2010/01/24

開基共善堂(二) 天皇殿の神々(追記あり)

開基共善堂
 開基共善堂は門と正殿が一体化しているので、中にこういう空間がある。
 まぁこの構造自体は何も珍しいものではない。わざわざ載せたのは「玉勅天皇殿」という文字が気になったからである。
 天皇という呼称は元々中国由来なのだし、別にあっても不思議ではないのだろう。とはいえ、邢府千歳を祀ることと天皇の関係がいまいち分からない。

開基共善堂
 これは門神画を一枚の写真で済まそうというものである。もちろんちゃんとそれぞれ撮ってはいるが、いい加減読者も飽きたのではないか(見たかったらリクエストしておくれやす)。
 なお、ここの門神画は蘇天福の作である。蘇天福といえば太平天国関係の人……なわけはなく、高雄県在住の絵師のようだ。

開基共善堂
開基共善堂
 この御両人はどなたであろうか。誰か教えてくだされ。
 造形から見ても謝将軍・范将軍ではない(両将軍は別にいる。(一)の写真に小さく写っている)。千里眼・順風耳なわけもない。先導役なのは分かるけど、

※董芳苑『台湾宗教大観』によれば、王爺の側に立つ神は剣監(左)印監(右)、あとは謝将軍や范将軍などが多いらしい。
 一方で、王爺廟の門神は秦叔宝と尉遅恭(どちらも唐建国の功臣)とする資料もある。下で紹介しているブログもそう書いているので、ここの門神はそうなのだろう。
 どうもネットで見る限り、韋駄・伽藍とあんまり違いがなさそうな絵が見つかる。要するに、ここまで紹介した門神画の中にも、彼らが相当数混じっていたということだ。明確な仏教寺院以外は、むしろこちらだったのかも。
 で、上の黒と緑はどうなんだろう。門神画は白黒だし、違う気がする。二人とも何も持っていないのが困ったところだ。

※大天后宮にポーズをとらない順風耳と千里眼がいる(色も同様の組み合わせ)。媽祖廟ではないからその二人ではあるまいが、格好だけで判断するのは無理のようだ。

 ここの沿革については、こちらのブログに詳細な解説がある。同じブログで広安宮の説明もしているようなので、合わせて読むと良いのではあるまいか(自分もこれから読むので曖昧な言い方)。

開基共善堂
 虎爺である。ここの虎爺はあまりにあまりな虎である。
 年賀状には使わなかったが、某研究会で披露したのはこれでござる。

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