2012/06/12

蓬壺書院址(赤嵌楼内)

蓬壺書院址(赤嵌楼内)
 赤嵌楼の外れにある蓬壺書院の門。以前に訪問した時は工事中だったが、リニューアルオープンしていた。
 あえて説明するほどの内容でもないけど、赤嵌楼再訪の記事が長くなったので分離。

 ちなみに、蓬壺書院とは清朝の時代(1880年)に造られた教育施設である。
 赤嵌楼の区域は、オランダや鄭氏政権の頃はともかく、清朝の支配下ではほとんど利用されていなかった。そんな空き地も、アヘン戦争などで東アジアがきな臭くなると、戦勝祈願で海神廟が造られたりする。学問の施設を造るのも、要するに富国強兵政策の一環だ。

 ともかく、日本でいうところの藩校みたいなもの(藩校も孔子を祀る)。ただし、まともに稼働した期間は20年にも満たないらしい。

蓬壺書院址(赤嵌楼内)
 狭い内部には、こんな感じのパネル展示がある。
 この写真の手前側が書院と思われる。ちなみに奥の文昌閣も、学問の神を祀る付随施設のようなもの。台南孔子廟にも文昌閣がある。

蓬壺書院址(赤嵌楼内)
 無理矢理な展示だ。狭いところに巨大なパネルなので、撮影も難しい。いやまぁ、撮影するほどの価値もないので、適当に済ませたのだが。

 ともかくこの書院は、日本統治時代には役目を終え、1906年の地震で壊れた。その後、赤嵌楼の発掘と再整備の過程で、書院部分は復元されずに消えたわけである(同時に消えたのが大士殿)。

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