2011/03/05

開基玉皇宮(六) 王者の扁額

開基玉皇宮
 三度目の訪問となった開基玉皇宮。初回訪問時は、存在すら知らないまま案内板に導かれて訪れ、あまりにディープな空間にびびった。二度目はくまなく見学し、帰国後に某大の人と話したら、二十年ほど前に見学したと聞かされ「やはりなぁ」と納得した。
 なので今回は大いに期待して訪ねたが、拍子抜けするほど静かだった。どうも時間帯も悪かったらしい。こういう宮の見学は、遅くとも朝九時ぐらいにしておきたい。

 まぁディープな話題は(七)に譲ることとして、ここでは扁額特集。
 まず正面を飾るのは陳水扁。台南県(現在は台南市の一部となった)出身の総統だ。現在は刑務所にいるようだが、当ブログは現代政治を安っぽく語りたくないので評価は割愛する。

開基玉皇宮
 中央に玉皇が祀られている。その上には三つの扁額。中央は李登輝、右は連戦。左は確認しなかった。
 代々の民国総統、もしくはそれに準ずる大物ばかりである。まるで孔子廟だねっ。

開基玉皇宮
 歴代の台南市長による扁額もある。
 ただしその位置は中央ではなく、隅においやられた格好だ。これは行政組織の上下関係があらわれているのだろう。

開基玉皇宮
 こちらも市長。二階だ。

開基玉皇宮
 最後は北区区長。総統を頂点とする国家組織のそれぞれが、それぞれの格に従って扁額を奉納している。

 玉皇上帝は(いわゆる)道教世界の王である。そして道教的世界は、少なくとも台南でのそれを見る限り、明らかな官僚組織だ。廟の神々は、より上位の神によって任命され、それぞれの職掌を司るのだから。
 一方で皇帝の世界、つまり神ではなく人間の側も、天命を受けた王を頂点とする官僚組織だった。ただし現在の首長は民選なので、一応そのような超越性は持ち合わせていないはずだ。

 もっとも、台湾でまともな選挙が行われたのはつい最近に過ぎない。世襲総統を輩出した民国を、帝国と区別する必要はなかったのだろう(皇帝の位置におさまることで体制を安定させた、とも言える)。
 民主化と独裁打倒は密接な関連がある。けれど両者はイコールではない。世界のあちこちがあんな状況の今だから、そんな当たり前のことを再確認したくなる。ああ嫌だな、結局は政治を語ってるじゃないか。

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