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2010/09/29
雙全紅茶
さて、旧末廣町のメイド喫茶を過ぎた辺りで、こんな路地の入口を見つける。
拡大して見ないと、そもそも路地の入口がどこか分からないほど狭いのだが、ともかくこの道の奥に總趕宮という宮があるのだ。
我々のこの日の目的地の一つが、總趕宮である。
ここは『台南歴史深度旅遊』にも載っているし、台湾の中でも珍しい神を祀るという点で関心があった。さらに、印税がこの宮の修復費用に充てられるという『小西門 台南前世今世』が、非常に良い本だったのも決め手となった。
というわけで暗い路地を進むと、總趕宮より先に目に飛び込んでくるものが……。
そう。ここが台南の老舗、雙全紅茶だった。
次々とバイクに乗った客がやって来て、一杯の紅茶を頼んで行く。我々も飲まないわけにはいかないぜ。
紅茶は老板がシェーカーをあやつって入れてくれる。
この写真は、既にシャカシャカやった後のようだがぶれている。スマソ。
ほんのりと甘い、すっきりした味。五月初旬でも猛暑の台南で、冷たい紅茶は身体に染みわたる。これは絶対に飲むべきだ。
あっという間に飲みほして、次はいよいよ總趕宮。
というか、飲んでる時点でもう見えてるんだけどね。
旧勧業銀、旧林百貨、旧末廣町
五帝廟を出た我々は、旧末廣町の繁華街に向かう。
日本時代の呼称は、台南の人々が望んだ名前ではない。従って基本的には使わないようにしているが、この通りに関しては、現在の名前がそれ以上に酷い。そして、日本時代に都市計画の元で作られた道なので、清代の名前もない。仕方がないので旧末廣町と呼ぶ。
まぁそんなわけで交差点の旧勧業銀行。これは忠義路側の様子である。正面の写真はこちらの記事を御覧あれ。
台北の旧勧業銀行の図面をそのまま流用したと思われるので、装飾の類までソックリである。交差点の角度が違うので、多少の違いはあるけどね。
福の神である。
念のために断わっておくが、我々は日本勧業銀行を知る世代ではない。既に第一勧銀という名で、宝くじを売ってる銀行という認識しかなかった。
というか、現在は何銀行になってるのかすら覚えてないゾ。自慢じゃないがderorenは絶対に宝くじを買わないからねっ!
さぁこれは何でしょう?
2010年5月現在の旧林百貨店である。前年の訪問時にはまだ外観が見れたが、この時は完全に隠されていた。修復されればまた見れるけどね。
なお、林百貨店の営業中の様子は、陳柔縉『台湾西方文明初体験』などで見ることが出来る。天井の低さとかフロアの狭さとか、昔懐かしい地方のデパートである。復元後にそういう雰囲気が味わえるのか気になるところだ。五階のレストランを是非復活して欲しい。
ついでに、このビルの屋上にはお稲荷さんが祀られていた。今も鳥居があるらしい。
台南の稲荷信仰については『小西門 台南前生今生』に少しだけ触れられており、新町(保安路と国華街の交差点より南にあった花街)に稲荷神社があったという。『小西門』に載るお稲荷さんのイラストは、ものすごく邪悪な狐の顔になっていて、ある意味で必見である。本当にそんな顔だったのかは定かでない。
現在の旧末廣町で、日本人が訪れる場所と言えば度小月である。
こちらは本店とは別に作られた台南総店。去年の八八水災後に我々が訪問した時は、こちらだけ営業していた。
そして今や台湾きっての老舗メイドカフェとなった末廣町侍女隊。我々は日本でも入ったことがないので、この店も未体験だ。まぁそんな構えて入るような店ではないけどね。
ちなみに、この店が末廣町の名を冠していることについて、公式サイトに説明がある。かつて台南銀座と呼ばれた町の繁栄を取り戻そうという意図があるらしい。次の機会に行ってみようかな。
五帝廟
三官廟と鄭氏家廟の向かいにある五帝廟。ここも紙媒体の資料はないが、幸い公式サイトがあるので参考とする。
しかし、サイト名がwudi-miaoってのがいいよね。日本のサイトだって似たようなものだけど。というか、当ブログが余所の名前をどうこう言うのは、天に唾するようなものか。
さて、この廟の主祭神について、公式サイトには次のように記されている。
佛教稱為華光天王佛。道教稱作五顯靈官馬元帥。本廟稱為五顯大帝。第一世妙吉祥。第二世三眼靈光天王馬子貞。第三世三眼靈光天王靈耀。第四世五顯華光大帝蕭顯德。
「華光天王」という文字は『華厳経』にあるようだが、たぶん関係ないだろう。舎利弗とも関係ないだろう。
第一世の「妙吉祥」は、一般には文殊菩薩を指す。しかしここではハス油の燈明の化身らしい。釈尊の説法を毎日聞いているうちに人と変わったそうな。で、釈尊から「五通」の神通力を与えられたという。
その後も公式サイトに書かれている。生まれ変わった二代、三代は、いずれも三つ目だった。そして四代目は肉の塊で、パカッと割れて五人の子が現れた……のなら分かるのだが、五人の男と一人の女が生まれたそうな。
まぁともかく、この四代目を称して五顕大帝と呼ぶわけだ。
さて、その五顕大帝はこの人ですよと言いたいところだが、見ての通り、手前の神々に隠されて全く見えない。いくら何でも詰め込みすぎだろう。
無理矢理に覗くとこんな感じ。怖いぞ。
「五通」の神通力には、火や水や風をあやつる能力があるという。そうした事情で祀られていると思われる彼の名は火将軍。夢に見そうなくらいインパクトのある顔だ。
こちらは風将軍。火将軍の後では普通の人にすら見える。
で、このうつろな瞳の御方は誰なのだろうと思ったら、なんとこちらも火将軍らしい。全然ビジュアルが違うじゃないか。
なお、この像と対の風将軍は、シロアリにやられたそうな。うーむ、ここは西日本シロアリの出番だな。
そんなわけで、鄭氏家廟をちょろっと見るはずが、ずいぶん充実した内容となった。台南の廟は、一つ見えたら十はあると思わなければならない。うむ。
※余談だが、上の元ネタ「ゴキブリを一匹見たら……」は、何匹いるのか人によってバラバラですな。derorenは「一匹見たら五十匹」と覚えていたが、十匹説から百匹説まであるようだ。これを読んだアナタは何匹派? (全くどうでもいい話だな)
2010/09/28
三官廟
鄭氏家廟の隣に建つ三官廟。
三官大帝を祀る廟であることは、中に入らなくとも分かる。
立派な廟で、拝拝する人も少なくなさそうだった。
なのでいろいろ紹介したいところだが、例によって資料がない。ネットで探し得た内容をとりあえず紹介しておく。
なお、参考としたサイトは以下の通り。
・すごく見辛い「蘭陽萬帝觀民俗技藝團 萬教帝君 專屬的部落格」
・中西区公所の紹介文
・狡猾的狐狸(Sly Fox)氏のブログ「狂戀府城」
SlyFox氏のブログはよく調べられてあって参考になる。リンク先の記事によれば、この廟の前身は蒋元枢の屋敷だったという。「蒋公生祠」という石扁を、我々は見落としていたので、そこまで思い至らなかった。
そんなわけで正殿。扁額の文字がそのまんまなのがちょっと悲しい。
顔を隠した三官大帝は三人ずつ二組。
その前にいる美少年(と表現しておこう)は中壇元帥だ。
上のブログなどによれば、三官堂と呼ばれたこの廟は、日本時代に幼稚園や日本語教室に使われた挙句、取り壊された。そして僅かに残っていた文昌祠は、第二次世界大戦の空襲で破壊され、いったんは完全な廃墟と化したという。
三山国王廟などと同じで、日本が台湾の民間信仰をいかに邪険に扱っていたかがよく分かる例である。
正直、神社ごときで台湾の信仰体系に太刀打ち出来るわけがないのにね。神社って制度は基本的にアバウト過ぎる。ローカルな神としては、アバウトな方がありがたいけどさ。
現在の三官廟は、ありとあらゆる現世利益の神々が祀られている。保生大帝もいれば土地公もいる。そして目立つのが星の神である。
ここの斗姥聖君は、見た感じ千手観音にしか見えない。余所ではおばさんっぽい像だったけどなぁ。
まぁどう見ても新しい像だし、千手観音にメタモルフォーゼしたのかも知れませんね(思いつきで書いた)。
斗姥聖君の前に鎮座する石。
表面が撫でられてテカっているので、我々には用途が分からなかったけど、とりあえず撫でておいた。
斗姥聖君の左右には、当然彼らがいる。こちらは南斗。
新しいからだろうが、デザインは洗練されていて見栄えがする。
北斗。
ともあれ、この廟は向かいの五帝廟とセットで語られているようだ。我々が見学していた時に、どこかの一族らしき集団が拝拝していたが、彼らもここと五帝廟を両方まわっていた。
そんなわけで、次は五帝廟。
ちょっとキモイ神像もあるので、お楽しみにネッ。
2010/09/26
無名豆花で珍珠豆花
無名だけど有名な無名豆花。2009年夏以来の再訪である。場所などは前回の記事に書いたので、あわせて読んでおくれやす。
この日も我々が訪ねた時は無人だった。
爺さんはすぐに我々に気付いたので、さっそく珍珠豆花を注文する。
ここの豆花はけっこう量が多いので、無理に人数分頼む必要はない。この日も食べ歩きの日程だし、現地ブログでよく紹介される黒タピオカだけ食べることにした。
もちろん言うまでもなく、この時の我々は爺さんの背中に釘付けである。もうちょっと仕事着は選んだ方がいいと思うけど、他の客は気にする気配もなかった。derorenとhashiの瞳は俗世間の垢にまみれているので、素晴らしいものが素晴らしいと感じられない…………わけはないよな。さすがに。
そう。我々が座った時には客がいなかった。しかし、三々五々に現れて、食べ終わる頃には満席の盛況となっていた。
我々以外の客は観光客ではなく、仕事の休憩時間にふらっと寄って、豆花を食べて行く。ウチの近所にもあればいいなぁ、という感じで眺めていた。
なお珍珠豆花は、前回ほどの感動がなかった。というか今回の旅では、前回と全く同じ二店で豆花を食べて、どちらも今ひとつな感覚だった。これは店の味が落ちたのではなく、いつの間にか記憶が美化されすぎてしまったのだろう。
とりあえずderorenの意見としては、珍珠豆花よりも紅豆豆花の方がオススメだ。
鄭氏家廟
旧勧業銀行の交差点から忠義路を北に進むと、すぐに廟が見えてくる。それも道路の両側にいくつもある。
鄭氏家廟、三官廟、五帝廟、さらに報恩堂も隣接するので、廟マニアなら歓喜勇躍するだろう。そんなマニアがいるのかはともかく。
で、これは鄭氏家廟。日本の人がわざわざ来たりするという鄭成功の廟だ。
……いやまぁ、我々も日本の人だ。しかし、ここだけを特別扱いはしていない。むしろ冷淡である。
境内の外側にある井戸。明代に遡るという話もあるようだ。
前殿。現在の形になるまでには、多くの改修を重ねている。ついでに名前も変わっている。
『台南歴史深度旅遊』によれば、元は鄭氏政権の時代に造られた延平王廟だった。これは当然、鄭経が父を供養した廟である。
その後、清代になって鄭氏大宗祠、もしくは昭格堂という名に変わった。これは明の王位を廟名とすることへの憚りがあったためらしい。
鄭氏家廟となったのはつい最近である。
本殿。飾りがなくシンプルだ。
内部には、わりと有名な鄭成功像が祀られる。
この像は、日本の画家が描いた油絵を元に1947年に造られたという。ヒゲもない顔が当時の姿と言えるのかはともかく、延平郡王祠の像よりインパクトがあるのは事実である。
2010/09/25
伊荳精緻生活早餐館
2010年5月5日に我々が朝食をとった店。首相大飯店からは北に歩いて、北忠街の交差点を右折すれば着く。五分とかからない。そしてそのまま進めば西華堂である。
まぁ我々はこの日もサバヒーを食べようとして、あえなくはね返されていた(なぜか臨時休業)。そこで、以前から気にはなっていた西華堂界隈の早餐店を訪問してみたのだ。
自磨豆漿15元。ほのかに甘い豆漿はうまいよねぇ。
台湾では初体験の漢堡(ハンバーガー)。これは香腸のヤツで25元だ。
香腸はもちろん西洋式ソーセージではない。なのでちょっと冒険のつもりで頼んだが、何事もなくうまかった。
蛋餅。台北の登來也豆漿店で食べて以来、hashiがいたくお気に入りである。正直、味は登來也豆漿店の方が良かったけどね。
まぁ特筆する点はあまりないが、台南人のありがちな朝食を体験してみるには良いのでは。近所には他にも何軒か早餐店があるので、可能であれば食べ比べしたいところだ。
重慶寺(後編) 宗派はなんと……
最初に断わっておくが、重慶寺に関するまともな紙媒体の資料をderorenは持っていない。なので仕方なく、台南市のサイトを主に、残念だがwikipediaなどで補いつつ説明することになる。
当ブログは学術目的で作成しているわけではない。とはいえ正確な情報を載せないのならば、(こう言っては申し訳ないが)その辺の旅行記ブログと一緒になってしまう。
一見の旅行者だからといって、デタラメを書き並べて良いわけではない。資料批判の方法を学んでいない読者に、デタラメを「正しい情報」として広めてしまうのは、書き手としての罪だ。
なので宣言しておく。この記事については、決して鵜呑みにしないでもらいたい。間違っても、この記事内容を余所で引用しないで欲しい。
さて、上の写真は前編で紹介した観音菩薩の向かって右側である。西嶽大帝、功徳司、そして手前にもう一つの何かが祀られている。この写真だけでは、寺院だとはとても思えない景色である。
西嶽大帝は、中国の五岳の西だから、華山の神である。金庸『笑傲江湖』の令狐冲を輩出した(笑)崋山派の本拠地だ。
従ってこの神は、東嶽殿の東嶽大帝と対をなす存在なのではないかと思われる。一緒に功徳司、速記司という書記官が祀られることからも、人間の善悪を判定する神という想像が出来る……けど、それ以上は分からず。
これら非仏教的な神々は、かつて台南市内にあった南星殿という廟の神だったらしい。日本統治時代に何らかの理由で廃絶し、神々だけがここに遷されたという。
そもそも重慶寺自体が移転を経験している。元は台南州庁の辺りにあり、州庁の建設地に決まったため壊されたらしい。そういう経緯があるので、建物の古さが考慮される「古蹟」には指定されていない。ただし2007年に「歴史建築」指定を受けた。「歴史建築」とは「古蹟」の下のランクとして最近作られたもので、延平郡王祠も2010年に指定された模様。
また台南市サイトなどでは、府城の「七寺八廟」の一つとする。ただし「七寺」はいろんな説があって、重慶寺を含めない方が一般的のようにも思われる。というか、「七寺八廟」自体が単なる語呂合せって説もあるので、深く追求しないでおく。
功徳司。日本でも閻魔大王の脇に立ってる類の神だ。
速報司。功徳司とセットの神。
なぜか註生娘娘も祀られている。
大雄宝殿とある。台湾の寺院の大雄宝殿はたいがい伽藍の中央にあって、主たる仏を祀る場だ。しかしここでは観音の脇に追いやられている。
どうもこの寺が宗派を変えた関係で、こういうことになったらしい。ちなみに祀られているのは釈迦三尊。そして今では、手前の月下老人が目立っている。台南では大天后宮、祀典武廟、大観音亭と並ぶ四大月下老人だなんて書いてあるものもあるようだ。
月下老人は商売っ気がプンプン臭う神なので、あえて問わないでおく。
さて、宗派を変えたと書いたが、以前は臨済宗だった。それが1969年になって突如として宗派替えをしたらしい。
前編で触れた「ちょっと違う雰囲気」とは、そうして変わった宗派に起因する。
なんと重慶寺がくら替えしたのは、チベット密教噶挙派(白教)だった。そりゃまぁ、今や日本でも活動しているのだから、台南にあっても不思議ではないだろう。しかし預り物とはいえ、道教的な神々を合祀しつつチベット仏教というのだから、やはり相当に不思議な寺院である。
ということで、分からないなりに書いてみた。
最初にも書いたけれど、鵜呑みにしないように。何せ南星殿の位置はまちまちだし、「七寺八廟」に至っては何がなにやら。
2010/09/24
重慶寺(前編) 台南っぽいけど何か違和感が
山林事務所・台南州庁・台南州会に囲まれた駐車場を歩いていると、「重慶寺」の看板を見かける。2009年5月の初台南で見かけて、いったいどんな寺なのかと思ったわけだが、手元の資料が増えていっても、一向に登場しないのが気になっていた。
で、ここは山林事務所の西側の路地だ。
奥行きのある、あまり寺っぽくない建物が重慶寺らしい。右奥の緑のビルは台南州会である。
路地は非常に狭く、正面から写真は撮れない。
それにしても、壁に書かれた「慈悲」が妙に気になる。どうもここは開元寺や法華寺のような雰囲気ではなさそうだ。
非常に圧迫感のある景色だが、まぁこれは指摘しても仕方のないことなので、足を踏み入れてみる。
この写真を見せられて、なんの宗教かと聞かれたら、まぁ仏教じゃないかなと答えるだろう。その意味で不自然というわけではない。けれど、どことなく雰囲気が違うなぁ。
そして本尊を拝拝。内部は大観音亭や萬福庵と似ていて、仏教寺院というよりは台湾的な民間信仰の場に見える。
とはいえ、そういう部分と壁の「慈悲」なんかが噛み合わないのも事実。なぜだろうと堂内を眺めていくうちに、我々は違和感の理由を突き止めた。
たぶん誰も興味ないだろうけど、その辺の内容は後編で。