2010/10/16

六合境清水寺(二) 流れ着いた観音菩薩

清水寺
 六合境という地にある清水寺。
 今では全く目立たないが、台南市が設置した案内板によれば、台南五古刹の一つという説もあるらしい。開元寺法華寺が格上で、弥陀寺と竹渓寺は同格だそうな。
 日本統治時代には青年路を清水町(きよみずちょう)と呼んでいた歴史もある。まぁ文字はともかく、キヨミズという発音は浅はかだと思うけどさ。

清水寺
 修復中につき、仮本堂が置かれている。元々ここも清水寺の施設なのだろう。
 右上にわずかに本堂が見えている。塗り直されたばかりのようだ。余所で修復前の写真を見ると、かなり地味な印象だったけれど、ヴェールを脱いだ時にはど派手な寺に化けそうだ。

清水寺
 ここは清水祖師と観音仏祖を祀る。清の康煕年間の創建というので、台北の祖師廟(艋舺清水巖)よりも古い。ちなみに京都の清水寺は観音を祀るわけだが、別に関連はない。
 そもそも清水寺の名の由来となった清水祖師は、台北の祖師廟に祀られていた神と同じく、安渓人の祀ったものだ。
 清水祖師は雨乞いなどの霊験のあった人のようで、一応は仏教修行者である。とはいえ、台北方面の祖師廟は、あまり仏教寺院という感じではない。もちろんここもそうで、だから観音の存在が問題となる。

清水寺
 恐らくは中央の後ろの像が観音で、その前でフードを被っているのが清水祖師だろう。

 寺伝によれば乾隆35年(1770)の大雨の際、台南府城の東安坊に流れ着いた木を拾い、観音像を彫ったという。まるで日本の善光寺みたいな話である。
 流木に聖性を認めて、神仏として祀る例は多い。その場合に問題なのは、異界から流れ着いた木を「神木」として発見したのが誰なのか、という点である。善光寺の本田善光のような存在について、台南市の案内板は何も記していない(「里民」とだけある)。
 いずれにせよ「水流観音」として祀られるきっかけは、そんな18世紀の奇瑞にあったわけだ。秦河勝(大避明神)みたいに祟って現れた、なんて伝承はないものだろうか。



※秦河勝は聖徳太子を庇護し、京都の広隆寺を建てた豪族として知られるが、後には芸能の神とされた。
 世阿弥『風姿花伝』や金春禅竹『明宿集』によれば、兵庫県の坂越の浜に彼の頭蓋骨が流れ着き、人々に祟ったため、大いに避ける(裂ける)神として祀られたという。広隆寺のそばにも神社が建てられ、現在は大酒神社として残っているゾ。
 なお、大酒神社のそばにかつて池があったのだが(現在もなぜか道路が陸橋になっているのはその名残り)、池の中の島には河勝の頭蓋骨が埋まっているという伝承があったのだ。
 実際に発掘調査をしたら、経筒が見つかったそうな。

 以上は台湾とは関係ないけど、話のついでに。
 善光寺の話は有名だし、お寺のホームページにも書いてあるのでそっちを読んでおくれやす。

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