四日目は台南観光の日。どんな無理な日程でも、やはり台南は外せない。
さすがに三度目の台南、しかも過去二回とも虱潰しに歩き回ったから、かなりのポイントはもうおさえられていたりする。しかし近くをかすりながら訪れていない箇所は少なからず存在するので、その辺を廻ろうという計画だ。
そして媽祖生誕期間なので、大天后宮は当然出掛けるぞ、という感じでスタート。
さぁ朝はまずサバヒーだ、と阿憨鹹粥へ向かう。すると何ということだ! 閉店だった(理由は不明)。
いきなり出だしでつまずいてガックリ来た我々であったが、近所に食い物屋は沢山あるので、気を取りなおす。で、お客が入っているのが見えたので(客がいる店はきっとうまいはずだ)、通りの向い側にある牛肉湯の店に入る。牛肉湯は何としても食べたかった。
日本人の客ということで、妙に歓待してもらった店の名は西羅殿牛肉湯。牛肉湯100元で、肉燥飯がオマケ(ただしここの肉燥飯は普通の豚のやつ)。
牛肉湯はショウガが効いていて、林家魚皮のスープに近いものがある。非常にうまい。サバヒーもいいが、この店も捨てがたいゾ。
すっかりご機嫌になって、総爺老街を歩く。土地公廟は例によってじっくりと観察した。頂土地公廟が思いのほか広かったことに、今さらのように気付く。そこにスタスタとやって来て、さっと拝んで去って行く人々がいる。台湾の信仰はすごいなぁ、とこれこそ今さらのように感心した。
無名豆花は定休日だったので、総爺老街から鴨母寮(光復)市場へ。
この市場は何度も歩いているが、今回は一つの目的があった。それは、ここで食事をすることである。
現地人ブログによると、ここに「骯髒麺」なるものがあるらしい。ちなみに「骯髒」とは不潔といった意味である。なんじゃそらって感じなのだが、食べている写真を見るとうまそうなのだ。
慎重に市場の中を徘徊して、ようやくそれらしい入口を見つけた。市場を歩いていると通り過ぎてしまうような小さな隙間の奥に、飲食スペースが広がっているのが見えた。写真撮影はダメらしく制止される。
ともあれ、他の客が頼んでいる麺を頼み、茹でたイカの切盤も薦められて食べる。なんとイカの方が高い(といっても50元)。
骯髒麺(これだけコッソリ写真に撮った)は、ラードの絞りかす、キャベツ、ネギが入ったシンプルな麺。しかしこれがびっくりするうまさ。麺はコシがあって、スープはあっさり目。お客でいっぱいなのもうなづける味だった。
ここでいったんホテルに帰還。市場で買った土芒果と蓮霧を冷蔵庫に入れる。土芒果はなんと、この旅で三度目である。安いし手でむけるし、これを食わずにおれようか。
少し休んで、再び出発。今度も歩きで、まずは観音街へ。大観音亭の門前町だった通りは、何かそういう面影があるのかと思ったが、何もなかった。お廟は興尊宮と全台呉姓大宗祠があるけれど。
台北を歩いた後に台南を歩くと、廟宇の密度が全然違うことを実感する。台南はどこの路地に潜り込んでも、ほぼ確実にノーマークの廟宇に出くわす。全台呉姓大宗祠は三級古蹟なので知っていたけど、興尊宮(王爺廟だった)は全く知らなかった。
次の目的地は萬福庵照牆。しかし、うっかりして地図をホテルに忘れてしまったため、この先の探訪はderorenのうろ覚えの記憶に頼ることになった。
で、いきなり道を間違えたら、そこに小南天土地公廟を発見。どこにあるのか知らなかった廟宇に遭遇したのだから、地図を忘れた甲斐があったというものだハッハッハ(一応これでも反省はしている)。
ここは寧靖王直筆の「小南天」扁額があったことで知られる。残念ながら嘉慶19年(1814)に扁額は掛け替えられ、以前のものは行方不明らしい。
どうやら潜る小道を間違えたようだ…ということで、今度は永福路手前の路地を潜る。そして無事に萬福庵照牆を見つけた。
萬福庵はもちろんれっきとした廟宇(観音を祀るが寺院という形態ではない)であるが、古蹟指定されているのは照牆だけ。明時代の遺構である。
道の向かいにある陳宅も、見応えのある住居だが、現役民家なので中には入れない。ともかく萬福庵の内部を見学。これがまたいかにも台湾の廟宇という感じの迷路のような構造だった(無理矢理隣の建物につなげているのが面白い)。
元の民族路に戻り、赤嵌楼の前をかすめて祀典武廟の前を通り過ぎて、大天后宮へ。祀典武廟そのものは何度も拝拝したので割愛したが、馬使爺の廟だけ拝んだ。さんざん前を通っていながら、実は一度も中に入ったことがなかったのだ。
※大天后宮からは後半に続く。中編にならないことを期待。
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