2010/06/26

艋舺地蔵王廟(台北・萬華)再訪

艋舺地蔵王廟(台北・萬華)
 一応「再訪」となる地蔵王廟。ただし去年の訪問時は、我々に台湾の寺廟に関する知識がなかったので、ただ覗いただけで終わっている。
 隣の国の信仰を知るすべは、驚くほど少ない。

 まぁそもそも、日本国内で日本の民間信仰の論理を知ることだって、決して簡単ではない。ただし、残念ながら日本の寺社を巡る際に、そういう論理を知らなければならない局面はあまりない。阿弥陀浄土を具現化した地を訪問しながら、自分が積んだ徳について真剣に考える観光客なんていないでしょ?

 対して台湾の寺廟は、基本的に観光する場所ではない。かといって、世俗と切り離して考えることもできない。
 とりあえず一年経って分かったのは、薄っぺらい「日本人的視点」はさっさと捨てるべきだ、ということ。「皇帝」のいる世界ってこういうものなのか、とリアルに感じるだけでも、得がたい経験だ(逆に言えば、日本の天皇はちっとも「皇帝」じゃないと知ることにもなる)。

艋舺地蔵王廟(台北・萬華)
 枕が長くなってしまった。外観写真がどうにも魅力に乏しいので、余計な話になってしまう。
 ともあれ内部の写真を載せる。本尊の左右に時計が組み込まれているのが面白い。何か信仰的な意味があるのかな、と思われるが、手持ちのガイド類に説明はない。

艋舺地蔵王廟(台北・萬華)
 地獄からの使者(古くて申し訳ない)、地蔵菩薩である。
 日本ではなぜか地蔵というと穏やかな仏(もしくはサッカー場で動かない客)となっている。あれはどういう経緯で作られたイメージなのだろう? 少なくとも京都に通じる境界に作られた「六地蔵」は、そんな穏やかなものではなかった。
 境界に祀る神に求められるのは、要らざるものを内部に侵入させない力である。逢坂の手前の四宮なんて、相当におどろおどろしいぞ。

 またまた余談になってしまった。
 この地蔵王廟は、どうやら艋舺で疫病が流行ったことと関連して祀られたらしい。疫病による死者たちを救うことが、地蔵に課せられた使命ということになろう。

艋舺地蔵王廟(台北・萬華)
艋舺地蔵王廟(台北・萬華)
 で、なぜか謝さんと范さんがいる。実は地蔵菩薩の脇に城隍爺も祀られている(反対側には田都元帥も)。これらの神々は、廃絶した近隣の廟から遷されたものらしい。
 地蔵王廟自体も日本時代に廃絶しかけたのを、龍山寺の傘下に入ることで免れたという。その代わり、本来は独立した寺廟だったのに、龍山寺に隷属する関係になってしまった。

 さて、去年の訪問時は地蔵王廟の一部かと思っていたが、ここにはもう一つの廟があった。そちらは次の記事で。

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