迪化街から霞海城隍廟正面の道を西に歩くと、西寧北路に出る。かつては運河だったこの通りを渡り、さらに西へ細い道を進めば、この交差点に辿り着く。
写真の正面の細い路地が貴徳街。清代末期に造られた当時は建昌街と呼ばれ、日本統治時代には港町であった。この通りは外国人が多く住み、台北の中でも異国情緒漂う地域だったらしい。そして、台湾独立運動の拠点でもあった。
左右に写る建物は、そんな時代の象徴である。左は港町文化講座旧蹟、右が李春生紀念教会だ。
李春生は廈門の商人で、やがて台湾の大稲埕に移り住み、茶葉の交易で富を築いた人物である。彼は敬虔な基督教徒であり、ここに立派な教会を建てたわけである(なお、台湾で「基督教」とはプロテスタントのみを指すので注意。カトリックは天主教だ)。
外国人商人と大稲埕の商人の間では、商習慣や宗教を巡って摩擦が絶えなかったと『台北歴史深度旅遊』にはある。李春生はその間にたって、円満解決に努めたという。
なお、李春生の店舗は迪化街の中心に今も偉容を見せている。聯華食品公司の店舗がそれである(写真中央のバロック建築)。
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