2010/09/09

祀典武廟(武廟街尊義堂)馬使爺

武廟街尊義堂馬使爺(祀典武廟)
 台南市の永福路。祀典武廟の向い側に馬使爺廟が建つ。
 歴史的にも武廟の一部である一方で、武廟街尊義堂という独立した廟名をもっているようだ。
※なお、この写真は2009年撮影。

武廟街尊義堂馬使爺(祀典武廟)
 関帝というよりも関羽の愛馬といえば赤兎馬だ。この堂はまさしく赤兎馬を祀っている。その割には馬がちっとも目立たないのだが。
 扁額「神周海表」は蒋允君の書。蒋允君は乾隆帝時代の台湾知府(要するに行政長官)で、風流太守として知られる人。在任中に台南の廟宇の改修を行った(もっとも有名なのは法華寺)。

 なお、古くは馬使爺廟は武廟から見て左側の現在地ではなく、右側にあった。左側のここは「官庁」だったらしい。

武廟街尊義堂馬使爺(祀典武廟)
 熱く演説する馬使爺である。なぜこうも勇ましいのだ。「我が主君、そして諸君らが愛してくれた関羽雲長は死んだ。なぜだ!」とか言ってるわけはない。

武廟街尊義堂馬使爺(祀典武廟)
 奥で赤兎馬が「勝手に盛り上がってんじゃねーよ」と冷やかな視線を浴びせているのかどうか、これもまた定かでない。
 というか、この馬が赤兎馬だとはとても思えないのは私だけだろうか。赤くないじゃん。

武廟街尊義堂馬使爺(祀典武廟)
 ちなみに昨年の八月には、こんな写真も撮っていた。
 年齢不詳の蝶が舞い踊るビキニショーに、馬使爺は坊やじゃないからきっと興奮したことだろう。

陳厝(陳世興旧宅)

陳厝
 萬福庵のそばにある民家。陳厝、または陳世興旧宅と呼ばれる。

陳厝
 陳家は鄭成功とともに台南に渡った一族で、台湾きっての旧家である。その邸宅は元々は前・中・後の三段に及ぶ大きなものであったらしいが、今は奥の部分がない二段構え。それでもかなりの豪邸だ。

 なお、取り損ねてしまったが、この屋敷にも照牆がある。上の写真をクリック拡大して、煉瓦塀の右側の奥をよく見ると、白壁の部分が辛うじて見えるだろう(じっくり見たい人は検索すれば、台湾人のブログが見つかる)。

陳厝
 門はこんな感じ。奥に見える窓は別の家なので念のため。陳家は門の左手に続いている。
 現役の住宅なので、基本的に見学は不可。門から覗いた限りでも、非常に魅力的な空間であった(一応、ここでは覗き写真の掲載は見合わせる)。ここが観光地として公開されたら、人気が出ると思うけどなぁ。赤嵌楼から歩いてすぐだし。

 なお、萬福庵の二階ベランダから見下ろすことも出来る。ただし手前の建物に隠れており、一部の屋根が見える程度だった。

萬福庵(三) 阮夫人堂

萬福庵
 二階の拝観を終えて外を見ると、隣のビルに通路が延びている。
 そして隣のビルは、このように無理矢理に色を塗って廟としてある。台湾の廟は雰囲気で人を騙すのではなく、どこまでも実用本位だ……と、唐突に日本の寺社を挑発してみる。
 ただのコンクリートの箱を、そこまでポジティブに捉えようとするのも、日本的な発想なのかも知れない。要するに、何も書くことがなかっただけである。

萬福庵
 阮夫人堂は、萬福庵前照牆の記事で触れたように、鄭成功に伴って台湾に渡った烈女を祀る。廟の前身が彼女の屋敷であったこと、かつての名が阮夫人寺であったことも先に触れた。
 画面ではほぼ読み取れないと思うが、中央の位牌が阮夫人。その当時のものと言われており、もしそうなら17世紀だから、台湾屈指の古さである。

 それにしても、ガランとした部屋に位牌だけというのは、けっこう怖い。あまり長居はできなかったゾ(長居しようがないという説もある)。

萬福庵
 これは2009年の写真。忠義路側にこのように入口が示されていた。ちゃんと狙って撮ったにも関わらず、今回見返すまで完全に忘れていたのは内緒だ。
 まぁともかく、これぞ台南という感じのごった煮状態が素晴らしい廟。赤嵌楼から徒歩3分という恵まれた立地にありながら、全く観光客は来ない。まさに知られざる別天地である(冷静に考えれば、一般観光客が魅力を感じるかは疑問だけどね)。

2010/09/08

萬福庵(二) 四天王も歩クンです

萬福庵
 萬福庵の二階は、かなりの奥行きがある。
 この写真は近寄って撮影しているが、祭壇部分全体が高くなっていて、数段の階段付きだ。つまり、建物内部で前殿と本殿という構成を再現している。

萬福庵
 本尊は「三宝仏」とある。どうやら阿弥陀の模様。
 阿弥陀三尊といった場合には、脇に観音もいるわけだが、ここで両脇にいるのは菩薩ではなく、ただの侍女である。門神として描かれる人たちだ。
 手前のメタボな人は弥勒だ。弥勒と阿弥陀は住んでる場所が違うような気もするけど、その辺は気にしないでおこう。

 さて、ここまでは台湾的ではあるが仏殿の範疇である。しかし写真の左端に赤ら顔の人が写っている。こちらこそが台湾的なのかも知れない。

萬福庵
 赤ら顔の人は護法尊者だという。まさか『唯識三十頌』の注釈を書いた人ではあるまい。
 仏教系で、反対側が韋駄であることから考えれば、伽藍であろう。ただしこの護法尊者は実に関帝に似ている。
 実はネットで検索すると、関帝が仏を守護する神となったのが伽藍神だ、みたいな説は見つかるのも事実。いずれにせよ、ここで問題にすべきなのはこの神は腹に覗き穴も開いてるから、間違いなく歩く神だってことである。

萬福庵
 韋駄も歩く。というか、この韋駄は中壇元帥あたりにしか見えない。
 そして次からが衝撃の映像だ。

萬福庵
 手前は広目天王、奥は増長天王とある。そう、四天王も歩くらしいぞ!

萬福庵
 反対には持国天王と多聞天王だ。四天王までこんな造りになっているとは、やはり台湾恐るべし。
 ……もしかしたら北港でも彼らに出逢っていたのかも知れないなぁ。

萬福庵
 これは仏像の前から振り返って天井を見たもの。奥に「小西天」という扁額がある。
 「小西天」という扁額はどうも方々にあったようだ(開元寺や竹渓寺にあるという)。「小南天」もあるし、地名なのかと思ったけれど、どうも仏教絡みの言葉らしい。要するに小さな西天(インド、もしくは西方浄土)という意味の模様。

 なお『西遊記』に、孫悟空が小西天に行くエピソードがある。ここの額はその意味の可能性もある。もちろん阿弥陀の西方浄土でも意味は通じる。

 そんなわけで、可動式四天王を見た後は、別棟へ向かう。
 この廟はなかなか複雑な構造なのだ。

2010/09/06

萬福庵(一) あなたは孫悟空と契りますか

萬福庵
 現在の萬福庵は、だいたい築40年ほどらしい。なんとも独特な建築だ。もちろん鉄筋コンクリート。
 なお、手前に写っている車は、照牆の前に停まっている。見比べれば、相互の位置関係は推測出来るだろう。

萬福庵
 本殿の前にある大樹は「猴霊樹王公」とある。
 たぶんガジュマルだが、この太い幹は別の樹木としか思えない。ガジュマルは他の樹木に巻きついて絞め殺す植物なので、もしかしたら霊木をガジュマルが殺してしまった……なんてことはないか。
 なお、なぜ「猴」かは後ほど分かる。

 もう一つ、写真の左側に民家の門が見えるのに注目して欲しい。ここが台南きっての古い屋敷、陳厝である。

萬福庵
 寄付金募集中の看板を横目に、中に入っていく。

萬福庵
 本尊はあくまで観音である。なんか顔が変だけど、たぶん観音である。両脇の仏は何者か分からないが、観音である。
 しかし萬福庵は一般には、手前の左右に鎮座する方が有名だったりする。遠目には普通の神像だが、よく見れば(写真をクリツクしてね)サルだ。彼はただのサルではなくスーパーなサル、その名を孫悟空と言ったりする斉天大聖だ。

 『台南歴史深度旅遊』によれば、ここの孫悟空は子どもの神様だという。幼い子に取り憑く邪悪な者を追い払ってくれるので、子どもが生まれたら悟空と「契子」する風習があるとのこと。オッス、オラゴクウ。オラと永遠の心を結んでくれ……は契り違いである(たぶんネタが分からないと思われるので書いておきます。五木ひろしです)。

萬福庵
 奥には、いかにも仮住まいという感じで地蔵王菩薩が祀られていた。
 なお、今さら説明するまでもなかろうが、観音と地蔵が祀られていても、仏教寺院の雰囲気は皆無である。大観音亭正徳堂普済殿などと同様、三教ごちゃ混ぜの信仰体系の廟だ。台南の信仰は基本的にこういうもの、と断言しても良さそうだ(この後で、ある意味では衝撃の仏像が登場するぞ)。

萬福庵
 地蔵はなかなか良い造型だった。彼にこんな仮住まいを強いるべきではない、とお考えの人は、己のゼニを寄付するが良いぞ。

 続いて二階へ登る。いろんな意味で考えさせられるので、例によって刮目して待つべし!(刮目はしなくていいです)

2010/09/05

萬福庵前照牆(台南市中西区)

萬福庵前照牆(台南市中西区)
 民族路を西に向かい、やがて北側に赤嵌楼の駐車場が見えてくるあたりで、南向きの路地に潜る。すると程なく、派手な二階建の廟が見つかるだろう。
 この廟は萬福庵という。そして、その駐車場の壁のように立っているものは、萬福庵前照牆と呼ばれる。

萬福庵前照牆(台南市中西区)
 大変地味で、取りたてて装飾といえるほどの装飾もない。民家の入口に垣を造って、内部が直接見えないようにする形式(本来の目的は辟邪である)も、何もここだけではなかろう(沖縄では風除けで造ってるし、京都近郊でも見かけたことがある)。
 しかし実は、この垣だけが古蹟指定されている。わざわざ萬福庵とは区別してである(萬福庵は古蹟になってない)。

萬福庵前照牆(台南市中西区)
 この牆が造られたのは、なんと鄭氏政権の時代に遡るという。
 しかも、なぜここに造られたのか、そこに至る物語が伝わっている。それを知れば、古蹟指定もなるほどと思うだろう。

萬福庵前照牆(台南市中西区)
 『台南歴史深度旅遊』によれば、元々ここには阮駿という人の未亡人が住んでいたという。阮駿は鄭成功に従っていた武将だが、台湾攻略前に戦死してしまった。その夫人は、鄭成功とともに台南に渡り、再婚することもなく夫を弔った。その住居がここであった。

 やがて鄭氏政権は、施琅が率いる清軍によって滅ぼされるが、その時点で阮夫人はまだ存命であった。
 清朝の家臣としての施琅は、阮夫人宅のすぐ近くに駐在することになった(この付近は当時の台南の中心地なので、ありうる話だ)。しかし阮夫人は施琅の行為を不愉快に思い、屋敷の門を造り替えた。この辺の説明が完全に読み取れないのだが、どうもそれは、風水の流れを変えて、西に住む施琅側にダメージを与える目的だったらしい。
 そこで施琅は、この照牆を造って流れを遮り、邪悪なものが来ないよう防いだ……という話。

 ちなみに阮夫人が亡くなった後、邸宅はズバリ「阮夫人寺」となった。百年ほど経ってから、萬福庵と改められたという。
 敗者の街となった当時の台南において、阮夫人がまつりあげられていた事情が、ここにうかがえるのかも知れない(照牆のエピソードが本当に17世紀のものかは不明)。

 もちろん我々は入口だけ見て帰ったわけではないので、萬福庵の内部も紹介するゾ。
 なお、すぐそばには台南きっての古い豪邸「陳厝」もあるのだが、現在も住人のいる個人宅なので、掲載しない可能性大(入口ぐらいは載せても大丈夫かな)。

小南天土地公廟(二) 笑うな!童子

小南天土地公廟
 あえて分けるほどのものではないのだが、インパクトのある像だったのであえて別立てしてみた。
 童顔巨体で笑うヤツ、それは招財童子だ。
 北港で何度も逢ったデフォルメ童子とはひと味違う、肝油ドロップの箱に書かれてそうなリアル系だ。

小南天土地公廟
 こちらは進宝童子。髪の毛を二箇所でとめている。デフォルメ童子ではアンテナのようだが、この像は至極まともである。まともすぎて怖い。
 正直、心の中では「きんもーっ☆」とか思わなくもなかったけれど、以前にも述べたように現金が欲しくてたまらないderorenとhashiは、しっかり拝拝したぞ。うぬらも貧乏人ゆゑ拝拝するが良いぞ良いぞ。

小南天土地公廟
 虎爺はここでもプリティだ。森永キャラメルがよく似合う。
 しかし一度祭事となれば、火柱を上げる爆竹にも負けない、勇猛な姿を見せるのであろう

小南天土地公廟
 そんなわけでしっかり楽しんだ我々は、そのまま路地を進む。土地公廟からは西向きになった路地は、民族路とほぼ並行する形で忠義路に出た。
 忠義路側の入口には、こんなゲートがある(民族路側にもあるよ)。非常に目立たないゲートなので、見落とす可能性が高いけどね。