延平郡王祠とは、これも道を挟んだ向い側。
八世紀に福建で生まれたという臨水夫人は、他の二姉妹とともに優れた霊能者であったそうな。二四歳の時に旱害が起きたので、雨乞いを行い成功。しかし自分の身は亡きものとなったと、諸ガイドの説明。
神格としては註生娘娘と同一の祖であったと見られるが、註生娘娘はどちらかといえば誕生後の成長を祈願する神で、こちらは子どもが授かるよう願う神である。
『台南歴史深度旅遊』によれば、乾隆帝の頃には移民によって廟が作られていたという。咸豊2年(1852)にきちんとした廟として整備された。そして1983年に現在の姿となった。
※2010.5再訪。その際の記事はこちら。
再訪に伴い、こちらの記事も修正。
正殿には臨水夫人と林紗娘、李三娘を祀る。この三名で「三仍夫人」と称するそうな。
女性の廟だけあって、門神も女性である。
というか、この場合は門神ではなく侍女と呼ぶべきか。
後殿である。
※以前の説明は意味不明なので書き改める。
主祭神はあくまで正殿にいる。ここの場合、後殿にもほぼ同じ組み合わせで祀られているが、それはここが祈祷の空間として作られているためであろう。
で、我々はここで行われていた何らかの祈祷を、しばらく見学した。写真の人は角笛を吹きながら踊る。そのうち、
いいものを見たなぁ、と感動する一方で、もうちょっと勉強してくるんだったと反省。
※いわゆる打城法事に似ているが、枉死城のようなものはなかったと思う。とりあえず、燃やしているのが紙銭ではなく神への疏文であることは間違いなさそうなので訂正しておく。
※乩童が向かっている神は土地公(福徳正神)である。頂土地公廟でも土地公と臨水夫人がともに祀られていた(主従は逆だが)。子どもを願う対象として、ポピュラーと言えるほどなのかは分からないが。
そういえば、古本屋で馮際罡なる人の著書『靈媒』を買った。ぱらぱらめくった限りではかなり面倒臭そうで、だからあえて買ってみたが、どんな本なのだろう。どうも著者はテレビ関係の人らしくて、ちょっとその辺は不安材料だ。
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