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2010/06/23
萬華・剥皮寮(一) 台北市郷土教育中心の概要
広州街と昆明街の交差点(バカな国民党のおかげで名前だけワールドワイド)。
いかにも古い建築を修復しました、という感じの建物があった。
なかなか立派な建物は、かつての病院らしい。しかし現在は「台北市郷土教育中心」と書かれた看板が目立つ。
建物の裏側にまわると、色目を合わせつつ遊歩道が整備されているのが見える。ここは、かつて建ち並んでいた家々をつなげて、展示スペースとした施設であった。
昆明街と康定路の間の地は剥皮寮と呼ばれており、かつては石炭の集積地として栄えたらしい。なので立派な建物が並んだのだが、日本時代に学校用地として開発が禁止されてしまう。実際、この北側は老松小学校の敷地である。
ところが学校建設は行われないまま時が流れ、清代末期から日本時代の景色がここだけ残ってしまったそうな。
入場無料で、日本人には日本語のパンフレットも用意されている。2009年に開館したばかりなので、我々が事前に読んだガイドブックには記載がなく、不意打ちの観光地だった。
左奥の塔みたいなのはエレベーターである。
ある意味で日本の町おこし施設的に立派な整備だ。ちょっと皮肉を込めたくなる。
故事館、教育館、医療館といったスペースの展示物は、正直言って海外からやって来た観光客がわざわざ時間を割くほどの内容ではない。小学校の遠足にちょうど良い程度だ。
ナントカ商店街とかナントカ故事館みたいに、昔懐かしい街並みを復元と言いつつ、実際は単なる商業施設というのも萎えるけど、ここはどうにも中途半端だ。学校ゆかりの地だから教育といっても、教育はイデオロギーが発露する場なので、案外楽しめない。
まぁ無料の休憩施設として使うことは出来るので、その存在は知っていても良いのではなかろうか。
なお剥皮寮は右半分がこういう展示施設で、左半分は当時の路地を再現している。一般観光客にはそちらの方が面白いのではないかと思われる。
が、我々は右半分しかまわらなかった。老街は実際に活動しているから価値がある……から見なかったわけではなく、単に再現地区の存在をよく知らなかっただけ。
ついでにいえば、そろそろ我々は食い気に傾いていた。その辺は二つ先の記事にて。
おまけ。どんな建築物よりも目立つ、老松国小の校舎。コンクリートの無駄使いと言いたくなるもっさりな巨体である。
ちなみにこの小学校の旧来の校舎は北側にあって、そちらは日本統治時代の古蹟となっている。老松といういかにも日本的な名前も、その通り日本時代の名残りだ。
さらに遡れば、蓮花池という池があった。祖師廟の南北にあった池の、南側のほうがここである。
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