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2010/07/25

北港朝天宮の出巡遶境行列(十二) 北港閭山堂神童團

北港閭山堂神童團
 またも現れた神童団。北港閭山堂神童團はそれなりの老舗のようで、youtubeに「70年代」の映像が上がっていたりする
 この場合の70年代は恐らく民国70年代なので、西暦なら80年代。たった20数年前という言い方もできようが、こんなデフォルメキャラにとっては、じゅうぶんに長い歴史という気がする。

 写真は報馬仔(探馬仔)。いわゆる斥候で、『三国志演義』の孔明のわなにも欠かせない存在である。少なくとも媽祖関係の行列では、しばしば先頭に立つようだ。
 『台湾宗教之美 迎媽祖』では清の頃の話として、とある斥候が脚に傷を負い、媽祖に祈ったところ治ったというエピソードを載せる。以来、感謝の意を込めて先頭に立つようになったそうな。片足が裸足で、もう片方のすねに膏薬が貼ってあるのはその辺の意味だ。

 さらに、メガネは是非を見分けるという寓意。銅鑼は別名が鑼心で、音が労心と同じだという(「労心」は『孟子』の言葉ではなく、頭脳が働くという意味か)。
 皮襖(毛皮の服)は、皮襖の発音から忍受煎熬(苦しいのを耐え忍ぶ)を連想させる。
 背後の緑の葉はニラで、隣の肌色のやつは豚足。豚足とニラは長生肉と長生菜ということで、おめでたい食べ物らしい。さらに豚足(豬足)は知足と発音が同じで、報馬仔の職掌に関わる寓意もあるという。
 他にも、いちいち身に着けたものにはいわれがある。

 ……つまり台北で食べた知高飯も、おめでたい名前だったのだと、今さらのように気付く。どうもあの名前は「ニイタカヤマを知る」感じがして(どういう感じだ、と突っ込まないでね)、思い至らなかった。

北港閭山堂神童團
 そんなこんなで、キモいエンブレムを付けた車がやってくる。
 もう既に御本尊も見え隠れしている。

北港閭山堂神童團
 ()()で神童の話はしたので、詳しいことは省略。
 カビキラーを噴射したくなるような服のしみは、カビではなく爆竹で焦げた傷痕だろう。彼らも猛爆の中を生き抜いて来た存在である。

北港閭山堂神童團
 イマイチ信仰心のわかない我々だったが、せっかくなのでお金持ちになりたいと願っておいたぞ。こういう時は、なるべくストレートに願った方が良さそうなので。

北港閭山堂神童團
 こちらも服装の汚れが気になる。
 約30年以上(?)の伝統を感じることもできるが、30年前からこの姿だったと想像することに、まだどこか抵抗がある。

北港閭山堂神童團
 神童の後ろに続く車。
 後方がまるで土俵か何かのような屋根だが、ここには太鼓が据え付けてある。車上の鼓楼なわけだ。祇園祭の山鉾も、こんな感じで造れば巡行が楽になりそうデスネッ。

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