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2012/05/25

台南東門巴克禮紀念教会

東門巴克禮紀念教會
 大東門から東門円環へ向かう。要するに台南中心部へと向かうわけだが、やがて東門路の車道部分は高架となり、窮屈な側道側の歩道を進むことになる。
 しかし、その側道にはいくつかの見所がある。

 最初に現れるのが、この教会。現在は台南東門巴克禮紀念教会という名になっている。2003年まではただの東門教会だったので、ガイドブックによっては今もそのままである。少なくとも上旗文化『in hand台南』は東門教会のままだ。
 まぁ地元でも、東門教会と言わないと通じないのでは、と思う。しかしそのことと、巴克禮の知名度はまた別だ。


 巴克禮(カタカナ表記ならバークレー)とは、長老教会(カルヴァン派)のイギリス人宣教師。清朝末期から日本統治時期の台南で、長老教会の勢力を拡大させた立役者である。
 長老教会は台南神学校、大平境教会などの宗教施設だけでなく、長栄中学、長栄女中など私立学校も設立しており、それらの大半は大東門周辺に点在する。
 まぁその辺のことは、この後で台南神学院の記事を書くので、そちらで触れる予定。

 なお、巴克禮は台南の近代史における最重要人物の一人で、特に日本軍との交渉にあたったことで知られている。
 下関会議において台湾の日本帰属が決まった後、台湾では激しい抵抗が起きた。そこで日本軍は、いくつもの師団を追加してその弾圧にあたりつつ南下、やがて台南が戦火にさらされることとなった。
 台湾独立国を掲げた抵抗軍は、結局指導者が大陸に逃げてしまい瓦解。台南の支配階層は、日本軍との交渉を行うことを決め、そこで選ばれたのが巴克禮だった。
 そして巴克禮の交渉のおかげもあって、台南は無血開城。日本統治時代が幕を開けることとなった……との話。

 前にも書いたけど、交渉においてはできるだけ対等に近い立場を演出する必要がある。なので台南土着の士紳ではなく、日本の同盟国イギリスの人間を立てたのだろう。
 いずれにせよこの一件が、台南における長老派の地位を決定づけたことも、また間違いない。


 derorenは残念ながらキリスト関係にあまり詳しくないので、教会などの記事は表面的にならざるを得ないことをお断りしておく。

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