明の永暦23年(1669)開基という武廟は、通称が小関帝廟。その由来は既に書いたように、
大関帝廟(祀典武廟)に比べて小さい方という意味だ。
訪れた時は修復工事中で、あちこち覆われた状態だった。
とはいえ関帝廟。その霊験のほどは、この辺の街(米街)の別称が抽籤巷街だったことでも判る(街の名が、ここの占いがよく当たることに由来)。我々も一応は拝拝しておいた。
なお、この地は関帝港と呼ばれた内海の港口で、商売が盛んな土地だった。
正面から。
向かって右側は観世音菩薩、左は福徳正神となっている。武廟と観音の組み合わせも、祀典武廟と同様である。
関帝像は、ここも
大関帝廟(祀典武廟)も明らかに大きいのが特徴といえる。ずっしりと重量感溢れる姿でなければいけないのだろう。
『台南歴史深度旅遊』などによればこの関帝像は、鄭成功が台湾に渡る際にともに遷されたという伝承がある。鄭氏政権下では正式な廟ではなく、清代になって現在の姿となった。
清の台湾統治の一環として国家祭祀の枠に組み込まれた祀典武廟。対してこちらは商業の街の神として、小さいながらも信仰が盛んな点では引けを取らない廟である。
祀典武廟や大天后宮のすぐ近所なので(大天后宮からは徒歩1分)、あわせて拝拝するが吉でござるよ。
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