2010/07/11

北港朝天宮(一) 中庭と正殿

北港朝天宮
 ひとまず北港朝天宮のあらましを紹介してみる。(三)まで連続するのでよろしく。

 で、写真は三川殿をくぐった中庭からのもの。手前の低い屋根が拝殿で、奥に聳えるのが正殿。左奥の低い建物は聚奎閣である(聚奎閣については次の記事で触れる)。
 媽祖が祀られる正殿は、1965年に改築されたコンクリート造り。

北港朝天宮
 もう一枚。
 媽祖信仰はある意味では国民党時代の新興宗教だから、高さによって威を誇るなんてこともあったのだろう。鉄筋コンクリートで限界が打ち破られたのだし、やがては台北101を超える媽祖廟が出現するのかも知れない(するわけない)。

北港朝天宮
 中庭を横から見た図。向こう(神から見て左側)の高い部分は鐘楼だ。右側にも同様のものがあって、そちらは鼓楼となっている。澎湖諸島から謝自南という人を招いて1972年に建てたと、『台湾廟宇図鑑』に書かれている。

 中庭は祭儀の行われる場所なので、今後もしばしば登場することになる。とにかく狭い。元々は1700年(康煕39年)に、臨済宗の樹璧という僧が、福建湄州の朝天閣の媽祖を祀ったという起源が伝えられるが、当時はほんの小さな廟に過ぎなかったらしい。
 18世紀のうちには改築が始まり、以後は肥大化の一途を辿ったとはいえ、そもそも敷地が狭いので、鹿耳門天后宮土城聖母廟のようにはいかない。
 結局、北港朝天宮では周辺の土地に高層ビルを建てたりして、スペースを確保している。しかし祭儀をそっちでやるわけにはいかないので、農暦3月23日の朝も、一大イベントのわりにはこじんまりとした光景だった。

北港朝天宮
 最後に正殿の中央部。祭の期間はこういう姿を拝める機会がほとんどない(媽祖自身が練り歩く上に、常に進香の媽祖像がやって来る)。
 これは農暦3月23日朝の祭儀の時に撮影した。さすがにこの時だけは勢揃いしているのだ。

 中央奥の巨大な媽祖が鎮殿媽祖。一体だけ手前に鎮座するのが湄州開山媽祖。他に30体ほどの媽祖が鎮座する。
 
 (二)では媽祖以外の祭神について紹介する。ワールドカップの決勝の日だけど、チャンネルはそのまま!

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