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2012/05/24
大東門
台湾府(後の台南府)の東にあった最大の門が、大東門である。
現在もこの門は、東門路を通れば嫌でも目にすることができる。あえて訪れたのは初めてだが、我々もタクシーで何度か通過していた。
上の写真は東側、つまり城の外側を向いている。
こちらは内側。城門の周辺だけが切り取られて、道路に囲まれている様子が分かるだろう。
門前は清代には非常に栄えていたらしいが、日本時代に城壁が壊された時点で、ここはその役割を終えた。そして今や、まさしく道路交通のじゃま者扱いだ。
同じような立場にあった小西門が、あえなく破壊されたことを思えば、まだこれでもマシかも知れない。が、通行できない門ほど空しいものはない。
なお、この門は旧三級古蹟(現在の市定古蹟)で、歴史的重要度の割には評価が低い。その理由は、近年に大規模な改修が行われ、ほぼ新築といっていい状況になったためではないかと思われる。
日本統治時期、大南門、小西門とともに残されたこの門は、やがて朽ちていき、1954年の台風で大きなダメージを負ったという。
そこで1975年に、かつての姿を再現したのが、我々の見た大東門なのである。
ま、どっちにしろ、あんまり面白い門ではないよね。
内側にある「迎春門」の額。大東門の別称である。
この名前は、台湾府における立春の儀礼が、この門で挙行されたことに由来する。
清代の台南(台湾府)では、立春になると、この門の郊外に春牛亭という建物を造り、そこに春牛と芒神を祀ったと、『台南歴史深度旅遊』には書かれている。
春牛と芒神(牧童、要するに牛飼い)は、耕作の象徴として中国各地で今も祀られるもの。門神画のように、神に描いて貼るようなこともあるようだが、本来の春牛は張りぼてである。
ともかく、そうして春牛亭で官僚たちによる祭祀が行われた後は、張りぼての牛が城内を練り歩いたそうな。
なお、春牛亭があったのは、現在の長栄中学付近らしい。
アーチ部分に埋め込まれた石版。これは小西門と全く同じものだ。
tomopeeは休憩中。ここは道路を渡って訪れるしかないのだが、道路も門の周辺も、日陰が全くない。唯一あるとすればここである。
門の外側は、こんな感じで小さな公園になっている。しかし、これも見れば分かるように、日陰なし。台南の陽射しの元では、とても憩える場所ではない。
結局のところ、我々が残した感想は、ただ「暑いなぁ」だけであった。
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