千歳を祀る王爺廟という以上は不明。

朝興宮・保和宮
 媽祖像たち。赤い襷はないので、朝天宮に進香はしていないようだ。

朝興宮・保和宮
 千里眼。鬼の面である。

朝興宮・保和宮
 順風耳ももちろん同じタイプ。

保和宮
 千里眼の奥にひっそりと祀られる池府千歳。保和宮に相当するのはこの部分だけだ。王爺廟なので、本来なら謝将軍と范将軍がいるべきなのだが、それらしい神はいなかった。
 なお、手前のぼんぼりに書かれた文字からは、祀典武廟を奉じる人たちが寄付をしたらしく読める。関帝との関係があるとは思えないけど、祀典武廟は地域の信仰の拠点のようなので、ここに寄付をしたということかな?

朝興宮・保和宮
 階段に戻って、降りた先の壁を見る。たぶんこれは媽祖の生誕の絵だろう。
 合祀というわりには媽祖廟一色の朝興宮・保和宮。まぁ拝拝すれば普通の廟だが、この階段だけは忘れられない。また行きたいってわけではないけどさ。

朝興宮・保和宮(前編) 台南の知られざる驚異

朝興宮・保和宮
 大天后宮を後にした我々は、新美街を南下して民生路まで下り、民生路と永福路の交差点近くの阿良水果店でフルーツを食べた。

 とりあえず我々が向かおうとしていたのは、鄭氏家廟だった。正直言ってそれほど興味はないけれど、過去の旅では抜け落ちていたので、一度拝んでおこうと思ったのだ。
 ところがこの日、せっかく日本から持参した地図をホテルに忘れてしまうという大失態を犯していた。なので非常にアバウトに「この辺のエリアだよなぁ」と探すことになった。
 まぁ台南はずいぶん歩いたし、こういうブログも書いてるから、(自分でいうのも何だが)旅行者としては異常なほどに地理には詳しい。どうにかなるだろう、と思ったら散々に迷ったわけである。

 で、まずは民生路を歩く。すると上の写真のような路地が現れた。非常に雰囲気のある路地であった。
 むむ、これはクサイと突撃してみたわけだ。

朝興宮・保和宮
 すると廟があった。
 いや、台南を歩いて廟が見つかるのは、日本の道路でジュースの自販機が見つかるようなものであって、何ら珍しくはない。ないのだが………。

朝興宮・保和宮
 な、なんじゃこりゃーと叫ばずにはいられない階段だ。
 念のために言っておくが、ここは閑静な住宅地の路地の一番奥である。ここ自体も非常に狭い敷地なのだ。それなのにこの階段だ。

朝興宮・保和宮
 もう一枚。
 この衝撃は実際に見ないと分からないだろう。あまりの非日常に、厚かましいderorenですら一瞬だけ躊躇してしまったほどだ。
 たぶん高所恐怖症の人はダメだと思うゾ。

朝興宮・保和宮
 登ってみたら、ビルの三階部分にこうして廟が建っている。
 冷静に考えてみれば、山の上の堂宇を参拝するために石段を登るという、ありがちなシチュエーションを体験したに過ぎない。しかしここに山はない。山ではないからこそ、高さという非日常の演出が、剥き出しの状態で現れてしまっているのだ。台南恐るべし。


 まぁ恐らくは、集会所などのスペースも必要だったので、廟を天井に上げてしまったのだと思う。神農街の端の薬王廟や、普済街の善徳堂と似ているといえば似ている。
 ただし薬王廟は一階と三階が廟だから、それほど違和感はない。また善徳堂の廟は二階なので、これも思ったほどの驚きはない。
 ここは何というか、民家に混じって出雲大社が建っているようなものだ。

2010/09/19

小北成功夜市(二) スモモ新世紀、そしてにょろ~ん

小北成功夜市
 何度も書いたように、この日の我々は既に阿川土魠魚焿全生小食店で晩飯を食べている。従って炭水化物の類を食べようという気には全くならなかった。
 牛排の店もあったけど、星の数ほどある台南の名店をさしおいて、夜市でメシを食うのはどうかなぁ、と思ったのも事実。そもそも今回、台南で晩飯が食えるのはこの日だけだったし、そこで夜市を優先するのは難しいでしょ?

 前置きが長くなってしまったが、ともかく我々が食べたものを紹介するぞ。
 最初は果物だ。ここではスモモを買った。スモモといっても完熟状態ではなく、砂糖をまぶしてボリボリかじるヤツ。日本では食えない果物だ。甘酸っぱくてうまいよ。

小北成功夜市
小北成功夜市
 ここでは冬瓜茶にシャーベットを落とした、新世紀のドリンクを買う。
 二枚目の写真で、誰だか知らない男がポーズを決めているが、はっきり言ってこれはハズレ。冬瓜茶の風味がシャーベットで台無しになる。いくら21世紀とはいえ、金太郎飴のような新機軸を考えるのは、おッ母さんでも難しいようだ。

小北成功夜市
 最後はオッサンの顔から。
 手前で25元を握りしめているのが誰なのかは深く問わないように。

小北成功夜市
 にょろ~んと出たソフトクリーム。台中方面で人気とか聞いていたが、台南にもあった。花園夜市では見かけなかったけどね。
 このソフトは、日本の一般的なソフトより多少は水分少なめだが、劇的に味が違うというほどでもない。もちろん多少なりとも味が違う、言い換えれば味が落ちることは否めないけれど、見た目は面白いし安いから、是非一度食べて欲しい。
 多少は味が落ちようと、我々は次回も出逢えば食べるだろう。なぜならderorenはソフトクリームが大好きだからだ(何のひねりもなくて申し訳ない)。

 こうして一時間弱ほどで夜市を切り上げ、すぐそばのショッピングセンターでトリートメントを買って(台湾のホテルにはシャンプーはあるけどトリートメントがない場合が多い)、タクシーでホテルへ戻った。
 何だかんだ言っても、夜市は台湾の今を感じさせる場所だ。ハズレをつかまされるのも楽しみのうち。高くとも日本円で100円程度なんだし。

 それと、やはり台南の夜市はイイ。
 空き地に屋台を並べる形式は、そこだけに外界と切り離された異空間を出現させる。夜市が非日常を体験出来る場になっている。道路を使った夜市では味わえない感覚をぜひ、台南で楽しんでほしいゾ。

※小北成功夜市は西門路四段と和緯路二段の交わる地点にある。ちなみに和緯路二段を西に行けば花園夜市の開催地があるが、両夜市の開催日は異なるのでハシゴは不可。
 台南駅方面からバスで延平國中バス停下車という方法もあるようだが、タクシーを使った方が楽。「小北夜市」でも、恐らくはここに連れて行ってくれるはずだ。

※今さらのことだが、「小北観光夜市」と「小北成功夜市」は別物。小北観光夜市は完全に寂れているので、どしゃ降りで他の夜市が中止でもならない限り、わざわざ行く必要はないと思われる。

2010/09/18

祀典大天后宮(六) 寧靖王の観音信仰

祀典大天后宮
 大天后宮の観音殿。その(三)でも触れたように、ここは寧靖王の監軍府があった場所である。
 そしてここは、観音殿となるべき場所ではなかった。

祀典大天后宮
 その(三)を書いた時点では確信がもてなかったが、寧靖王は死後の王府を、あくまで観音堂にして欲しかったようだ。ところが清軍のトップとして王府にやって来た施琅は、観音像を正殿ではなく、脇のここに移してしまったという。
 そもそも施琅がやって来て、すぐに媽祖祭祀が始まったわけでもないようだ。『台南歴史深度旅遊』を読み直すと、彼がすぐに行ったのは寧靖王府を廃したことだけで、当初は媽祖を祀るつもりもなかったらしい。
 そして、萬福庵前照牆の記事で触れた、施琅に対する阮夫人の不満も、どうやらこの点にあったようだ。いずれにせよ台南の人々の不満を感じとった施琅は、媽祖を祀ることで住民の機嫌をとると同時に、寧靖王府の記憶を消し去ろうとしたのだろう。

 例によって岩窟の観音像は、乾隆42年(1777)の作。台湾においてはそれでも非常に古い像で、蒋元枢(台湾知府)の命で造られたという。ちなみに、同時に三体造られた観音像は、ここと祀典武廟、開基天后宮に祀られたそうな。
 観音像の左右には、花瓶に隠れてしまっているが男女の像がある。どうにか見える右側の男の像は(写真をクリックして拡大してね)、金童という。反対側は玉女。どちらも善・美・真を象徴する顔らしい。
 ……『台湾歴史深度旅遊』がその順なので善・美・真と並べてみたけど、日本だったら真・善・美の順序になりそうだ。こういうのも文化の違いなんでしょうな。

祀典大天后宮
 現在は観音殿の前に、この三宝殿がある。
 両脇に仁王像のように立つのは、向かって右が韋駄で、左は何と関帝だという。祀典武廟の主祭神を門神にしてしまっていいのだろうか(ちなみに、祀典武廟の前身も寧靖王府の関帝廟なので、こことは兄弟分)。

祀典大天后宮
 奥の釈迦三尊は、ウルトラマンのカラータイマーみたいに卍が描かれた、ちょっとガッカリする像だ。手前の三体も、同じく釈迦三尊ではないかと思われる。彌勒もありがちなビジュアルで座っている。

 ここは清代になってから、官庁として整備された場所だ。「祀典」、つまり清朝の国家祭祀の対象となったこの宮には、祭礼のたびに官吏がやって来る。その官吏が使用する場所が官庁である。従って、清朝が滅亡した後は本来の役割を失っていた。
 そこで1970年代になって、改修して三宝殿としたらしい。

 別に釈迦三尊を祀ることに異論を唱える理由もないが、ちょっと場所がおかしいのも事実。なぜなら、ここは隣が拝殿という位置関係なので、観音殿(と正殿)に比べて一段低い。つまり、観音が釈尊を前座にする形になっているわけだ。
 如来が菩薩に見下ろされるってどうなのよ、ねぇ。

祀典大天后宮
祀典大天后宮
 手前には金の卵を産む鶏がいた。ものすごく非台湾的な像だ。まぁ最近整備された場所だから、どこかの国から寄贈されていても不思議ではない。

 今回、萬福庵を巡ったことで、今までよく理解出来なかった部分がだいぶ見えてきた気がする。やはり台南を知るには、ある程度トータルに巡らないといけないようだ。
 台湾に渡った時点で成人していた寧靖王は、鄭成功・鄭経とも微妙なバランスを保たざるを得なかっただろう。そういう面も見えてくれば、もっと史跡巡りは面白くなるのではないかと思う。
 観光客としてそこまで調べるのは、さすがにきついけどね……。

2010/09/17

小北成功夜市(一) 食べるだけではない夜市

小北成功夜市
 例によって食べ物関係は先に掲載。
 2010年5月4日は火曜日(星期二)であった。火曜日に開催される大規模な夜市は、ここと大東夜市のみで、残念ながら花園夜市は開催されない(開催日は「台南旅行者向け情報」にまとめてある)。
 我々は三度目の台南で、始めて花園夜市以外の夜市を体験することになった(もちろん台北の夜市は除く)。

 まぁ速報にも書いたように、derorenは曜日を間違えていた。武聖夜市に行くつもりで、旗哥牛肉湯から歩くルートまで調べていたが、すべて無駄になった。
 というか、ルートを調べたのは出掛ける前だから、その時点から曜日を間違えていたのだ。ちょっとあり得ないミスであった。

小北成功夜市
 さて、花園夜市より規模はやや小さいが、小北成功夜市も賑わっていた。時刻は夜八時ぐらいだから、ちょうど良い時間帯である。
 ちなみに、ここの店の多くは武聖夜市と共通するらしい。ただし花園夜市と共通する店も見かけたゾ。詳しいことは公式サイトから確認すべし。

小北成功夜市
 花園夜市に比べて、ここは食べ物以外の店が目立つ。当て物なんかは言葉が通じなくとも出来るので、誰かがやってるのを見て楽しそうだったら突撃すべし。我々はギャンブル嫌いなのでやらないけどね(確実性のないことは一切しない主義だ)。

小北成功夜市
 衣料品や雑貨の店も多い。
 若い台湾人たちが夜市で服を物色する姿には、最初は違和感があったのも事実。日本ならこういう場所には、オバチャン相手の店ばかりでしょ?

小北成功夜市
 そして最後は占いの店。誰だか知らないけど恐らくは有名人の顔に、例によっていろいろな運命が書かれている(どんなことが書かれているかは、こちらの記事を読んでくれ)。そしてパネルの奥、おっさんの手元に鳥籠が見えるのが分かるだろうか。
 そう、ここは文鳥占いのお店なのである。
 日本語が出来るわけもないので、通訳がいないと占ってもらうのは難しいだろう。それでも是非というなら、突撃して見るも吉かもしれぬ(台北になら、いくつかあるけどね)。

 こんな感じの夜市を我々は二巡ぐらいして、飲み物などを買った。晩飯を二軒ハシゴした後なので、さすがにもう飯は食えなかった。それでも、夜市ならではの体験もあったので、その辺の話を(二)で書く予定。