2010/05/23
迪化街の南街・中街(霞海城隍廟~帰綏街)
複数の日本人観光客を見かけた迪化街。一般的に観光客が歩くのは、北は帰綏街までのようだ。
上の写真は城隍廟のすぐ北側で、漢方の問屋が並ぶ南街エリア。以前に紹介した乾元行もここにある。狭い道の両側に背の高い建物が並ぶので、落ち着かない景色だった(人も多いし)。
こちらは民生西路から帰綏街の間の中街エリア。建築的には、ここが一番の見所となっている。
なお、このエリアはだいたい乾物中心なので、観光客にとっては蜜餞の類とからすみがメインと言える。我々が蜜餞を買った勝益食品公司もこのエリア。「からすみ」はどこも日本語で書いてある。
上二枚は、バロック式建築が並ぶ有名ポイント。左から「建發」が坤樹薬材公司、「東泰」は漢誠堂(鴻川行)、右は百勝堂である。
その少し先にある二軒続きは、日本統治時代の米屋だったという怡和泰。この三字を日本の漢字音で読めば「IWATAI」になる。イワタニに見えたのは私だけではあるまい。
改装中の建物。昔ながらの街並みと言いつつ、実はけっこう店の入れ替わりは激しいようだ。
今回の旅では『台北歴史深度旅遊』と、旅旅台北「迪化街ガイド」を参考としたが、この二つでもかなり違いがある。そして、新しい方の旅旅台北(2006年)から4年経った現在は、これまた変化が多い。
かつて台北の再開発計画として、この通りの拡幅が計画されたという。しかし、こういう「ちょっと古い」建築が再評価され、現在はこの通り自体が観光地として整備されつつある。店の入れ替わりも、この通りで商売することに魅力があるからだろう。
2010年5月時点では、そこら中が改修中の迪化街は、整備が終わるとどうなっているだろう。また新たな店が増えて、雰囲気が変わっているだろうか。
それにしても日本人が多いなぁ。
去年、台南の街ではただ歩いてるだけで「アナタ日本人でしょ」と呼び止められることがあった。その時はちょっと不思議だったけれど、この通りで我々は、見た瞬間に「あ、日本人だ」と見分けてしまうことが何度かあった。きっとそうに違いない、と思って聞き耳を立てたら、日本語が聞こえて来るわけだ。
からすみの冷蔵棚の前で「このために日本から来たんですよ」とか言ってる日本人も見かけた。そうか、本当にそんな人がいるのか、とある意味で感心した。
まぁともかく、言葉がしゃべれなくとも全く問題はなさそうだ。さすが台北だ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 コメント:
コメントを投稿