2009/11/20
赤嵌楼の夜(2009.8.14)
今回は赤嵌楼は外側から眺めたのみ。12日午後は祀典武廟を訪問の際に通りがかり、14日夜は耕読園からタクシーに乗った時にとりあえず「赤嵌楼まで」と頼んだ。
別に赤嵌楼に用がなくとも、この辺に行けば何か食えるし何か見物出来るだろう、という場所だ。ついでに、言葉がほとんどしゃべれない我々でも「チーカンロウ」なら確実に通じるという気楽さがある。
この日はジャズライブだった。しっかり入口で集金人がいたので、柵の外から覗いただけで去る。実はこの時、もっと魅力的なイベントがあることを我々はもう知っていたというのもある。
ところで、赤崁楼なのか赤嵌楼なのかは迷うところ。一般に赤崁楼という表記が通用しているので、なるべくそう書いているけれど、実は当の楼上には「赤嵌楼」とある。
この名の由来が諸説あるなかで、最も有力なのが原住民の名というものだが、それはどうやら「赤崁社」と記録されているらしい。その場合、音が共通する崁と嵌がいつの間にか……ということなので、歴史的正確さを求めるならば崁となろう。ただしあくまでその説が正しければ、という注釈がつく。
電子版の四庫全書で検索すると、『福建通志』などほぼすべてが「赤嵌」である。「赤崁」は一例だけ『福建通志』にあるが、楼の名ではなく港の名のようだ。このレベルでいえば嵌を選択する方が無難といえる。
まぁ崁はそもそも日本語フォントにない(仕方なくコピペで対応)ので、無理せず赤嵌楼にしておこうかなぁ、ということでこの記事ではそう表記する。
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