総趕宮は現在工事中。なので神々は雙全紅茶の前のスペースに仮安置されている。
本来の場所にあった方がいいに決まってるけど、台湾ではこれぐらいのお堂は珍しくもないので、違和感は特になかった。
主祭神の倪聖公(総趕爺)。
この神の素性はよく分からないらしい。確実なのは、船乗りが信仰する神ということ。
『台湾民間信仰神明大図鑑』によれば、陳元光(開漳聖王として祀られる唐代の人)に従った四人の将軍の一人で、輔義将軍の倪聖芬であったという説があるそうな。まぁしかし、これは名前があまりにストレートだし、土地公の張福徳と同様の新しい説ではなかろうか。
また、鄭成功に従った輔義将軍の倪総趕なる人物だという説もあるという(さらに、元は李姓だったが、没後に間違って倪と伝えられたとも)。こちらは、この宮が当初は「総趕」宮と呼ばれていなかったわけだし、やはり古い説とは思われない。
台湾の神の伝承には、人間時代の話が付加されることが多いけれど、それがどこまで遡れるのかなぁ、という疑問はある。
正直言えば、国民党時代になってから作り出された起源ではないかと思うのだが。
こちらも倪聖公(総趕爺)と思われる。大きな像が二つ並び、手前にも小さな像がある。
左右にはどこかで見たような顔が立つ。
どう見ても謝将軍だが、襷には廬清爺とある。強いていえばベロが出ていないけどね……。
藤波辰巳なら「お前
実は総趕爺は、しばしば王爺の一人みたいに扱われたらしい。王爺も船乗りの神だから、共通するのは確かで、そのために謝将軍と范将軍(王爺廟では左右に立つ)みたいな神が並ぶようになったとすれば不思議ではない。
今にして思えば、西羅殿の二人も謝将軍と范将軍のヴァリアントだったんだなぁ(※西羅殿はあくまで謝将軍と范将軍だが、造型が似ている)。
という感じの総趕宮。何にせよ、今となっては台湾唯一といっていい神を祀っているので、マニアは訪れるべき地だ(どこにマニアがいるかは不明)。
まぁ実際のところ、観光客がここを訪れるとすれば、雙全紅茶、あるいは宮の前の広場にある有名な小吃店に用があったついでだろう。今回の我々はその小吃店で食べてはいないのだが、広場の写真を載せるついでに軽く紹介する予定だ。
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