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2011/05/29

『台湾事情』を軽く読んでみた印象


 更新ペースが大幅に落ちている。旅をしていない上にtomopeeの世話が加わった我々は、相次いで風邪をひくというさらなる試練に直面した。現時点でderorenはどうにか復活、hashiもどうにか回復基調だけどね。
 病にもっとも弱そうなtomopeeは元気だ。今すぐにでも台南に連れていけ、という感じだぜ。仕方ないのでお茶の箱と記念写真だぜ。
※リアルな知人関係も見ているので、たまに現状報告をしている。一見さんは読み飛ばしてね。


 さて、先週のとある日のこと。某大で時間をつぶす用ができたので、図書館を漁ってみたら『台湾事情』が三冊所蔵されているのを発見した。
 『台湾事情』とは、台湾総督府が刊行していた報告書で、植民地経営の状況を記したものだ。図書館には昭和8年、11年、13年度の版が所蔵されていた。
 内容は言うまでもなく、経済に関するものが中心である。ウチは台湾の政治や経済を語るブログではないので、その辺は割愛するけれど、第七章「神社及宗教」と附録「主要都市及名所旧蹟」は興味深い内容だったので、ちょっと書いてみる。

 第七章は、一応体裁としては「第一節 神社」と「第二節 宗教」に区分される。国家神道を主張する当時の性格上、このように分けたのだろうが、第一節はページ数も少なく、内容も乏しい。あえて読む価値はない。日本の近代神道は元々薄っぺらいというのは禁句なので言わない(同じ日に折口信夫も読んだからねぇ…)。
 第二節でも、日本からやって来た宗教については、一様に読む価値がない。唯一面白いのは、日本仏教に関する次の一文である(どの年度も同文)。

明治二十二、三年の頃から各本山は経済上の困難から其の方針を一変し、布教費の支出を節減或は中止するに至つた為に、在台布教師は茲に已むなく独立自営の必要を生じ、為に其の伝道も何時しか内地人本位に傾き、且内地人の渡台者漸く増加するに伴ひ其の仏事法要を営むに忙殺せられて、終に全く本島人の布教を閑却するに至つた事は甚だ遺憾に堪へない所である。


 日本の各宗派は植民地で教団拡大を目論み、資金をつぎ込んだ。しかし思うように信者を増やせず、資金投入をやめてしまう。現地に取り残された格好の教団関係者は、とりあえず日本人相手の商売で生計を立てざるを得なくなったという。
 この状況が生じる必然を、同じ報告書の中で読むことができる。他でもない斎教の存在である。

 報告書では日本統治以前からの宗教として、儒教、道教、仏教、斎教の項目がたてられている。現地の信仰熱からすれば道教が少なすぎるが、これは道教を低俗なものとして抑えこもうとする方針に基づく意図的な編集だ。一方で仏教と斎教が分離され、後者の解説がかなりきちんとなされている。しかも、決してネガティブなものではない。
 即物的で迷信的な道教を蔑む立場からすれば、在家にもかかわらず戒律を守る斎教を、日本に存在しないからといって否定的に捉えることは難しいのだろう。
 しかしそれはそのまま、在家じゃないのに戒律を守らない、そんな日本の仏教各宗派に対する批判となる。浄土真宗なんて到底受け入れられるものではあるまい(親鸞個人の論理はともかく)。

※当ブログの斎教関係記事
・西華堂 (一) (二) (三) (四)
擇賢堂
擇賢堂と報恩堂

 在来仏教に関する項目では、台湾仏教が福建や広東と同様に禅宗+浄土教の混合形態であることなどが記される。そして、無学で社会的地位も低かったが、日本や中国に留学するなど変化しているとある。
 台南の開元寺の歴史において、駒澤大学への留学僧が大きな役割を果たしたことは知られている。一方でかつての黄檗寺は、仏教寺院だけど関帝を祀っていたというし、大観音亭や普済殿など、初期「仏教」がおよそ仏教寺院とは言い難い形で伝わっていたことも事実のようだ。日本輸入の宗派は根付かなかったものの、多少はポジティブな影響も与えていたのかなぁ、と読んだ。

※在来仏教
・開元寺 (一) (二) (三) (四) (五) (六) (七) (八) (九) (十) (十一) (十二) (十三)
法華寺(台南市)

・大観音亭 (一) (二) (三)
・普済殿 (一)
・萬福庵 照牆 (一) (二) (三)
・重慶寺(一) (二)
・台湾首廟天壇(黄檗寺関係) (三)
慈蔭亭


 さて、この報告書の面白いのは、日本統治以前の在来宗教について、「神仏又は祖先を祭祀する団体」「巫覡術士」という項目が立てられていることだ。どちらも台湾の信仰を今知る上でも、十分に役立つ内容だった。
 「神仏又は祖先を祭祀する団体」は、台湾の廟によくあるナントカ「会」の成り立ちを記した章。北港朝天宮の媽祖祭では、幾多のそういう団体を目にしていて、何となく想像はついていたけれど、これだけすっきり解説してもらえるとありがたい。
 何らかの理由で(職業とか同郷とか)同じ神を奉じる人たちが、特定の廟に属さない信仰組織を作るのを「神明会」と呼ぶとある。日本でいうところの「講」に近いと思われる。
 謝将軍や笵将軍といった神像を、こうした「会」が共同所有することも、昔からあったらしい。

 「巫覡術士」の項は必読。というか、この辺の項目は明らかに専門家の執筆だ。正直、一般人は読んでも理解できないのではなかろうか。最低でも巫覡を「ふげき」と読める人向けだな(ちなみにderorenは諸事情により読めるゾ)。
 巫覡については法師・符法師・童乩(乩童)・尫姨に分けて解説される。神懸かり関係の者で、法師と符法師はまぁキョンシーのイメージで考えれば良い(全くの一般人向け説明)。ただし符法師は法師より低級という位置づけで、より個人祈祷にシフトした存在とある。日本の民間宗教者の知識があれば、ああなるほどという感じの説明だ。
 童乩(乩童)と尫姨はより神懸かりに軸足をおいた存在。尫姨は女性限定で、死者語りをするそうな。イタコだね。

 術士については地理師・看日師・算命師・相命師・卜卦師に分類される。地理師はいわゆる風水の人。ただしここでの説明によれば、実際の職能はほとんどが墓地の選定であり、迷信を広めて金儲けしていると酷評されている。
 他はまぁ占いだ。日本の観光客も金払って無駄話を聞かされに行くよね。


 ともかく、観光客が読むような本ではない。そもそも台湾未体験者にはイメージし辛いし、一部は専門的過ぎる。さらにいえば、植民地統治に有益かどうかという視点で書かれていることや、当時の人類学的偏見がみえる点からすれば、安易に読んでほしくないというのが本音である。
 植民地というのは「本国のレベルに達しない未開の地」である。そういう差別意識を読み取れないような鈍感な人間には、とりわけ読んでほしくないものだ。

2011/05/18

台南食べ歩き観光客は必読。『24hrs 吃在台南』

。『24hrs 吃在台南』
 三冊の台南ガイド本を紹介するシリーズ、いよいよ最終回だ。tomopeeは右手をバタバタ動かすので、頬にすり傷がついている。相変わらず、本には全く関心がないゾ。でも将来は、これぐらいの本ならスイスイ読めるようになるはずだゾ(ああ親バカだ)。

 Darkbringer『24hrs 吃在台南』(晴天出版社2011.1)は、眠らない街台南の小吃を、それぞれの営業時間で並べたガイドである。もちろん牛肉湯から始まっている(最後の数軒は24時間営業だけど)。
 例によって通販の方法はこちら

 サブタイトルに「台南人的隱藏版美食地圖」とあるように、一般的ガイドブックに載らない店が多いのも特徴。我々が訪問した店は阿堂鹹粥無名豆花、そして振發茶行(リンク先は初回訪問時の記事)しかない。まぁ機会がないだけで知ってる店は、松仔脚など他にも数店あるけどね。
 前回取り上げた黄小黛『散歩阮台南』よりもさらに文字は多め。ただしそれぞれの店や料理について、丁寧に説明されている。時間をかけてでも読む価値はある。

 著者Darkbringer氏は「某外商公司技術經理」と名乗る台南人である。ハンドルネームのまま出版するというのが、いかにも今どきだなぁと思わなくもない。しかし内容を読むと、薄っぺらいブログモドキの文章ではなく、そこそこの教養に裏打ちされたものだ。あまり若くなさそうだ。
 海安路が芸術街になったきっかけは、かつての市長による乱開発だったとか、そういう歴史を軽くおさえておける点は良い。神農街を語るのに先斗町を出してきたりとか、京都に住む者にとってもなかなか興味深い部分がある。
 著者のブログの2011.5.17時点のトップ記事が福島原発だったりするのもね。

 お気楽な小吃の旅だって、台南が背負った歴史を知っていた方が断然楽しい。老店は古さを演出しているのではなく、本当に古いのだ。そういう深みに触れるガイドブックとして、derorenはこの本を推薦する。
 台南人にしか書けないガイドブック、そこに価値があると思う。



※D氏の福島原発記事の絡みで、いろいろ書いた内容もあるのだが破棄。ウチは安っぽく政治を語るブログではなく、台南観光ブログだ。その辺の一線は越えないでおきたい。

2011/05/16

台南出身者によるガイドブック 黄小黛『散歩阮台南』

『散歩阮台南』
 tomopeeはちょっとご機嫌だ。残念ながら、隣の本を読んだからではないけどね。将来は華語を自在に操れるようになってくれ。

 2011年5月に出版されたばかりの黃小黛『散步阮台南』(上旗文化)は文字多めで、観光ガイドとエッセイの中間的な書物だ。従って、前回取り上げた『in hand 台南』よりもハードルは高い。台南ガイドの一冊目なら、『in hand 台南』を薦める。
 著者は台南出身の台北在住で、そこそこ有名なブロガー(ここ)らしい。すっかり変わってしまった生まれ故郷を訪ねながら、新旧が融合する現代の台南を語ろうという感じの内容のようだ(例によって通販の方法はこちら)。

 いささか醒めた言い方になるが、derorenは黄氏の個人的感傷にはあまり関心がない。deroren自身も故郷を離れて長いので、たまの帰省では似たような感覚を抱くけれど、それを口外するのはとても白々しく思える。所詮は逃げ出した者の戯言に過ぎないではないか、と。
 まぁそう言い切ってしまうと、感傷に浸りたくて旅に出る人すべてをバカにするようなものだけどね。
 ただ、題字を振發茶行の厳じいさんに書いてもらったり、どうにもあざとい体裁なのだよ。「古くて新しい街」台南で商売するぞって臭いが強すぎて、素直に推薦できない。ガイドブックは商売なのだから、言っても始まらないことだが…。

 余計な話はさておき、内容は老店を中心とした台南のお店の紹介と、いくつかの寺廟の話。寺廟の選び方は悪くないと思う(開隆宮など)。小吃の店も、一般的ガイドに載る店を避けて選んである(もちろん全く無名の店ではない)。
 お茶の店が奉茶雙全紅茶振發茶行というのは狙いすぎじゃないかと思うけど、これらの店を知らない人は、買って読んでも良いかもしれない。

 日本における読み物風台南ガイドといえば、渡辺満里奈『満里奈の旅ぶくれ―たわわ台湾―』 がある。そういう系統の本だと思えばいい。ただ、日本の旅行者が書くようなエッセイよりは、こちらの方がまだ深みはある。
 満里奈本は、台湾の新たな価値を日本国内で広めて観光客を増やすという、当時の観光局の施策が反映されていただろう(そうでしょ?、ゴーストライターさん)。対してこの本は、台湾人意識の高まりに伴う老街、老店ブームを背景とする。だからある程度の台湾文化史が必要とされる。
 その意味で、この本が伝えようとする空気は、台南未訪問者には理解しにくいかも知れない。「食尚玩家 台南玩味」辺りと一緒に読むといいのではないか…と思ったが、品切れのようだ。残念。


 余談だが、黄氏の感覚で面白かったのは、最近の地名変更(台南公園や湯徳章紀念公園など)も「台南の変化」と捉えていることだ。
 余所者のderorenにとっては、国民党が自分たちの偶像崇拝に合わせて名前を変えた場所が、多少はまともな名前に変わったという印象しかない(湯徳章はニュートラルとは言いがたいけど)。しかし国民党政権世代にとっては、どこもかしこもそれ系の名前で埋め尽くされた街が「幼い日の記憶」であるわけだ。
 考えてみれば当たり前の話だけどね。


※もう一冊紹介するぞ。derorenの親バカぶりにも呆れてくれ。

2011/05/15

台南ガイドブックの定番が新しくなったぞ(上旗文化『in hand 台南』)

上旗文化『in hand 台南』
 当ブログが推薦する台南ガイドブックといえば、上旗文化から出ている『in hand 台南』である。我々は2007年出版のもので旅をしたのだが、2010年12月に新版が刊行された
 はっきり言って、我々は現在進行形で(遂に顔出しとなった)tomopeeの世話におわれている。従って台南に出掛ける予定は立っていないけど、なんだか悔しいので通販で買ったぞ(例によって通販の方法はこちら)。

 なお、内容は何も変わっていないから、旧版をお持ちの人は買わなくて良いぞ(正確には、ホテル関係のページだけ変わったようだ)。
 元々このガイドブックは、台南に至る交通のデータが全く充実していない。従って、高鐵開業、さらに2011年1月の連絡線開業も、全く影響なし(連絡線のれの字もないゾ)。台南にどうやって行くかは、他で当たるが吉だ(高鐵台南駅から連絡線に乗るだけだ)。

 このガイドブックは、主要な寺廟と小吃店を組み合わせながら歩き回る旅行に向いている。いい加減な地図が多い台湾ガイドブックの中では、比較的正確な地図だし、小吃店も有名どころはだいたいおさえられている。
 台南初心者は、書かれた地点を巡るだけで十分楽しめるはず。初心者じゃない人は、当ブログや他ガイド、現地人ブログなどを補助として使っておくれやす。

 日本の旅行者がこの本を買う上でもっとも躊躇する点は、日本語で書かれていないことだろう。しかし心配しなくとも、台湾の漢字はある程度は意味がとれる。
 それに、この本に載ってる名所の多くは当ブログで紹介しているので、照らし合わせれば大丈夫でござるよ(書いてて気恥ずかしいのは気のせいだろうか)。
 そんなわけで、現地書店か博客來の通販で入手して(通販だと約1000円)、台南へ旅に出ようぜ! まだ乳児湿疹が残ってるtomopeeも、そのうち行くぜ!


 なお、台南のガイド本を他に二冊買っている。それらも順次紹介予定。
 恐るべきことに今回買った三冊は、すべて振發茶行が登場しているぞ。あの小さな店に客が殺到したら大変だ(一組ずつしか対応できないのだ)。

2011/05/05

陳蓬源「古都臺南の床しさ」を読む

 最近の近代文学研究では、植民地文学と呼ばれるような分野が注目を集めている。
 従軍作家の小説や随筆なんてのは、研究対象とするに足らないとか、そもそもそんなものに注目すべきではないという考え方もある。とはいえ、何も調べなければ思考停止、そして行き着くところは全肯定か全否定のどちらかでしかない。
 台湾人が日本語で書いた作品も、そういう意味で研究される価値はあろう。『日本統治期台湾文学集成』として公刊されたものを読むと、いろいろ考えさせられる。

 なお台湾に関しては、日本統治時期を安易に肯定しようというムードがあったりする。しかし、derorenは少なくともそういう立場ではない。台湾の寺廟を巡り、民間信仰に触れる以上、植民地時代はどう言い訳しようと暗黒時代なのだ。
 もっとも、暗黒時代を招いた理由が、日本の神仏信仰の強制にすべて帰着するかといえば、そうでもない。
 東アジアの近代は、キリスト教を基盤とする価値観の襲来によって、従来の信仰が「土俗」と蔑まれる時代である。現に日本統治以前から、台湾にはカトリックもプロテスタントも入り込んでいる。当然、そこでは民間信仰を「未開」習俗として排除しようとしただろう。
 また、台湾に滞在した日本人学者の書いたものをポツポツ読んでいると、そこに人類学的偏見がみえる。文化人類学以前の人類学は、西洋のキリスト教的世界をもっとも進歩的なものとみなした上で、「未開」を調査していた。そうした偏見は、台湾の「近代化」が信仰破壊を伴う理論的根拠であったはずだ(台湾総督府が民俗調査に力を入れたことは周知の通り)。それは支配者が誰であっても、1900年前後の台湾が通過せざるを得なかったイニシエーションだろう。
 ただ、日本でなくともやっただろうが、日本がやったのだ。その点を肯定する必要はない。


 さて、枕が長くなってしまった。陳蓬源「古都臺南の床しさ」は、『日本統治期台湾文学集成』16巻に収められた随筆集『雨窓墨滴』の一部である。
 陳蓬源(陳逢源)は台南生まれで、日本統治時代の台湾では台湾文化協会のメンバーとして、議会設置運動などを行った人物である。随筆中でも、台北の大稲埕と台南の景色を比べたりしている(大稲埕は港町文化講座のあった、台湾文化協会の拠点)。
 陳氏は国民党政権下では実業家に転身して、成功をおさめている。台湾文化協会メンバーなんて、国民党にとっては抹殺すべき敵でしかないわけだが、その中で生き抜いたのだから相当にしたたかな人間だったのだろう。

 したたかという点では、「古都臺南の床しさ」が日本人という立場で書かれているあたりも、なかなかである。出版が昭和17年(1942)という戦時下なので、そのように書くしかないのだろうが、日本人の立場をとりつつ、日本人とは異なる視点である。
 この随筆は「古都」とあるように、台南の古さを讃える内容だ。そしてそこでは赤嵌楼を中心に、孔子廟開元寺関帝廟(祀典武廟)天后宮(祀典大天后宮)呉園などが挙げられる。これは現代台湾における評価と一致していて、当時の植民地政府の認識とは明らかに異なっている(台南神社を無視していることからも明らかだ)。
 そもそも「古都」とは、オランダ、鄭氏政権、清代、日本時代という時の流れであることを、陳氏は明確に語っている。それは「台湾」の歴史であり、日本や国民党が教える歴史ではない。
 生まれ故郷を懐かしむ随筆でありつつ、読者にしっかり台湾人意識を植え付ける。只者ではない巧妙な仕掛けである。

赤嵌楼
 文字ばっかりなので讃えられる景色を載せておこう。赤嵌楼は、台湾伝統の赤瓦建築という点でも評価されている。

呉園
 呉園は都会の中心にありながら、文人墨客の楽しむ景色である。いやまぁ、今となっては高層ビルに囲まれてガッカリな景色だけどね。


 まぁそんな深読みはさておき、陳氏の主張する台南の魅力は、大きく二つある。一つは伝統ある景色が現代に伝えられていること。もう一つは、緑が多いことだ。
 台南の緑については、日本統治後の緑化政策にも肯定的である。とりわけ鳳凰木(ホウオウボク)の並木の美しさを讃えており、もっと詩的な名前はないかと調べて馬纓花と名づけている(随筆中には彼の詩が紹介される)。
 日本統治時期を全否定も全肯定もせず、台南が通過した歴史の一部として捉える視点は、もっと評価されてもいいのではなかろうか。

 ともあれ、1940年代にようやくこのレベルに達した台湾人意識は、国民党政権下で再び全否定され、再び陽の目を見るのが1980年代である。
 非常にのどかな随筆を読んでも、苦難の日々を考えざるを得ない。その辺を知って旅をすれば、よりディープな台南を辿れるのではないかと思う。台南観光のブログだから、あえてこのようにしめておこう。