2010/09/14
祀典大天后宮(四) いつもと違う媽祖廟にて
2010年5月4日の大天后宮。明後日が誕生日ということで、三川門の前にはたくさんの花が飾り付けられている。
門は全体が安っぽいベニヤ板で装飾されていて、どうにも冴えない感じかも知れない。しかし夜になればライトアップされる。ライトアップされると、そこにベニヤが介在しようとあまり気にならないものである。
日本の寺社の門にベニヤでも何でも、被せないのはなぜなのだろう。また、いつからの発想なのだろう。
その昔(というか最近だが)、清水寺の塔を塗り直そうとしたら、反対の声が上がったという。元々極彩色で建てられたのに、手入れが悪くて色があせたら、それが日本の特色だとか言い出す人が出てくる。
たとえば廃墟マニアなんて人もいるけれど、別にその人たちは「地球はすべて廃墟になるべきだ」と思っているわけではないだろう。極彩色が剥落した姿も一種の廃墟である。そこに魅力を感じることは不思議ではないが、廃墟から脱する動きを認めないのはおかしい。
旅先で酔っているので話がずれてしまったが、要するに神社の鳥居も電飾つけて目立つようにしたらいいじゃん、という話………ではなく、安っぽい飾りに見えようが、それが当事者の宗教的論理に沿っているなら構わないでしょ、と言いたかっただけでござるよ。
三川門。とにかく花がいっぱいなのは、やはり女性神だからなのかと思いたくなる。今回は媽祖と註生娘娘関係だったから余計そうなのだ……が、考えてみれば昨夏の文昌帝君の時も花だらけだった。
中ではちょうど読経が行なわれていた。テレビで「ちょうど……が」というのはヤラセだが、我々の記事にヤラセはない。もっとも、この日にそれらしい行事があるという情報はつかんでいたので、そもそも偶発性を装う必要はないのも事実である。
まぁいずれにせよ時間までは知らなかったから、読経しててラッキー、という気分であった。
遠くに媽祖像たちを見る。
手前の読経僧たちは、低い位置の拝殿にいる。対して、媽祖に線香を献げて拝拝してる人たちは、遙かに高い位置にいるのが分かるだろう。台南の中心部はこんな感じで、赤嵌楼や祀典武廟や萬福庵などが高台に存在する。
伴奏付きの読経は、なかなか心地よい響きである。観光客が聞いても、きっと退屈はしないはずだ(日本の寺院の読経も、大人数だと迫力があって楽しいよね)。
そんなわけで媽祖たち。大勢に讃えられて機嫌良さそうに見えるかどうかは人それぞれだ。
読経の一団は、まずここで誦んだ後に、境内の何ヶ所かを巡ることになる。我々は一部それらを先回りしつつ見学を続けた。次の記事では、もう少し違った角度から紹介するので、例によって刮目して待ってください。
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