2012/03/30
成功大学(二) 榕園で休憩
留学ではなく観光の日本人が成功大学を訪れる場合、たいていその中心となる榕園。現在は成功大学光復校区と呼ばれるエリアである。
光復とは、国民党軍が台湾を日本の植民地から解放したことを意味しており、台湾各地で使われまくっている熟語(台南では、鴨母寮市場も「光復市場」だ)。ここの場合は、日本陸軍の拠点を奪い取ったニュアンスが含まれているかも知れない。まぁ、奪い取ったという表現が適切かどうかはさておき。
もう一つ、光復された存在があるとすれば、写真中央の榕樹(ガジュマル)であろう。
この榕樹は、後の昭和天皇が植樹したという伝承をもっている。ただし、植樹からまだ百年にも満たないのに、こんな姿になるものだろうかという疑問もある。
少なくとも十数年前にはこんな姿だったようだから、70年で成長したことになる。
1923年(大正12)に台南を訪問した皇太子の日程については、本ブログ「台南豆知識」に載せてある。台湾滞在10日目の午前に、皇太子は台湾歩兵第二聯隊、つまりこの場所を訪れた。
ただし『台湾行啓記録』の目次では、閲兵と、防暑被服、防蚊装置という怪しげなものを見たことしか書かれていない。この部分の本文はないから、具体的なことは不明。
まぁ記念植樹というのはごく普通の行為だし、ガジュマルは成長が非常に早いらしいから、本当なのかもね。
そのいわくつきのガジュマル(右の木)の奥に見えるのは、大成館。元は歩兵第二聯隊の司令部であった。
1912年に造られた、台湾でも初期の鉄筋コンクリート建築だ。国定古蹟。
太い円柱が威圧的だ。
当時はまだ抗日活動が盛んな時期で、ここはそうした勢力を鎮圧する拠点であった。
まぁしかし、写真でも分かると思うが、あまり保存状態が良くない。元々が大味なデザインだけに、見ていて退屈だ。
そんなことよりも、tomopeeを休ませねばならない。
ガジュマルの下は涼しい。本当は、例の木の下で休もうと思ったけれど、既に先客がいっぱいである。無理すれば休むスペースぐらいあるが、落ち着かないので手前のやや小さなガジュマルの木に向かう。
たまにベビーカーから降りないとストレスがたまるだろう。ということで降ろす。
奥に見えるのが例の木。太極拳か何かのレッスンが行われていたりする。
キャンパスの中でも、榕園は一般人が普通に入って休憩している。それも子ども連れが多く、老人は少ない。一応はキャンパスなので音楽は鳴らせないしタバコも麻雀もダメだろうから、そういう人たちは台南公園に集まるのかも知れない。
赤子連れでここをわざわざ訪れる観光客がいるとは思えないが、もしもいたら休憩場所にするが吉。
ちなみに、この広場は言うまでもなく元の練兵場だ。
榕園の東側には、成功湖という苑池がある。
まぁ別に、観光に行くような場所ではない。
こちらは旧文学院(歴史系館)。大成館と並んで建ち、よく似た建物だ。第二聯隊の事務全般を担った場所である。
大成館よりも、さらに状態が悪い。
これも文学院。とても長い建物だ。
文学院の横面。花が飾られていて、実はけっこう洒落た建物だったりする。
猛暑の台南。両親すらへばっていただけに、tomopeeをどうするか、かなり迷った。ここで午前中の日程を打ち切ろうかと本気で悩んだほどである。
結局、休ませて水分も摂取したから、tomopeeはまずまず元気になった。成功大学キャンパスの見学は最小限にするかわり、もう少し先まで行くことにした。
従って、予定していた成功校区は見ずじまい。それどころか、大成館の奥にある礼賢楼すら見ることができなかった。成功大学は「ただ行っただけ」で終わった。
小西門や城壁は、文学院のそばなので見学している。その辺の記事を次に書くぞ。
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