2016/07/29

「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」放送中

 金曜夜に第4話が放送される「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」。公式な略称は「サンファン」らしい。いまいちピンとこない……というか、続編が作られた時に困るような気がするけど、まぁ私に実害があるわけでもないので深く追求はしない。
 内容は今のところ上々の出来。昨今耳にする機会がなくなった時代劇のセリフが懐かしい。「これはしたり」なんていつ以来だろう。
 来年には小学生となってしまうtomopeeに「言語道断!」と叫ばせたいものだ(その昔、週刊少年宝島に連載された「ゴンゴ」を思い出せるのは私ぐらいではあるまいか)。





※ネタバレ風味











 とりあえず回をおうごとに胡散臭さを増す鬼鳥さんだが、この饒舌は殤不患の問題を隠すものでもある。
 そもそも蔑天骸を倒すだけなら、敵の本拠地に乗り込む必要はない。敵の側からやって来てくれるのだから、自分たちに有利な地で待てば良いのだ。
 もちろん、七罪塔攻略についても、鬼鳥が語る範囲で考えるなら、これまでだって実行できたはず。要するに、殤不患というパーツを得なければ実現できない何かがある。しかし、当の殤不患が聞き役というかツッコミを担当するので、肝心な点、つまり殤不患は何をするのかは不明なままだ(蔑天骸と戦う予定だと言われればそれまでだけどね)。

 殤不患は東離の常識を知らず、そして何か急ぎの用があった。殤不患が分断された西幽の者であろうと推測するのは容易である(そうだと断言できるわけでもないが)。
 その上で、このストーリーの目的は、東西分断の解消だとも推測している。殤不患は神誨魔械を手に入れたら使うだろうし、使ってすることは「壁の撤去」なのでは。
 もっとも、仮にそんな方向の話ならば「次のシリーズをお楽しみに」で終わりそうだ。

 まぁ妄想はこれぐらいで。
 24時間以内に否定されるかも知れないし。

微風台南その後

 
 河原町丸太町の台南料理店「微風台南」。4月末に初訪問となったわけだが、既にその後3度食べに行っている。都合がつく時に、昼食先として通えるというのは魅力的だ。
 値段の方は、紅焼牛肉麺が800円+税(この店は外税なので注意)。牛肉麺は現地でも結構高いから、この値段なら頑張っているのではあるまいか。ディンタイフォンよりはずっと安い。


 写真のように、一応は雞肉飯なども頼んだけど、基本的に牛肉麺ばかり。
 牛肉麺は台南料理なのか、と言われれば首をかしげるが、食べたいのだからしょうがない。


 三回分の写真をあげてみる。同一メニューだが見た目の印象は異なる(4度のうち1度は、カメラを持っていなかったので写真がない)。


 6月頃の写真。


 最新の牛肉麺。誰が盛りつけたかという問題もあろう。

 念のために言っておくが、ここの麺はまさしく台湾のそれなので、コシがなく長さも短い。ゴロゴロと大きな牛肉は基本的にダシガラだし、もちろん八角と香菜で彩られている。「台湾ラーメン」のノリで訪問すると痛い目に遇うだろう。
 derorenは、そういうものだと思って食べている。刀削麺タイプの牛肉麺だったら、コシの問題はだいぶ解決できるわけだが、この麺こそが台湾風味だ。
 どうせなら、この麺をパスタのように扱う夜市の「ステーキ」にも挑戦してほしいなぁ。あの得体の知れない肉も、たまに食べたくなる。

 宣伝になってるのか怪しいけど、営業が続くよう応援したい。
 食後に目の前からバスに乗れる(京都駅方面)立地も良いので是非。

2016/07/10

「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」始まったぞ

 遂に霹靂が日本上陸(上陸して撤退した過去は忘れておく)、ということでBS11で第一話を見たゾ。
 日台合作ということで、景色も人形もかなり日本風味だが、あの吐血は健在だ。それと、HD映像の霹靂は見たことがなかったから、その意味でなかなか新鮮だ。

 霹靂は、台湾に旅行してテレビを見ればたぶん覚えるはず。ケーブルの専門チャンネルで延々とああいう布袋戯をやっている。
 ちなみに、全登場人物の声を一人があてている。その場ではどうにか判別できるのかも知れないが、途切れ途切れに数年おきに一時間見るような私にとっては、いつも同じことをやってるようにしか思えない。
 そもそもストーリー自体、次々と新キャラが現れては、誰かが吐血して去るという繰り返しなわけで……。

 今回の合作は、基本的には日本のアニメの流儀で作ってあるようだから、話はちゃんと完結するだろう。声も有名どころがあてていて、その意味でも違和感はないはず(第一話では一箇所だけ本家の声が聞けたが、本当はあの人が女の声もすべて担当するのだ)。
 霹靂をどこかが真似して、布袋戯が日本で流行するという状況は、たぶん技術的な問題で難しい。武侠モノをBSあたりで放送できる程度には盛り上がってほしいなぁ。
 武侠ドラマは実写でも血しぶきが飛ぶけど、昨日やってた「柳生一族の陰謀」が放送できるなら、きっと大丈夫だろう。

※Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀公式サイト
http://www.thunderboltfantasy.com/

2016/05/11

久々の博客來

 当ブログの一番人気記事で、未だに定期的に問い合わせが来るのが、博客來網路書店の通販情報である。
 正直、その当時の投稿目的――リアルな知り合いの購入便宜――という意味では、あまり役に立った形跡がなかったりする。もちろん、公開記事にした以上は、不特定多数向けに書いているけどね。
 我がブログが、台湾書籍の日本流通に多少なりとも貢献できたことは確かな模様である(鼻高々)。

 とはいえ、何せ記事が古いのが気になっていた。
 以前とはいろいろ画面も変わっている。その一方で、一時のようにderorenは本を買わなくなった。……というか、既に数十冊は買っているのだから、ペースが落ちるのは当たり前である。円安問題もあるけど。
 最後に購入ボタンを押したのは、一昨年ぐらいだった気がする。

 で、久々に5冊ほど買うことにした。
 まだ届いていない段階なので、まだ紹介はできないが、遠足文化の本がセールス期間だったので、集中的に購入したのである。
 購入画面は、すべてキャプチャーしてある。時間とやる気があれば、通販記事のリニューアルといきたいところだ。

 まぁ、リニューアルするならば会員登録もキャプチャーし直さなければなるまい。面倒なので、当面は質問への回答用に保存しておく予定。

2016/04/30

微風台南を訪問してみた

 すっかり更新が止まって、そのうちにbloggerの仕様もいろいろ変わって、ますます更新が遠ざかる日々。
 そんな日々ではあったが、数ヶ月後のとある仕事で台湾に触れる可能性が高くなった。そこで自分のブログを読み返してみると、「なんだこのブログ、面白いじゃねーか」と、非常に生産性の乏しい感想を抱いたわけである。

 そして、面白くなって読みふけってしまったから、台南熱も再燃。とりあえず飯を食おう、と調べてみたら、京都に「微風台南」という台南料理の店があるそうな(その代わり、大阪の宝島は閉店してたのね)。
 思い立ったが吉日、ということで仕事帰りに寄ってみた。もちろんhashiとtomopeeと三人である。場所は河原町丸太町をあがった東側だ。


 魯肉飯とあったが、肉燥飯。ただし、台南ではこの高菜みたいなヤツが乗らないから、魯肉飯なのかも。
 この高菜みたいなヤツは、その昔、東京歌舞伎町にあった台湾料理屋でよく食べた。その店では食べ放題だったので、排骨飯や牛肉麺と一緒に食べたものだ。derorenの台湾メシのルーツみたいな味なので、それはそれで懐かしい。
 味はばっちり台湾。tomopeeもこれは喜んで食べた。ただし高菜みたいなヤツは、子どもにはまだ早い。

 蛋餅は思ったより厚みがあり、これはこれでうまい。hashiは、もう少しカリッとした方が好みだった模様。
 まぁこれは作ろうと思えば家で作れるので、またチャレンジしようかなぁ。


 なんと棺材板。某台南の本家同様に、揚げた食パンに安っぽいシチューだが、食パンの厚みとこぼれるシチューは、本家より豪華だぜ。tomopeeもお気に入り。

 そんなわけで、とても台南な店で、derorenとhashiは大いに満足した。しかし、5歳となったtomopeeには、苦手な料理だらけだった模様。何せ、知らないものを食べたがらない年頃なので、蛋餅すら食べない。珍珠奶茶の珍珠を気味悪がって食べないのには閉口した。
 tomopeeを連れて台南を食べ歩くのは、今は至難のわざなのかもなぁ、という現実を知った気分である。

 久々の更新で、いろいろ記事が雑である。
 たぶん、この店には遠からず再訪するので、その際にもうちょっとマシな記事を書きたい。

2016/02/06

台南的朋友

我希望大家的安全。

2015/09/08

台南歴史年表(その4)

 その3を書いた時点で、その4もほぼ現状まで書き終えていた。が、どこで区切るべきか考えているうちに多忙となり中断。その後、多忙じゃなくなっても、一度中断した作業を再開できずに現在に至る。
 とりあえず、書いたものは公開しようと思う。たった4年分だけど。


1871年(清・同治10年 日本・明治4年)
 牡丹社事件が起きる。

 この年、琉球国の船が台風に遭い、台湾の屏東付近に漂着した。総勢60名ほどいた彼らは、当地の集落「牡丹社」に向かい、54名が殺害されてしまう。
 殺害に至った経緯は、日本側と台湾側の主張が異なるので、はっきりしないと記しておく。明確なのは、日本政府が事件の責任を原住民のみに被せた点である。
 生き残った琉球人は、福建省に送られた上で琉球国へと還された。

 ここまでの表現でも分かるように、清側はこの件を、あくまで清と琉球国の問題として処理した。
 当時の琉球国は、清と日本の双方に従属する王国であり、日本領土ではない。ただし、生存者が帰還した1872年には「琉球藩」が布告され、日本の領土化がすすめられていた。
 日本政府は、この事件を「日本と台湾の事件」と主張することで、琉球国の併合を認めさせようとしたわけだ。もちろん、政府の思惑は他にもあったわけだが。


1873年(清・同治12年 日本・明治6年)
 日本軍、台湾の侵略を図る。
 先の牡丹社事件に対する報復として、日本軍が台湾を襲撃、原住民を殺害した。

 既に述べたように、この出兵の第一の意図は、琉球国の日本領有を清に認めさせることである。
 ただし実際には、兵士の中には開拓民とおぼしき層が混じっていた。つまり、そのまま台湾を日本領土にする意図も有していたのだ。

 そもそもこの出兵には、明治政府下の政情不安が絡んでいた。幕府の廃止に伴い、失業した武士たちが不満をつのらせ、やがて佐賀の乱西南戦争などを引き起こしたことはご存じだろうが、そうした層に職を与えるための手段の一つが海外出兵なのである。
 侵略先の第一候補は朝鮮。しかし征韓論はそう簡単には通らない。そんな時に牡丹社事件が起きたので、これを好機と戦争に乗りだした。というか、台湾襲撃もやめるよう押し留められたのだが、強引に攻め込んだのである。

 そうして行われた台湾襲撃は、植民地化という意味では失敗する。日本軍にとっての最大の敵は、短期的にいえば台湾原住民ではなく病気だった。マラリアやデング熱など、熱帯特有の病気に対して、日本軍の軍医は適切な処置ができず、多くの死者を出した。
 そこで清政府との交渉が行われ、原住民の行為に非を認めた清が、日本に賠償金を払うことで決着。日本軍は半年ほどで撤退した。
 この賠償金は、派兵費用には全く見合わない額だったが、琉球が日本、台湾が清にそれぞれ属することの証明となった。少なくとも、琉球国の位置づけに関しては、日本側の意図が実現したことになる。

 また、日本軍はこの派兵の際に、気象観測を行うなど、台湾の把握につとめた。後の台湾併合に、多少なりとも役には立ったものと思われる。


1875年(清・光緒元年)
 台南の開山王廟延平郡王祠に改められる。当時は閩南式の廟宇であった。

 鄭成功を祀り、日本の観光ツアー客にはおなじみの延平郡王祠。しかし、鄭成功は清政府の大敵であり、表立って祀ることなど許されるはずもなかった。そこで「開山王」としてひっそりと祀られていたという。
 ところが1875年、台湾統治を委ねられた沈葆は、「鄭成功は反逆者ではなく忠義の臣である」と清政府に訴えた。
 これまでの主張をひっくり返した上で、大々的な廟の整備を行ったのである。

 ちなみに、 台湾の「開山」がすべて鄭成功というわけではない。台南市の開基開山宮は保生大帝を祀る。開元寺の開山堂には、鄭成功も祀られている(開元寺は鄭成功の子、鄭経の別邸址)。また、同じく台南市にある大人廟の「大人」を鄭成功とする説も。
 これらは、秘密結社「天地会」との絡みで、さまざまに物語られる鄭成功である。


 沈葆は、牡丹社事件と日本軍の台湾侵略という事態の中で、台湾を護るために送られた人物である。
 具体的には、日本の軍に備えて西洋式の億載金城を造り(1876)、移民の禁令を完全に撤廃して、中国人による植民をすすめた。また、台南中心であった行政を、より日本に近い台北に移す方向性も定めた。
 鄭成功の再評価も、もちろん対日本という目的である。つまり、台湾で人気のあった鄭成功を政府公認とすることで、住民の反清感情を抑えようとしたのだ。


 なお、台湾初心者向けにその後について簡単に記しておこう。
 1895年に台湾の日本領有が確定すると、鄭成功は日本の血を引く者であり、日本軍の先駆者とされた。そこで閩南式の廟は日本神社建築に改められ、開山神社となった。
 台湾の神社は、基本的に日本の神を持ち込んだものだが、ほぼ唯一の在地神が鄭成功だった。

 ただし『台湾事情』などによれば、現地の子どもを台南神社(北白川宮を祀る)に連れて行く一方で、開山神社が重んじられていた様子はあまり読み取れない。公学校向けの教科書でも、台南で触れられるのは台南神社のみ。
 所詮は余所者という意識があったのではないか、とも思う。

 国民党政権下では、再び延平郡王祠となる。ただし建物は北京風。
 台湾に脱出した国民党にとって、大陸反攻を夢見た鄭成功は、党の先駆者という扱いになった。そこで現在のような社殿が建てられた。
 北京風なのは、中国の正統王朝の様式にならったもの。台北の旧城門のいくつかも、閩南風から北京風に改築された。故宮博物院など新規の建物も同様である。

 まぁ要するに鄭成功という人物は、時々の為政者に都合よく利用されて、現在に至っている。
 ポジティブに捉えれば、いろんな意味で境界線上の存在なのである。


延平郡王祠
開基開山宮
開元寺開山堂
大人廟と鄭成功伝承


 鄭成功を書くと長くなったので、ここで一区切り。
 初心者向けを意図しているので、当ブログの読者には分かりきったことも書いた。