2010/05/09
霞海城隍廟(大稲埕・迪化街)
大稲埕の中心、霞海城隍廟である。この付近は霞城という地で、その地域の南の臨海門に建てたから霞海だという。
元々艋舺(萬華、今の龍山寺や祖師廟周辺)で同安人が祀っていた神を、この地に遷したのが1859年。大稲埕という地域の歴史も、ここから始まったわけである。
迪化街の市場の側から見ると、よほど目を凝らさないと廟宇だと分からない。
それでも拝拝する人は絶えない。今さらだが、台湾の廟宇を訪れるのは「観光客」じゃないのだ。
内陣(といっても城隍神が隠れてしまっている)。狭くて拝拝の人は多いので、基本的に撮影は遠慮した。まぁここの写真は余所でも見れるから必要ないだろう。
我らが愛してやまない謝将軍と范将軍も、もちろん鎮座なされていた。街中を歩く勇姿をお目にかかりたいものだなぁ(今年の祭礼は6月下旬の模様。もちろん行く予定はない)。
「海内会義勇諸公之禄位」。同安人の死者を祀ったものだという。
大稲埕に街を造った同安人は、元は艋舺(萬華)の祖師廟の東側に住んでいた。しかし西側に居住していた三邑人、祖師廟周辺の安渓人に追い出され、仕方なく移り住んだ荒れ地が大稲埕だったわけである。ここで祀られる死者は、その争いによって命を奪われた人々らしい。
同安人を追い出した艋舺は、やがて水深が浅くなって船が出入りできなくなり廃れた。代わってここが栄えたわけだから、なんとも皮肉なものだ。
※艋舺と大稲埕の因縁は有名な話で、別にわざわざ解説するほどのことではないが、一応は簡単に触れておいた。
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