2010/09/01
下土地公廟(総禄境廟)も内陣を見学
頂土地公廟と対をなす下土地公廟。
その位置は変わっているらしく、元々あった場所にこんな看板が立っている。石碑には、民国72年に道路の拡幅に伴って移転したと書かれてある。
現在の下土地公廟。同じ通りに面しているし、実際にはたいして離れていない。そして現在地も非常に狭い。
※初回訪問時の記事はこちら。ほとんど内容はないので、無理に読む必要はないでごわす。
従って内陣もぎゅうぎゅうに詰まっていて、正面から土地公を拝もうとすると、外側から遠くを拝拝するしかない。
こうやって左右の端から覗き込まないと、近くで見ることもできない。
ともあれ主祭神の土地公だ。白髪ではないよ。
手前にある二つの像は特徴的な姿をしている。
右の厳しい顔の像は、たぶん判官ではないかと思われる。その左の手に何かを持った神はよく分からない。
反対側にも同様におられる。
こっちの方がさらに厳つい顔だ。土地公から見て右側が武判官だから、この像もやはりそうではなかろうか。
それにしても驚かされるのは、正殿の左右の神々である。
我々から見て右側のこの神々は、もちろん土地公だ。つまり中央に土地公、脇にも土地公。そしてこちらは白髪である。にこやかな顔ではないけどね。
反対側も土地公。
結局、主祭神手前の判官らしき神以外、みんな土地公だ。なかなかありそうでない廟だ。
なお、写真の土地公神は開隆宮の奉仕によるとある。中央の祭壇には萬福庵の名前があった。いずれも市内の離れた地にある宮だ(両方とも今回の旅で訪問した)。
別の宮が奉仕するというのが、どういう形態なのかは不明。土地公信仰は思った以上に難しいもののようだ。
その開隆宮側の祭壇には、刀と蛇が飾られていた。これも良く分からないが、日本の信仰の認識でいえば、いわゆる俗に言うシンボルだよね。そういう目で見ると、刀の柄もそう見えてくるぞ。
開隆宮は子どもの神様だし、有り得る話かとは思うが、実際はどうなんだろう。
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