2012/08/18

妙寿宮(二) 朱府千歳の王船

妙寿宮
 上の写真は妙寿宮前を通る道である。写真の左側に妙寿宮がある。
 derorenがこの写真を撮った時は、ただ単に町並の記録に過ぎなかった。

妙寿宮
 が、実はここに、妙寿宮で最も有名な遺物が安置されていたのだ。
 ありふれた店舗の並ぶ上の階が、まさか廟の一部だとは思うまい。

妙寿宮
 入口に立つ。このように階段を昇らなければならない。
 正直、昇るだけでも暑さでかなりの消耗がある。tomopeeを下に留めて、大人二人が交互に見ようかと思った……けれど、二度手間だ。どうせなら短時間に済ませようということで、三人で昇る。

妙寿宮
 どぉぉーーーーん。
 中には船である。オモチャではない、正真正銘の船がある。

 この船は「王船」と呼ばれるもの。王爺(千歳神)が乗る船だから王船と呼ぶ。台湾はもちろん、本来は福建など大陸側で盛んに流された船である。
 一応の建前としては、代天巡狩、つまり天の代理で国内を巡視する役目を与えられた王爺を乗せた船であり、流れ着いた場所では新たに王爺を迎えて祀るという形になる。

 日本統治時代の記録で、苗栗に流れ着いた王船の話を読んだことがあるけど、その人の記録によれば、村人は神の来訪を喜び、新廟を建てて祀ったそうな。
 ただ、その人自身は信仰にあまり理解がなさそうだから、果たして額面通りに受け取って良いのかどうか。

妙寿宮
 龍の目玉が描かれ、その後ろに「朱府千歳」とある。この船に乗って来た王爺は、この朱府千歳であった。

妙寿宮
 後ろから。帆船で、ちゃんと舵もある。何度も言うが、これは船のようなものではなく、ちゃんと航行可能だ。
 日本でも、神を川や海に流すことはあるけれど、乗り物がここまで本格的な例はあまり聞かない。そもそも、厄介な神を海や川に祓う場合は、無事に航行しないことが望ましいわけだし。
 まぁ少なくとも、海の藻屑と消えて欲しいわけではないようだ。

妙寿宮
 後ろ。「金萬安」の文字が見える。

 『台南歴史深度旅遊』、また現地案内板によれば、明代の末期に朱府千歳が船に乗ってやってきたという。人々はこの神を祀り、厄除けの神として信仰を集めた。そして1755年に妙寿宮の廟宇を建てるにあたって、保生大帝とともに祀ることとした。
 1867年(同治6年)、廟宇のそばに王船室を造ることとなった。そこには古式に則った壮麗な船が置かれ、金萬安號と命名された。こうして朱府千歳の神威はさらに高まり、台南から高雄(打狗)、屏東(阿猴)に至る広い地域の信仰を集めた。

 で、最近になって道路拡張のために移転したわけである。

妙寿宮
 船の内部はこんな感じ。動くホテルならぬ、動く廟である。
 もっとも、動く廟という意味では、神輿や輦と基本的には変わらないものだ。唯一異なるのは、神輿や輦と違って、人手で動かすわけではない点。まぁそれが大きな違いだけどね。

妙寿宮
 反対側から。龍の目が目立つ。この船そのものが龍ということだろう。

妙寿宮
 小舟も用意されている。木龍光彩の文字が見える。

 なんというか、正直な感想を言うならば、神威を感じるというよりも薄気味悪さが先立ってしまう。この船が実際に航海したわけではない点を差し引いても、恐ろしい神が乗るべき場所なのだし。
 もちろんここには空調もない。窓は開け放たれているので、息苦しいとまでは言わないけど、暑い日中に長居は難しいと思われる。
 いやまぁ、一般人は5分もあれば十分だろうけどね。

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