2012/07/30
安平古堡(内城半円堡遺跡)
久々の更新だ。この記事では、初回訪問時の記事にない遺跡部分を紹介する。古堡の基礎知識を得たい人は、以前の記事を読んでほしい。
ちなみに、国会図書館近代デジタルライブラリーに「史蹟調査報告 第2輯」というのがあって、そこに台南州の報告がまとまっている。で、安平古堡(ゼーランヂャ城)の当時の写真が載っているのだが(No.43)、現在の面影が全くないので驚かされる。
現在の展望台(瞭望台)は1975年建設だが、1908年には燈台が造られていた。そのそばにある売店併設の紀念館は、日本統治時代の1930年に出来ている。従って、「史蹟調査報告 第2輯」の写真は1908年以前のものだろうなぁ、と思われる。
興味のある人は眺めておくれやす。
話を戻すと、最初の写真の展望台(瞭望台)の裏側に、半円状の遺跡が残っている。
これが内城半円堡遺跡と呼ばれる場所だ。ゼーランジャ城の城壁は二重になっており、現存する有名な城壁は、外側の城壁である。対してここは内側の城壁で、中核部分を囲っている。
現在の姿は、およそ城壁と呼べるものではない。
上で紹介した「史蹟調査報告 第2輯」によると、億載金城を造る際に、ここの煉瓦が使われたらしい。ついでに、近隣住民の屋敷用にも持ち去られたと書いてある。
なお、井戸の址が写っているのが分かるだろうか。
その辺は、いかにも城跡って感じだ。
遺跡の背後、つまり現在の高台部分の壁は、老古石(サンゴ)をカキ殻灰で固めたもの。これはこれで貴重なものだ。煉瓦に比べると頑丈さは及ばないだろうが。
周辺には他にも発掘された遺跡がある。よほど熱心なファンでもない限り、感動を覚えるような遺跡ではないが、まぁオランダ時代の城に想いを馳せたい人は眺めてみては。
ちなみに、内城遺跡の奥に出口があって、安平樹屋方面への近道となっている(出口専用)。そのついでに通りがかるかも知れない。
もっとも、我々は入口でベビーカーを預けていた。なのでderorenが受け取りに戻って、あらためてこの裏口から安平樹屋に向かったのである。
面倒な話といえばそうだが、それでもベビーカーを持って古堡を巡るよりはマシだ。たとえ裏口から出るつもりでも、預けた方がイイと、最後に経験談を語っておこう。
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