2011/04/30

いろいろ仕入れてみたけれど…

 某大の図書館に行ったついでに、そこに所蔵されている台湾関係文献を物色。日本統治期の台南に触れたものも幾つか見つけたので、そのうちブログ記事に反映されるだろう。


 日本統治時代の資料は、当時住んでいた日本人の文、台湾人が書いた日本語文などを見つけて読んでいる。それぞれの資料の性格は、まとめて書けるものではないので、紹介する機会があればその時に書くつもり。

 地図も複数見つけたが、『大日本職業別明細図』の台南にはいろいろ考えさせられた。
 これはシリーズ物で、当時の「日本」各地の商店が載っている。表面の地図に対して、裏面には業種別の一覧表があり、住所や電話番号が書いてあるわけだ。
 それはいいけれど、台南が誇る百年老店の類が一切載っていない。じっくり見てみれば、ほぼすべてが日本人経営の店である(台湾人が日本名を名乗っている可能性も若干はある)。寺廟の欄もあって、開元寺(当時は日本の曹洞宗に属していた)や開山神社は載っているが、天后宮など在地の廟は一切ない。要するに台南から台湾色を完全に消し去った地図なのだ。

 今にして見れば、妄想としか言いようのない奇怪な地図。まぁそれこそが、植民地政府が造り替えようとした理想像なんでしょうな。

6 コメント:

  1. Deroren San,

    What year was this map published?
    The map I mentioned in my blog post "花園町之春" was also titled "大日本職業別明細図".

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  2. >狡猾的狐狸さん

    上面的地圖是,東京交通社1936年(昭和11年)刊"大日本職業別明細圖"。
    登載在以下的書籍上。
     南天書局出版"日治時期臺灣都市發展地圖集"

    登載在你的部落格上的地圖,是與這個地圖一樣的系統吧。但,那遙遠地詳細。
    會不是比昭和11年新的版都嗎?

    "大日本職業別明細圖"因為面向日本人(內地人)的地圖,反正恣意的的區分被做。
    因為我想知道當時的"台灣",並不是那麼是富有魅力的地圖。

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  3. > 登載在你的部落格上的地圖,是與這個地圖一樣的系統吧。
    > 但,那遙遠地詳細。會不是比昭和11年新的版都嗎?
    It was an earlier version,published in 1929.
    Quite strange that this older map was more informative
    and you can see some Taiwanese stores or clinics.

    Japanese did have prior opportunity in running commerce in that age.
    Stores along the new modern 末廣町 were almost run by Japanese.

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  4. >狡猾的狐狸さん

    那邊是舊地圖。
    是因為道路的配置不同,有幾個的種類的吧。

    在日本,這方法的地圖作為道路旁邊的招牌被建立。
    登載是在地圖上,公共機關和廣告主。
    那個,是台灣人的店不登載的理由之一吧。

    1936年版,像廣告主顯眼一樣地做成吧。

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  5. 初めまして。
    日本統治時代の台南なんですか。
    地図のラウンドアバウトを見ると、パリのエトワール凱旋門を思い出しました!!
    よろしくお願いしまう。

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  6. >London Caller さん
    いらっしゃいませ。
    日本語が達者ですね。私ももっと中国語を勉強しなければ…。

    >日本統治時代の台南なんですか。
    >地図のラウンドアバウトを見ると、パリのエトワール凱旋門を思い出しました!!

    このラウンドアバウト(円環)は現在もそのまま残っています。
    上の「よく似た記事」にある湯德章紀念公園の写真を御覧ください。

    大きな公園、放射状の並木道、円環は、(当時は)公衆衛生に優れた近代都市の象徴でした。
    もちろん、パリの街並みが意識されています。
    日本国内にも、田園調布や大阪「新世界」のように、凱旋門の模倣は少なくないんですよ。

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