2012/03/24
台南民族路教会と禾寮港址
今回の台南旅行では、台南在住の方々にお世話になった。なかでも狂戀府城の管理人である狐狸(Sly Fox)氏には、乳児旅の心配まであれこれしていただいた。無理矢理な旅が恙なく終えられたのは、とても親切で、とてもtomopeeを可愛がってくださった、皆さんのおかげである。感謝。
さて、ここはそのFox氏に案内していただいた場所の一つ。tomopeeが小さく映り込んでいるのは、合成ではない。彼が台南で最初に訪れた古蹟として、その歴史に刻まれる予定である(ツッコミ無用で)。
この教会は民族路と中成路の交差点に建ち、現在は民族路教会(台南中會民族路教會)と呼ばれ、台湾基督長老教会(プロテスタント系)に属している。
しかし1902年の創立当初、ここは日本基督教会であったという。
建物は新しい。
現地の掲示、また長老教会ホームページによると、台南では太平境教会に次いで建てられた日本基督教の教会で、その設立には鳥居萬之助という日本人の助力があったという。
その後、敗戦によって日本人が去ると、台湾人のための教会に変わった。
その教会と、中成路を挟んだ向い側に、ひっそりと石碑が建っている。「禾寮港遺址」と刻まれていた。
禾寮港という港の存在は、知らないわけではなかった。が、それがこんな奥まった場所にあり、しかも中成路という通り自体も、港を形成する川の址(暗渠)であるという。
中成路は、成功路の北側で不自然にカーブし、裕民路34巷として鴨母寮市場の裏手にのびている通りである。その不自然なカーブの辺りは、いつも市場からホテルに戻る際に歩いていて、なぜここにこんな道が必要なのか疑問だった。
しかし、暗渠となれば合点がいく。目から鱗である。
derorenは地図を読むのは得意だけど、都市内の土地の高低だけは、歩いてみないとつかめない部分である。今回、それを知るFox氏に案内していただいたことは、その辺の感覚をつかむきっかけになったかも知れない。
少なくとも、当ブログがますますディープな内容となることは、間違いないゾ。
なお余談になるが、禾寮港の西側の通りが、清代の繁華街であった禾寮港街だ。現在の忠義路である。
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