2009/06/05

水仙宮


 市場の中に埋もれる三級古蹟。元はもちろん宮が先にあって、その参詣路に市がたったのだろうが、最早ここは市場の店の一つのように溶け込んでいる。とはいえ、だから信仰されないってわけでもなかろう。とりあえず、気のいい神様ってとこだ。

 言うまでもなくここは海運の守護神。港町にあって、清の時代から信仰を集めていた。 


 実は水仙宮をここまで埋もれさせてしまったのは、日本の負の遺産であるという。
 日本統治時代に台南は埋め立てが進み、ここは港町ではなくなった。そこで信仰が下火になったところに、第二次世界大戦が始まった。水仙宮周辺には防空施設が計画され、それなりに広かった境内敷地のほとんどを削られてしまう。
 日本が去った後に空き地は市場となり、現在へ至る……ということのようだ。軍事施設よりは市場の中の方がまだ幸せな余生に違いない。

南沙宮


 和平街の小さな宮。黄府千歳を祀るという。

 実はこの時間はかなり焦っていたので、ここで撮影した記憶すらなかったりする。いつかゆっくり歩きたいものである。

2009/06/04

海安路の壁面アート

藍曬図
 海安路と神農街の交差点付近には、壁面が鮮やかに塗られた建物が林立している。間違いなく台南きってのオサレエリアである。
 この写真は「藍曬図」というパブ。現地ガイドにもかなりの確率で載っている、藍色の壁面の店だ。もっとも、藍色なのは写真の右手の方である。ライトアップされていない昼なので、被写体としてはイマイチだった。



怪獣茶舗
 一番下は怪獣茶舗。築80年の建物を利用した有名店だ。時間があれば入ってみたのだが。

西羅殿


 大陸は泉州の移民が、広沢尊王を奉じて創建したという西羅殿。神農街が南勢港によって栄えたのに対して、こちらは南河港。五條港でも最古とされる港だったそうな(こちらで働いていたのは郭姓与力)。
 なお西羅殿の「西」は、「東」嶽殿、「北」極殿などに対する呼称である。南極殿もあったらしい(今もあるか?)。

 まぁそんな歴史の舞台だったのだが、そろそろ時間が怪しくなりかけていたので外観のみ。

大竹林汾陽殿の一行はここに来ていたらしい。

接官亭石坊と風神廟

接官亭石坊
接官亭石坊
 接官亭石坊と風神廟、西羅殿は一箇所にかたまっている。なかでも先の二つは事実上一体化。というか、接官亭は址地に過ぎない。
 この接官亭は、文字通り官を接待した場所である。清の頃の台南では、この辺がまさに船着き場であった。そこで大陸からやってきた官員を最初にここで迎えたわけである。
 なお、ここは城門(大西門)のわずかに外側。蒋元枢が作らせた一八世紀の地図には、風神廟と並んで描かれている。

接官亭石坊
 「鱉柱擎天」とある。スッポン?

風神廟
 風神廟は、その清の官員たちが拝拝した廟である。船で往復する彼らだから、風神に祈りを捧げるのはごく自然なことといえる。
 ただし、ここには日本統治時代に移転した。元々はもう少し遠かったが、今の民権路を広げる際に以前の廟は破壊され、接待する相手のいなくなった屋敷址に移転させられたわけだ。

 なお、我々が訪れた時は祭礼が近かったようで、石坊の周囲には幔幕が張られ、風神廟内部では何やら打ち合わせ中だった。

2009/06/03

薬王廟

薬王廟
 薬王大帝を祀る薬王廟。ものすごく狭い敷地に建ったビルディングである。

薬王廟
 主祭神の薬王大帝は、いわゆる神農氏だそうである。そこから神農街という名がついたという話は、もう何度も書いたので割愛。

薬王廟
 左手の階段を登ると集会所があって、さらに上へと階段が続く。やっとのことで辿り着いた三階からは素晴らしい眺望……はない。周囲もみんな同じぐらい高いのだ。台南はコンクリート高層社会である。
 まぁともかく拝拝はしておいた。帰国日なので、無事に帰れるよう念押ししてみたが、薬王廟でそんな念押ししてもしょうがないような気もする。まぁ無事だったから良しとしよう。

薬王廟近くの神農街と猫


 神農街を運河方面へと歩く。するとやがて通りを塞ぐ巨大な何かが見えてくる。それが「神農」を祀る薬王廟である。
 海安路を離れるにつれ、人通りは少なくなる。いい雰囲気の街並だ。


 そんな街並には猫がいた。
 台南という街の印象をいえば、野犬だらけってとこなんだが、珍しく猫だ。私は犬が嫌いで猫が好きだ(どうでもいい)。


 猫はそんな空気を察知して(わけあるか!)、こちらへ寄って来たぞ。


 そして目の前でゴロンゴロン。国変われど猫に国境はない。妙に納得した。もちろんなでなでした。