2010/05/08
和徳祠(台北・大稲埕)
牛肉麺を食べた後に、バスで移動した先は大稲埕。迪化街を含むエリアである。
ここではもちろん老街の建物写真をたくさん撮ったが、その辺は別に紹介するまでもなさそうだし、軽めに紹介する予定。まぁウチ基準の「軽め」だけどね。
最初の訪問は和徳祠。迪化街のやや南、甘谷街の路地のなかにある(なんとこんな路地もGoogleストリートビューで見れるゾ)。
旧暦5月6日にある霞海城隍廟の放軍では、五営というお旅所を巡行するのだが、ここはその一つ。東西南北中のうち西の方角で、劉将軍が兵をもって護っているらしい(だから「営」)。地図上では霞海城隍廟そのものが一番西にあるような気がするけど、まぁ当地の地理感覚ではどうか分からないので保留(五営の位置はそうとういびつだ)。
いちおう内陣。祭神はよく分からず。福徳正神と書かれている資料が目に付くが、主祭壇の神がそうであるか判断できない(福徳正神は向かって左に祀られている)。
先の祭礼との関係でいえば、劉将軍はたぶんいるのだろう。
なお、ここは日本統治時代の台湾独立運動家、羅福星ゆかりの地であるらしい。各地の客家と武装蜂起の計画を練るなかで、ここが連絡場所だったとか。抗日運動の中心地だった大稲埕らしいエピソードだ。
……と、抗された側の子孫が書くのもどうかと思うが、日本政府の植民地支配を批判的に捉えはしても、羅福星を英雄視する立場にもない。結局は第三者的に述べるしかないと思っている(今後も同様)。
こちらは福徳正神。真っ黒な像だが、いわゆる白髭老人スタイルである。
先月の某研究会では福徳正神(というか土地公)について話してしまったので、今回の旅では出来るだけ写真を撮っておいた。ちなみに台南でも白髭老人像は存在している(いずれ掲載する)。それでも古い土地公廟に、このタイプは見かけない。福徳正神はやはり中国化の産物なのかなぁ、と思った。
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