2011/08/22

赤子連れ台湾旅行計画(三) 長距離移動、そして未知の空間を体験

tomopee
 実家に帰省した。tomopeeは5ヶ月にして、初の長距離移動である。果たして無事に済むのかという不安の中で、ともかく旅は始まった。
 derorenの実家は遠いので、飛行機を乗り継がなくてはならない。早めに往復割引でとったとはいえ、その旅費はキャセイで台湾往復とほぼ同額だ。財布にもヘヴィな旅だぜ。

 伊丹からまずは羽田へ飛ぶ。そして乗り換え一時間で実家近くの空港へ。家を出てから6時間ほどで到着した。
 今回、大活躍だったのがスリングだ。着脱が簡単だし、機内でも使える。そしていざとなれば、布でtomopeeを覆い隠し、そのまま授乳ができてしまう。
 お盆ということもあり、機内には他にも赤ん坊連れが大勢いたから、わりと気楽ではあった。とはいえ、泣かれればプレッシャーはある。そんな時に、さっと授乳して落ちつかせることができたのは非常に大きな経験だった。
 もちろん、授乳したのはderorenじゃないけどねハッハッハ。

tomopee
 こちらは帰り。某空港ロビーで爆睡中だ。

 この日は大変だった。豪雨があがって、問題なく帰れるだろうと空港に向かったら、羽田が大雨でまさかの欠航に。で、慌てて鉄道に変更、親に無理を言って数十キロ離れた駅まで送ってもらう。
 ところが、駅に着く寸前にカーラジオが地震速報を流し始める。その瞬間に嫌な予感はしたけれど、とりあえずそのまま駅へ。しばらくは何のアナウンスもなかったが、結局地震で止まってしまい、ホームで待たされる羽目になった。
 やがて列車は動き出したものの、一時間半遅れの列車は途中打ち切りとアナウンスされ、一旦はその終着地での宿泊を覚悟する。が、近くに別の空港があったことを思い出し、実家に電話して調べてもらうと、夜に大阪へ向かう便があるという。すぐに座席を確保してもらい、列車を途中で降りてその空港に向かった。
 上の写真はその空港での写真。最初に実家を出てから、既に7時間が過ぎている。

 そうして確保した便は、関空行の臨時便。本来は伊丹行だが、遅延のために伊丹に降りれなくなった結果の便(伊丹空港は20:00以降の発着不可)で、お詫びに交通費と食事代をもらったゾ。別に我々は詫びられる謂れもないけどね。
 定員100名以下の小さな飛行機は、何事もなく関空に到着。そこから特急「はるか」で京都に向かい、さらに乗り換えて、ようやく家に辿り着いた時には日付が変わっていた。tomopeeはいきなり12時間もの長旅を経験してしまったのだ。

 そんな帰路も、スリングが大活躍だった。特に、母乳で育てている人の旅には、スリングが適していると思う。オススメだ!


 台湾旅行の前哨戦として捉えた場合、長距離移動そのものに関しては、正直言って自信がついた。台南への往復で困ることは、基本的にないだろう。tomopeeが病気になったら別だが。

 むしろ不安なのは、滞在中であった。
 実家に着いた初日は暑い日だったが、これも前哨戦のうちということで近所のお堂に拝みに行った。それは徒歩10分程度の距離で、言うならば首相大飯店から興済宮とか烏鬼井ぐらいまで歩いただけ……なのに、へばってしまった。tomopeeよりも、彼を背負うderorenにダメージがあった。
 その日の気温は、台南の5月ぐらいだ。もちろん、台南よりも湿度が高いので、より不快感が増すのは事実だけど、これで街歩きなんでできるのかなぁ、と後ろ向きになってしまった。


観音
 せっかくなので、そのお堂関係の写真。
 何十年も見慣れた景色だが、改めて見ると台南の仏教寺院(開元寺や法華寺)を思い出す要素もある。というか、日本でも珍しくないんだよな。

観音
 「湯殿山」の石碑。湯殿山は修験道(日本の民俗宗教)の聖地なわけだが、この石碑は左右に「行者 鐵門海」とあって、実はけっこう貴重なものだ。
 鐵門海とは湯殿山信仰の特徴である「即身仏」(生きたまま食事を断って穴に籠り、そのまま息絶えて干からびてミイラになった姿)の一人で、七五三掛の注連寺に、いわば仏像として祀られている。この石碑は、生前の鐵門海が、信者を集めるためにここにやって来た証だろう。

 まぁ湯殿山系の即身仏は、実は出自がアウトローな面々が多かったりする。そういう人々に居場所を与える一方で、勢力拡張のために過酷な行を強いた面は否めない(某有名な学者はボロカスに言ってたな)。
 純粋な信仰心だけでは、死を前提とする行はできないのよね。余談だけどね。

鶏頭
 口直しに、暑い夏の日にふさわしい一枚をば。



 長々と書いた最後に、素直な感想。
 我々は台南の小さな廟を訪れて紹介しているけれど、それは台湾人がこんな小さなお堂にやって来てブログに書くようなものなんだなぁ…と考えると、ものすごい違和感があった。
 我がブログは、ずいぶん無茶なことをやっているようだ。

 このお堂の由来を詳しく調べて楽しんでいる台湾人がもしもいたら、きっとderorenは友人になりたいと思うに違いない。うむ、意味のない言葉でおしまいおしまい。

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