2010/07/08
大龍峒保安宮(一) 概観
大龍峒の中心に建つ保安宮。大龍峒はかつて大琅泵と呼ばれていたので、大琅泵宮の別名もある。また、祭神の名によって大道公廟とも呼ばれる。
……といった説明は、現地で立派なパンフレットがもらえるから、それを読めば良い。非常に詳しい日本語の解説もある。
ただ、そのパンフにも書かれている「保安宮」の由来については一言書いておきたい。というのは、台南の保安宮とここの保安宮がしばしば混同されるからだ(祭神は全く違う)。
「保安」とは、保生大帝の名に拠るのではなく、この神を奉じた泉州の同「安」人を「保」護するという意味だとパンフにはある。どこの廟でも対象が同安人かどうかはともかく、同じ名前だからといって同じ神を祀るわけではない。
※台南の保安宮については、当ブログに記事を書いてあるが、ちょっと内容に不満があるのでリンクは張らないでおく。2010.5の旅で訪問した内容を元に、あらためて記事を書く予定。
前殿。現在のような伽藍配置は日本時代の1917年に改築された結果らしい。
正殿。保生大帝を祀る。
ちなみに、台南でこの神を祀るのは興済宮である。
台南の絵師、潘麗水の壁画もある。これは虎牢関の戦いだ。主従の関係からすれば劉備を中心にすべきではないかと思うが、やはり中央は関羽。張飛は黒くて目立たず、左端の劉備は腰がひけ気味に見える。
気になるのは呂布の馬が赤くないことか。赤兎馬は関帝廟に祀られているから、物語通りとはいえ関羽の敵が乗っていてはまずいのかねぇ……などと適当なことばかり書いてしまった。単なる『三國志演義』マニアの戯言でござる。
道路を挟んだ向こう側の広場では、こんな舞台が組まれていた。「海峡両岸保生文化祭」とある以上、間違いなく両岸問題に関わるのだろうが、我々は準備風景を見ただけなのでコメントは差し控えておく。
そんなわけで後半は、この日に行われていた祭礼について。
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