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2010/10/12
代天府保安宮 再再訪(一) 生き別れの兄弟
いつも夜に訪れる保安宮。なぜなら、我々の目的は近くで晩飯を食べることにあったからだ。
従って、初回はただ外観を覗いたのみで終わり。再訪では正殿を拝拝したものの、実はもっとすごいものが隠れていたことに気付かずじまい。
再訪記事を書く際に知ってしまった「隠された何か」を確かめるために、三度目にしてようやくここは、明確な目的地となった。別に隠されていたわけではなく、我々が見ようとしなかっただけだが。
まずは正殿の五府千歳を拝拝。もう何度も書いたが、ここは保生大帝の宮ではなく、五柱の王爺廟である。
台湾の廟は、びっくりするほど奥行きがあったり、密かに二階が存在したりする。最初の台南旅行では、その辺がよく分かっていなかったので、一階正面の正殿だけで帰ってしまった廟宇がいくつもあった。
三度目の台南では、頂土地公廟とここの奥にようやく分け入った。そして保安宮では、是非とも逢いたいと思っていた彼をついに見つけたのだ。
(例によって)刮目して見よ、この勇姿を!
どおぉぉーーーーん!
亀だっ!
台南観光の経験のある皆の衆、見覚えはないか!?
そう、この石亀(贔屭)は、赤嵌楼に並んでいるものの兄弟である。
赤嵌楼の贔屭は、大陸で彫られた上で、船によって台南に運ばれた。それは安平で小舟に遷されて、大南門にいったん運ばれたらしいが、その際に小舟が一艘沈んでしまったのだ。
従って、赤嵌楼に着いた時点で贔屭は一柱欠けた状態だったのである。
潟湖の底に沈んだ贔屭を、人々は引き揚げることも出来ないまま年月は過ぎた。ところが、長い年月のなかで、台南の潟湖は土砂が堆積してどんどん浅くなっていった。やがて贔屭は水面に姿を現わすようになり、引き揚げられて保安宮に祀られるようになったわけだ。
まぁこれをマヌケな話とみるか、奇蹟と捉えるかは人それぞれだろう。ともあれ、屋内で見ると、その巨大さがよく分かる。沈んでしまっても不思議じゃないような気はするゾ。
日本の古墳の石なんかも含めて、世界の巨大石造物の陰には、輸送の途中で沈めてしまうような失敗が沢山あったに違いない。そういうことをリアルに想像出来るのが、一番面白い点ではないかと思う。
赤嵌楼で贔屭を拝むだけのツアー客よ、ぜひもう一人の兄弟のことを思い出してやってくれ!
※初心者向けに注記しておくと、かつての台南は、安平地区や億載金城付近などの島(砂洲)が、浅い潟湖を囲む形であった。
清代のはじめは、まだその潟湖の中まで船が航行できたので、五條港と呼ばれる港町が発達した。しかし日本が統治する頃には土砂の流入でほぼ不可能になっており、サバヒーなどの養殖池が作られている(同時に、台南運河を整備)。
現在は運河以外は埋め立てられ、台南市政府などが建っている。
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